二次創作小説

風花

2.

「ノイッシュ様、来ました」
 詰所で仮眠を取っていたノイッシュは、見張りの兵によって起こされた。
 ペガサスナイトがエバンスに襲来しないまま、一夜が過ぎていた。ノイッシュは事が起こったときの配置と対応を決定し、各人に伝えると、厳しく見張ることを命じ、待機していた。
「わかった。私は城壁に出る。皆を起こし、所定の位置につかせよ。城壁を守備する者は、弓を準備しておくように。ただしこちらからは決して撃つな。レヴィン殿は?」
「今、他の者が起こしに行っています」
「そうか、起きたらただちに城門前の城壁に来るよう、伝えてくれ」
 ノイッシュは着衣の乱れを整えると、足早に部屋を出、城壁に向かう。
 まだ夜は明けきっていなかった。冬の明け方の空気は凍てつき、肌を刺すようだ。城壁の灯火台には松明が燃えている。その炎は暗闇を押し返そうとするかのごとく、あかあかと輝いている。ぱちぱちとはぜる火の音が、明け方の静寂の中に響いている。
 暗い空からは、軽い雪片がひらひらと舞い落ちる。
 城の大門脇の城壁に設けられた巡回路に登り、ノイッシュは空を見やった。
 風花舞う空の彼方に、鳥影のようなものが見え始めていた。秩序だった隊列を組んだそれは、まるで雁の群れか何かのようだ。
 影は見る間に迫ってくる。やがて大きな翼を持った天馬の姿がくっきりと見て取れるようになった。
 はっきりとその姿が見て取れる位置まで進み出ると、ペガサスナイトの一隊は前進を止めた。
「グランベルの騎士よ、レヴィン王子を返しなさい!」
 先頭を行くペガサスナイトが、よく通る声で言った。やや震えているその声には、怒りとこわばりが含まれているように感じられた。
(レヴィン……王子だと!)
 まさか、という思いと、やはり、という思いが交錯する。
 ノイッシュは城壁の際により、右手を掲げ、呼ばわった。
「ペガサスナイトよ、まずは所属と姓名を名乗られよ。私はシアルフィの騎士、ノイッシュ。武装した手勢を率い、門前に乗り付けたことに対する説明を求めたい。我々には、あなたがたから敵意を向けられる覚えはない」
 ペガサスナイトは、上空からノイッシュを見下ろす。
 おそらくこの隊を率いる者なのであろう。白い軽装鎧で身を固めたペガサスナイトは、ほっそりした体躯の、まだ年若い娘だった。長い緑の髪が、向かい風になぶられ、後方になびいている。
「わたしはシレジアの天馬騎士、フュリー」
 高くも低くもない、柔らかな音質の声だ。決して大音声で呼ばわっているわけではない。だが、その声には、耳を傾けねばならないと感じさせる力があった。
「あなたがたは我がシレジアの王子を拘束し、処刑しようとしている、そのように聞き及んでいます。非道な真似を改め、我々の王子を返しなさい」
「いったい、誰がそのようなことを」
「アグスティの新王、シャガール様です」
「アグスティ王シャガールと我々は敵対関係にある。これははかりごとだ。シャガール王はあなたがたを利用し、グランベルとシレジアの中立を破らせようとしている。あなたがたは偽りを吹き込まれているのだ」
「アグストリアに侵略の兵を進めたグランベルの言葉など、信じられるものですか。あなたがたはこの地を平らげ、自らの支配下に置こうとしている。このアグストリアの状況を見れば、どちらの言葉に信を置けるかは明白ではありませんか」
(レヴィン殿はまだか、くそっ)
 内心で悪態をつきながら、ノイッシュは眼前のペガサスナイトに言葉を返す。
「我々は侵略者などではない。やむにやまれぬ状況が重なり、今日のような状態に至ったが、グランベルの勢力拡大を目的として、軍を進めたわけでは決してない。ノディオン王の身の安全が確保でき、また、アグストリアの諸侯が、真に民を憂い、これをいたわると確信できるのであれば、我が主シアルフィ公子シグルドは喜んで軍を引くだろう」
 ノイッシュは精いっぱいの弁明と時間稼ぎを試みる。だが、自分の言葉が虚しいものであることはよくわかっていた。グランベルを敵とみなし、かたくなに心を閉ざすペガサスナイトには、おそらく彼の言葉は届かない。身勝手な言い訳としか思われないだろう。
 おぼろげながら、状況が見えてきたような気がする。シレジアのペガサスナイトたちは自国の王子を探し、この地にやってきた。そしてシャガール王によって、王子がこの城に拘束されていると吹き込まれたのだろう。
 困ったことに、シャガールの言葉はまったくの事実無根というわけではない。ペガサスナイトたちが捜し求める王子は、おそらくシグルドの軍に身を置いている、あの人物なのだろうから。
