NOVELS

シャルーナ・ティアレ ――沙漠の都――

麗しのシャルーナ・ティアレ
精霊の都
沙漠よりしばし現れ出で
人の心 惑わす

(アルロイ古謡より)

 外では砂嵐が吹き荒れていた。アリクは簡素な帳幕(テント)の中で一人、ちろちろと燃える炎を眺めていた。
 数日前の襲撃の時に受けた足の傷がまだ痛む。この傷さえなければ、俺も仲間と共に行くことができたものを。
 アリクはそっと心の中で舌打ちした。
 アリクは沙漠の盗賊、ルサナ族の青年である。沙蘭(シャラン)国の隊商が近くを通るらしいという情報を手にした彼の仲間は、いまだ傷の癒えないアリクを一人残し、“襲撃”にでかけてしまったのだ。
 アリクの瞳はうつろだった。彼は無為の時間を過ごすのには耐えられない性質の人間だった。傷をゆっくりと癒やす、などということは、おおよそ彼には不向きだった。
 もう深夜と呼ばれる刻限だったが、アリクは眠気をほとんど感じなかった。あたりまえだ。さげすむような口調でアリクはつぶやいた。毎日毎日じっと寝てりゃ、眠気もどこかにいってしまうさ。
 そのとき、アリクはぴくり、と体をすくめた。激しい砂嵐の中から、何か、耳慣れた、かすかな音を聞きつけたからだ。
 アリクは目を閉じ、じっと耳を澄ました。
 そうだ、あれはやはりラクダにつけられた鈴の音だ。かすかだ。本当にかすかだ。何頭だろうか。二頭か。いや、一頭だ。しかし誰だろう。こんな時刻、しかもこんな砂嵐の中、沙漠を行く奴は。もしかしたら。そうだ、もしかしたら……
 鈴の音は次第にはっきりと聞こえるようになってきた。アリクは帳幕の出入口ににじり寄り、垂布をかかげて外を眺めやった。
 砂塵と暗闇の中から、次第に人間を乗せた一頭のラクダの輪郭がはっきりと見えるようになってきた。出入口の支柱を支えに立ち上がったアリクは我知らず、ラクダの方に手を振り、大きな声でわめいていた。
 その声に気付いたのか、ラクダに乗っていた人間もアリクに向かって手を振り、大きな声で何やら叫んだ。しかし砂嵐にかき消され、その言葉を聞きとることはできなかった。
 ラクダは全速力で走ってきた。そしてアリクの目の前で止まり、一人の白髪の男がその背から降りてきた。その老いた男がルサナ族の人間ではなかったことに、アリクは少々落胆した。
 男はアリクの姿を認めると一礼し、口を開いた。
「すまないが、一晩この帳幕に、泊めてはもらえないだろうか」
 アリクは少し驚いた。なぜなら男の話した言葉が純粋なアルロイ語だったからだ。だがその驚きを表にはあらわさず、アリクはぶっきらぼうに答えた。
「俺はルサナ族の人間だ。人から盗みとることが、俺の仕事だ。だが、今お前を襲う気はない。砂嵐はひどいし、お前が金まわりの悪そうなじいさんだからだ。俺が恐ろしくないのなら、泊まっていくがいい」
「ありがとう」
 男は穏やかに微笑んだ。

