二次創作小説

風花

3.

 ノイッシュはエバンス城内の一室の前でたたずんでいた。
 室内ではレヴィンとフュリーが話し合っている。
 シレジアにはシレジアの事情がある。部外者である自分がそれを詮索するのは好ましくないからと、ノイッシュは同室を断り、廊下に出ていた。
 シレジアがグランベルにとって敵であるのか味方であるのかは、いまだに不鮮明である。だから、彼らにこの城内で自由に動き回ることを許すわけにはいかない。だがそれと同時に、何者かがシレジアの要人に危害を加えるような事態も、何としても防がねばならない。今、彼らの身に何か起これば、その責はシグルド軍にあると見なされるであろう。
 突然、扉が開き、レヴィンが出てきた。
「話し合いは終わられたか?」
 問いかけるノイッシュに、レヴィンは愛想なく、ああ、と応えた。
「俺はまだ国へは戻らん。引き続き世話になるからよろしくな」
 そう言い残すと、レヴィンは足早に歩み去った。
 ノイッシュは傍らに控えた衛兵に、レヴィンの後を追うよう指示を出す。シレジアの王子であると判明した以上、どこかで事故に遭われたり、突然姿を消されたりされたら困る。少なくとも、シグルドに今回のことを伝え、今後の方針を定めるまでは、目の届く範囲で大人しくしていてもらわなければならない。
(フュリー殿はどうしているだろう)
 レヴィンを探し、この城に単身乗り込んできたペガサスナイトが心配だった。武器を他人に預け、ただひとり敵か味方かもわからない城の中に入り込むなど、並の覚悟でできることではない。シャガールの言葉に乗せられた軽率さを責めるべきなのかもしれないが、出奔した王子を自国に連れ戻そうと懸命に行動する彼女を、ノイッシュはむしろ守り、励ましたかった。なのに肝心の王子は、彼女の願いを聞き入れず、帰国を拒んでいる。
「フュリー殿、よろしいか?」
 扉を開き、室内に入る。
 テーブルの前に呆然と座っている彼女の姿に、ノイッシュは胸を衝かれ、言葉を失った。
(泣いて……いたのか)
 フュリーの頬は濡れている。
「フュリー殿、その、何か温かい飲み物でもお持ちしようかと思うのだが」
「あ……」
 フュリーは顔を上げ、ノイッシュがそこに立っていたことに今気づいた、というような表情を浮かべた。
「……お気遣い、ありがとうございます。そうですね、何かいただければ……」
「少しお待ちください。今、用意しますので」
 ノイッシュはフュリーをおいて部屋を出、あるものを取りに自室に立ち寄り、その後、台所に向かった。