「フュリー、お前、こんなところで何をしているんだ」
 待ち望んでいた人物がようやく城壁に姿を現した。レヴィンは眠たそうな表情に櫛を通していないぼさぼさの頭、いつもの吟遊詩人らしい派手で安っぽい衣服もよれよれというありさまだった。起き抜けのまま、慌ててやってきたことがありありと見て取れる。
「あなたは……。まさか、レヴィン王子」
 ペガサスナイトは明らかに動転した様子で絶句した。
(やはりこのレヴィンが、シレジアの王子だったか)
「その姿はいったい……」
「ああ、このなりか。俺は今、旅の吟遊詩人をやっている。どうだい、似合っているだろう?」
 場の緊張感にそぐわない、のほほんとした調子でレヴィンは言った。
「でもどうして……。王子はグランベル軍に捕らわれているのではなかったのですか?」
「おいおいフュリー、俺が拘束されているように見えるか? いったい誰がそんなことを言ったんだ」
「アグスティのシャガール王が……」
「ははーん、フュリー。お前、騙されたな」
「そんな、では、わたしは……」
 フュリーはノイッシュに視線を移し、レヴィンと彼を交互に見つめた。そして恥じいったように顔を伏せた。
「お分かりいただけたのなら幸いです。吟遊詩人レヴィン殿……いや、レヴィン王子は、自ら志願して先日より我々の軍と行動を共にしている。我々は、この方がシレジアの王子であることなど知らなかった。並ならぬ魔道の腕をお持ちなので、ただものではないと思ってはいたが」
「王子が自らグランベル軍に……でもなぜ?」
 フュリーは不思議そうに呟いた。
「まあ、いろいろあってだな……で、それはともかく、なぜお前がここに?」
「もちろん、王子に帰国していただくためです。何も告げずに国を出られて、もう二年にもなるのですよ。どうかシレジアにお戻りください」
「……俺は国に戻るつもりはない」
「王子、それは困ります!」
 二人の問答は長引きそうだ。そう予感したノイッシュは提案することにした。
「レヴィン王子、そしてフュリー殿。このような寒空の下、しかも衆人環視の中、込み入った話をするのはあまりよろしくないのではないか? まずは暖かな場所に移り、シレジアの方だけで話し合われては」
「そう、ですね。おっしゃるとおりです」
「あなたがたの武器をこちらにお預けいただけるなら、城内にお迎えしよう。ただ、我々は戦時下にある。確たる盟約を結んでいるわけではない他国の兵を、武装した状態で城の中に招き入れることは、主君の指示なくばできるものではない。武装解除を望まれないのであれば、城の外に野営地を設営し、そこで王子と存分に話し合われるがいい」
 ノイッシュはレヴィンに視線を移し、付け加えた。
「レヴィン王子、もし望まれるなら、このままシレジアの方々とともに行かれよ。あなたは自由意志で参戦されている。去るおつもりがあるなら、引き留めはいたしません」
「いや、俺はまだシグルド公子のもとにいるつもりだ。帰国の意思はない。ついでに言うと、こいつらの野営地なんかにうかつに入ると、そのまま否応なく帰国させられそうだ。俺としては、エバンス城を使わせてもらえるほうがありがたいな」
「……少し、他の者と話し合わさせてはいただけないでしょうか。敵か味方かもわからぬ者の本拠地で武装を解くなど、容易には決断しがたいことです」
 ためらいがちに応えるフュリーに、ノイッシュはうなずいた。
「もっともなお言葉です。ただ、つけ加えさせていただくならば、あなたがたを敵にまわすのは、我々のもっとも望まないことです。今、グランベルは他方面との戦争状態に陥ってしまっている。率直に言って、シレジアには味方、もしくは傍観者でいてもらわなくては我々が困る。だから、我々があなたがたに危害を加えることなど、万に一つもない。そのことは、ご承知いただきたい」
 フュリーはノイッシュをまっすぐに見返し、言った。
「お言葉、よくわかりました。では、しばし時間をください。その間、王子をお預かりいただけますか?」
「もちろんです。たとえ王子ご自身がいずこかへ雲隠れされることを望もうと、あなたがたのお返事をいただくまでは、この城にお留まりいただきます。危害を加えないのは無論のこと、余所へお移しすることもないことを、お約束しましょう」
 横でレヴィンが悪態をつくのが聞こえたが、ノイッシュは意に介せず続けた。
「納得のいく道を選ばれよ、シレジアの御方。私個人としては、我々を信頼し、こちらに身を寄せていただけることを望んでいる」