「あんた、アルロイ人だろう」
 夜気にかじかんだ手を火にかざす男に、一杯の馬乳酒(クミス)をさし出しながら、アリクが言った。
「珍しいな。沙漠を旅するアルロイ人とは。しかもたった一人、あんたみたいなじいさんが」
「私は老人というほどの年ではないさ。まだ五十代前半だ」
 男が答えた。
「へえ、髪もすっかりまっ白だし、てっきり相当なじいさんだと思っていたよ。……まあ、そんなことはどうでもいい。あんた、どこへ行くんだ。なぜ、こんな夜更けに、こんな砂嵐の中をほっつき歩いてたんだ」
 男は目を伏せ、しばしの間感慨にふけっているようだった。しかしやがて目を上げ、決然とした調子で言った。
「シャルーナ・ティアレだ。私はシャルーナ・ティアレを捜しているのだ」
「シャルーナ…? 何だそれは」
 ルサナ語、アルロイ語、沙蘭語、紫南語などの様々な言語に通じているアリクにとっても、それは耳慣れない言葉だった。
「アルロイの古語だ。シャルーナ・ティアレとは、“沙漠の都”という意味だ」
 それまでは遠い、静かな光をたたえていた男の瞳が、突然熱っぽく、なにものかに憑かれたかのように輝きだした。
「シャルーナ・ティアレは沙漠の精霊の都だ。この沙漠のどこかにきっと実在しているはずなのだ。私はシャルーナ・ティアレを求め、もう十年以上も、沙漠をさまよっているのだ」
「へえ……。俺たちルサナ族は沙漠の民だが、そんな都の話、聞いたこともねえな。まゆつばもんじゃないのか」
「アルロイ人でも、シャルーナ・ティアレという言葉を知っている人間は指折り数えるほどしかおらぬ。ある古謡の中にうたわれている、伝説の都なのだ」
「それじゃあ、そんなもん捜したって仕方ないぜ、ただの伝説なんだろ」
 アリクはあきれ果てたように男の顔を眺めた。男はアリクの言葉に小さくうなずいた。
「そうだ。ただの伝説だ。私もずっとそう思っていた。……だが、シャルーナ・ティアレからやって来たという人物に、私は出会ったのだ」
「だけど、そいつが出鱈目言ったのかもしれないとは思わなかったのか。あんた馬鹿かよ。そんなありもしないものを求めて、十年以上も沙漠をさまよってるなんて……。国じゃ、結構いい家の生まれなんだろ。言葉つきでわかるぜ。そんな奴がなんで……そうだ、そもそもなんであんた、そんなもの捜そうなんて思ったんだ。そいつが俺にはとんと合点がいかねえ。……いや、もしかすると!」
「もしかすると、何だね?」
「いや、こいつは俺の勝手な憶測なんだが」
 にやり、と不敵な笑みを浮かべ、アリクは言った。
「そのシャルーナ何とやらには、その、隠された宝物でもあるのか?」
 男は微苦笑し、首を振りながら答えた。
「いやいや、そういうわけではない」
「じゃあ、何で……?」
 男は燃えさかる炎を眺め、一言一言を紡ぎ出すように言った。
「さっき言っただろう。私がシャルーナ・ティアレから来たという人物に出会ったと。私がかの都を捜しているのは、もう一度、その人物に会うためなのだ」
「またどうして……」
 アリクが不思議そうにつぶやいた。すると男は炎から目を上げ、アリクの顔をじっと見つめ、口を開いた。
「話せば長い話になる。だが、もしよければ、聞いてはもらえないだろうか。この十年余というもの、人間にゆっくりと物語を語るようなこともなかった私のために」
 アリクはふう、と息をついた。そして炎に照らされた男の顔を見つめ、答えた。
「夜はまだ長い。話してくれ」