 程なく、ノイッシュはポットとカップ、硝子の小瓶などが載ったトレイを手に、再び姿を現した。
 トレイをテーブルの上に置くと、ポットから琥珀色の液体をカップに注ぎ入れる。
「これは……?」
「茶です、ミレトス産の」
「そんな珍しくて高価なものを……ありがとうございます」
「いえ、私の故郷では、そこまで貴重なものではないのです。シアルフィはミレトスに近いですから」
 茶はもともとユグドラル大陸の産物ではない。二百年ほど前に他の大陸からミレトス地方に伝来し、王侯貴族を中心に好まれるようになった。だが、亜熱帯産の植物である茶が育つ地域はユグドラル大陸では限られている。加えてその貴重性を重視したミレトスの民は、特産品として独占するために、その栽培法が流出することを望まなかった。そのため、茶は今でもミレトス地方の一部で栽培されているだけであり、庶民が日常的に楽しむことはできない嗜好品であった。
「よろしければ、こちらもお使いください。アグストリアの蒸留酒です。ほんの少し加えると、香りを添えることができます」
 そう言って、ノイッシュは硝子の小瓶を差し出した。
「ありがとうございます。少しだけ……使わせていただきますね」
「どうぞ」
 フュリーは湯気の立ち上るカップを、そっと唇に当てた。
「ああ、いい香り……」
 フュリーは軽く眼を伏せ、カップの中の液体を少しずつ味わいながら飲んだ。
 彼女の表情が和らぐのを見届けてから、ノイッシュは口を開いた。
「フュリー殿、その……こみ入ったことをお伺いするのは本意ではない。お話になりたくなければ話さなくてもいい。だが、もしよければ、事情を少しお話ししてはくださいませんか。我々にできる範囲で、何かお力添えできることがあれば、と思うのだが」
 フュリーは静かに首を振る。
「何かしていただけるとは思えません。わたしにもどうすればよいのかわからないのです。すべては王子のお心次第なのですが……」
「王子は帰国を望んではおられない……」
「……ええ」
「そもそも、レヴィン王子はなぜ、国を出られたのですか」
「……すみません。他国の方に、どこまで我が国の事情をお話ししてよいものやら、わたしには判断が下せません」
「そうですね。もっともなことです」
 すみません。もう一度小さく口の中で呟くと、フュリーは顔を伏せ、考え込んだ。
 もう言葉は返ってこないだろうとノイッシュが思った頃、フュリーは顔を上げ、小さな声で話し始めた。
「……詳しく申し上げることは憚られますが、シレジアには、王子の即位に反対する勢力があります。王子は、無益な争いを起こし、国を二分するような事態に陥るよりは、ご自分が国を出たほうがよいとお考えになられたのでしょう。あの方は、何と言うか……自由を愛し、束縛を嫌う方です。ですが、王子はセティの聖痕をお持ちです。聖戦士セティの末裔であり、風魔法フォルセティの継承者である王子がありながら、他の者が王位に就くなど、秩序を乱すだけだと思うのです。でも……」
「……なるほど」
 ふと、ディアドラとの婚姻を巡って、ヴェルダン城でシグルドと対立した時のことが思い出された。あの時ノイッシュは、最終的にはシグルドの願いを容れ、ディアドラの真の出自を知りながらも彼女をシアルフィの花嫁として迎えいれることに尽力したが、それが果たして正しい選択であったのか、いまだにわからないでいる。フュリーもまた、一個人としては、レヴィンの心に添い、彼を自由に羽ばたかせたいと望みながらも、シレジア王家に仕える騎士としては、王位継承者を帰還させるというおのれの任務を全うせねばならないと考えているのではないか。
 ノイッシュは独り言のように言った。
「主君のために行動する、というのは、ときに難しいものです。支配者として重き荷を負い、孤独な道を往かれる方が心から望むことならば、なるべくならば叶えてさし上げたいと思う一方で、国や民のことを思うならば、私情を捨て、耐えて下さいと申し上げるしかない時もある」
 フュリーは、驚いたような表情でノイッシュを見た。
「そう……そのとおりです。できることならば、わたしは、あの方のお気持ちを踏みにじるような真似はしたくありません。ですが、シレジアのことを思えば、王子にお戻りいただく以外に道はないと思うのです。ですから、わたしは待ちます。王子がお心を固められるまで」
 フュリーはそこで言葉を切り、考え込んだ。しばしの沈黙の後、フュリーはおもむろに口を開いた。
「お願いしてもよろしいでしょうか。王子とともに、わたしもあなたがたの軍に身を置かせてはいただけませんか? 王子が帰国を決意なさるまで、わたしはその傍らにあり、王子をお守りしたいのです。ただし、部隊の者たちはシレジアに帰します。王子の居場所がわかった以上、無駄に皆を連れまわしても仕方ありませんから」
「わかりました。ここの状況が整い次第、私はこの城を起ち、マッキリーを攻略中の本隊と合流します。その時はあなたも一緒に来られるといい。シグルド様にご紹介いたしましょう」
「ありがとうございます。それでは、わたしは部隊の者のところに戻ります。皆に今後のことを伝えないと」
「ああ、そうだ」
 先ほど、茶を用意しに台所に行った時に下した指示を思い出し、ノイッシュは言い足した。
「台所の者に申しつけて、あなたがたの野営地に今宵の夕餉を届けさせます。冬場で、しかも戦争中ということもあって、この城の物資も決して豊かではありません。なので、たいしたものはお出しできませんが、糧食よりはましなものを提供できるのではないかと思います」
「それは助かります。このところ糧食ばかりで、実のところ閉口しておりました。普通の食事ができるのならば、皆、喜ぶのではないかと思います」
 そう言って、フュリーは微笑んだ。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/12/22
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