 ノイッシュの言葉にフュリーは無言でうなずいた。そして、後方に控えるペガサスナイトに、城壁から下がるように指示を出す。フュリーの指示に従い、ペガサスの一隊は城門から三十歩ほど離れた道の際に移動し、次々に大地に降りていった。
「しかし母上もフュリーをよこすとはな……どうもやりにくいな」
 レヴィンが小声で呟いた。
「お親しいのですか? さきほどの方とは」
「ああ、あいつは幼なじみというか……まあ、妹みたいなものかな。フュリーの父親は俺の親父の友人で、母親は天馬騎士団の団長を務めたこともある優れたペガサスナイトだ。俺の両親とは主君と臣下ではあるが、それ以前に友人同士といったほうがいいような関係だ。そんなわけで、フュリーとその姉のマーニャのことは、昔からよく知っている。子どもの頃は、フュリーをからかって泣かせては、よくマーニャに怒られていたものだ」
「そんなことをしていたんですか」
 あきれたような口調でノイッシュは言った。
「いやだって。あいつをからかった時の反応が面白くてな。なんでも真面目に受け取るものだから、軽いからかいにもすぐにむきになってべそをかくんだ。昔は泣き虫フュリーって呼んでたっけな」
 軽いいらだちを覚えた。
 自分もどちらかといえば真面目な傾向にあるノイッシュは、真面目な少女をからかう心情にはあまり共感できず、むしろからかわれる側に同情してしまう。だが、そういった義憤めいた感情の裏に、うっすらと何か別なものも混じり込んでいた。このシレジアの王子とあのペガサスナイトが多くの時を共有し、ともに成長してきたのだと思うと、なぜかもやもやとした疼きのようなものが、胸の奥に湧き上がる。
「……女の子を泣かせてはいけないと、教わらなかったんですか」
 ノイッシュの声に含まれた棘を感知したのだろう。レヴィンは慌てて弁明した。
「あ、いや……別に本気でいじめていたわけじゃないし、その辺はあいつだってわかってたと思うんだが」
「なんにせよ、あなたがどのような少年だったかは、なんとなく想像がつきました」
 冷たい調子でそう云うと、ノイッシュはレヴィンから目をそむけ、前方を見やった。
 気まずい雰囲気が二人の間に流れた。話題を変えようと思ったのだろうか。レヴィンは独り言のように呟いた。
「……しかし、あいつもしばらく見ないうちにだいぶ変わったな。あんなふうに部隊を掌握し、他国の指揮官と堂々と渡り合うようになってるとは。でもまあ、ドジなところはあまり変わっていないのか」
 そのとき、城壁に向かって一騎のペガサスが戻ってくるのが目に入った。
(思いの他に早いな)
 戻ってきたのはフュリーだった。
「わたしたちの結論を伝えに参りました。仲間の武装解除はやはり飲めません。皆には城の近くで野営するように伝えました。ただ、わたしはあなたがたに武器を預け、エバンス城に参ります。仲間は野営地で待機し、わたしひとりが城内に赴き、王子とお話しする。これでよろしいでしょうか」
 フュリーは頭を上げ、毅然とした様子で告げた。緑の双眸はまっすぐにノイッシュを見据えている。その色白な顔はいっそう青白く、緊張と恐れが伝わってくる。
(最良の選択だ。だがなんと勇気のある……)
 その方法ならば、シグルド軍はフュリーひとりを城内に入れるだけで済み、シレジア側も武装を解く必要がない。だが、フュリーのみはすべての危険を背負い、敵地かもしれない場所に単独で乗り込むことになる。
「お考え、よくわかりました。大変賢明な判断だと思います」
 眼前のペガサスナイトにどうしても伝えたかった。あなたの判断に騎士として共感し、あなたの決意に感銘を受けたと。だから恐れないでほしい。決してあなたを裏切り、傷つけるような真似はしないと。
「ただひとり他国の軍の本拠地に、武器を携えずに赴こうとするあなたの勇気に、私も応えねばなりますまい。あなたがこの城に滞在される間、何ぴとからも傷つけられることのないよう、あなたをお守りすることを約束しよう。私、シアルフィのノイッシュは、我が名と我が騎士としての名誉にかけて、このことを誓う」
 フュリーは無言でじっとノイッシュの顔を見つめた。
「ありがとうございます。あなたの言葉を信じます」

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written by S.Kirihara
last update: 2014/12/21
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