 私の名はハビアン・ルルーク。アルロイ王国の王宮に仕える竪琴弾きだ。いや、竪琴弾きだったと言うべきかもしれないが……
 私の師も王宮に仕える竪琴弾きだった。彼のもとで、幼い頃からみっちりと仕込まれた私は、成人に達した時にはもう一人前の竪琴弾きだった。数々の古謡に通じ、また即興で曲を作ることも得意で、(自分で言うのも何だが)この道においては幾分かの才能を授かっているものと自負していた。いや実際、都の人々も、私がアルロイの王都イル・ティールで一番の竪琴弾きだと言ってくれていた。
 ……あれは私が三十八歳の時だ。ちょうど、アルロイの王太子アドールオ殿下が、宰相ルラルドの娘御とご結婚なさった年だから。
 ご婚礼騒ぎで盛り上がった夜のイル・ティールの繁華街を、私は数人の友人とともに歩いていた。もう若いとはとても言えなかったが、少々酒が入っており、また街にあふれる熱気にあてられたせいもあって、私たちはかなり浮かれていた。そして気が付いてみると、私は一人仲間からはぐれ、普段行ったことのない、暗く細く人気のない横丁にはいりこんでいた。
 その時だ。私の耳に細くかすかな竪琴の音色が聞こえてきたのは。本当にかすかな、かすかな昔色だったが、私を慄然とさせるには充分だった。なんという音色! なんという……。私は声も出なかった。そして気が付くと、私は竪琴の音が聞こえる方へ歩き出していた。
 私はその音に心を奪われた。ああ、どうしてあの音色を言葉で言い表すことができよう。甘く、優しく、すずやかで、それでいて狂おしいほどに愛おしい、あの音色。
 ついに、私は音の源にたどりついた。弾いているのは、灰色のうす汚れた長衣をまとった青年だった。だが青年の容貌は、その衣装とは対照的に、そして琴の音色にふさわしく――神秘的なまでに美しかった。
 月光に輝く長い銀の髪、象牙に彫りつけたような秀麗な眉目。そして彼全体を包みこんでいる、どこか人間離れした、妖しさすら漂う雰囲気。
 彼のそばには、黒衣に身を包んだ女が一人、座っていた。女は魂を抜かれたように、ただただ、竪琴の音に耳を傾けていた。目をつむり、あごをやや上げた女の顔には、悦惚とした表情が浮かび上がっていた。すさまじいまでの、だが無意識の、なまめかしさ。その女は、竪琴を弾いている青年に比べれば、よほど人間に近い存在に思われたが、人間が、ただ音楽に耳を傾けるだけで、このような表情を浮かべている、ということが、私には冒涜的なことのようにすら、思われた。
 いや、そうではない。そのとき私の心にあったのは、むしろおそれに近いものであった。
 竪琴弾きにとって、音楽を奏でる者にとって、この青年の奏でる音楽は、まさしく至高の存在そのものだった。私は恥じた。イル・ティールの都一の竪琴弾きと呼ばれ、それをあつかましくも素直に信じこんでいた、私自身を。
 本当に恥を感じたのは、ずっと後になってからかもしれない。この時の私はただ、青年の竪琴に耳を傾け――そして全てを忘れていた。
 そのとき、女の閉じられた瞳から一粒の涙が流れ落ちた。つつう、とほほをつたい、あごをつたい、涙は女の黒衣の上に小さなしみを作った。
 実際に月光の中で、黒衣にできたしみを見たわけではない。だがそのときの私には、涙のしずくが黒衣に落ち、しみ込んでいくのが感じられたのだ。そして、女のたった一粒の涙に気をひかれながら、私は自分のほほをつたい落ちる熱いしずくにはまるで気付いていなかった。
 いつしか青年の竪琴は止んでいた。青年は私と女をじっと見つめていたが、やがて立ち上がり、くるりときびすを返した。
 そのときになって、私はやっと我に返った。そして青年の後を慌てて追いかけ、どもりながら尋ねたのだ。
「あ、あなたはどなたです、どこからいらしたのです」
 青年はふりかえり、その緑の瞳でじっと私を見すえた。
「私はシャルーナ・ティアレから来た。かの都の竪琴弾きだ」
 不思議な韻律を持った、静かな声だった。そして青年は私に背を向け、歩き出した。彼は二度とふり返らなかった。


 それから一年後、私は王宮を辞し、シャルーナ・ティアレを――あの青年を――求めて旅に出た。あの竪琴をもう一度聞きたい。その一念につき動かされていた。
 シャルーナ・ティアレという言葉だけが、あの青年を捜し出す唯一の手がかりだった。だが私の知るかぎり、シャルーナ・ティアレなる言葉が使われているのは、ある古謡の、ほんの一節だけだった。

麗しのシャルーナ・ティアレ
精霊の都
沙漠よりしばし現れ出で
人の心 惑わす

 その古謡は沙漠に住むという精霊についてうたったものだった。アルロイ王国と接している沙漠、そしていついかなる時もその頭の文字が大文字でつづられる“沙漠”は、ただ一つ、ここしかなかった。
 だから私はこの沙漠にシャルーナ・ティアレを求めているのだ。
 あの音色をもう一度聞けるのならば、死んだっていい。いや、もう一度聞かずには生きていけない。(恐らく死ぬこともできまい)。それほどまでにあの音色に魅了され、私はこの十余年、沙漠をさまよっていたのだ……


「……これで私の話は終わりだ」
 男――竪琴弾きハビアン・ルルークは、そう言って、静かに目を閉じた。
「ふうん、そういうことだったのかい」
 アリクは柄にもなくしみじみと咳いた。
「それであんたはその青年を捜してるってわけか。でもよ、やっぱり俺にはわからんな」
 ハビアン・ルルークはアリクの顔を見上げた。
「なにがだ」
「その、あんたが、その男を、十年以上も捜してるってことがだ。それも単に、竪琴が聞きたいっていう、それだけの理由で」
 ハビアン・ルルークは軽く息をつき、微笑を浮かべた。
「そうだな、君にはわからないかもしれない、君はあの堅琴を聞いたことがないし……それに」
「それに?」
「私とは別の種類の人間だ。君は竪琴の音色なんかにまどわされず、まともに、前向きに生きてゆける人間だ」
「そんなもんかね」
「それでも、いくら君と言えど、もしあの竪琴を聞いたならぱどうなることやら。なにしろあの音色といったら……」
 そこまで言って、ハビアン・ルルークは、はっとして口をつぐんだ。彼の目にたたえられた光が急に熱を帯びてきた。
「おい、どうしたんだ、あんた!」
 アリクは驚いて声をかけた。
「……聞こえないか?」
「えっ?」
 アリクは慌てて耳を澄ました。しかし、彼の耳に聞こえるのは砂嵐の音ばかりである。
「聞こえないか。竪琴だ。ほら、あの竪琴の音色だ」
 ハビアン・ルルークの顔に狂喜の表情が浮かび上がった。
「ほら、アリク、聞こえるだろう? あの音だ。あの竪琴の音なんだ!」
 ほほを赤く染め、ハビアン・ルルークは立ち上がった。
「聞こえない。俺には聞こえない。聞こえるのは風の音ばかりだ」
 アリクはわめいた。これほど不可解なことはない。ハビアン・ルルークには聞こえているその音が、アリクにはまったく聞こえないのだ。
「そんなはずない。いや、そんなはずないだろう。よく耳を澄ましてごらん。聞こえるだろう、砂嵐の底から、竪琴の音が……」
 そう言いながら、ハビアン・ルルークはふらふらと出入口に歩みよった。
「お、おい、ちょっと待て、あんた。どこへ行くつもりなんだ」
 アリクは慌ててハビアン・ルルークを止めようとした。しかし、ハビアン・ルルークはもはや、アリクなど目に入らないようだった。
「ああ、あの音色だ。そう、今こそ……今こそ!」
 ハビアン・ルルークは、外へ駆け出していった。
「待てよ、あんた。ハビアン・ルルーク。外は砂嵐なんだ。砂嵐なんだぞ!」
 不自由な足をかばいながら、アリクも慌ててハビアン・ルルークの後を追い、外へとび出した。
 しかし、ハビアン・ルルークの姿は、すでにそこにはなかった。男は砂嵐にのみ込まれ、忽然と消え去っていた。

 初出は某大学児童文学研究会の機関紙。
 ファンタジー、というか幻想文学的ななにかを目指していた作品。
 「銀の旋律」とは姉妹編で、こちらのほうが先に書かれています。

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written by S.Kirihara
last update: 2015/02/04
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