二次創作小説

狼の子

1.

 ヴェルダン城の中庭で遊ぶシャナンの姿を、アイラはそれとなく目で追っていた。
 アイラたちがシアルフィ公子シグルドの率いる軍に参入して、およそ一ヶ月あまりの時が流れていた。
 シグルドはアイラの故郷であるイザークに侵攻したグランベルの貴族である。アイラとシグルドは敵対するのが当然の間柄であったはずだった。だが、様々な偶然が重なりあい、アイラはシグルドの軍に身を寄せることとなった。シグルド本人の人柄は信頼に足るものであるとアイラは感じていたが、互いの置かれた立場を思うとき、シグルド率いる軍に対しては、いまだ全幅の信頼を寄せることはできないでいた。
 グランベルそのものは、相変わらずアイラにとって敵である。そしてシグルドに従う者たちについても、アイラたちイザーク王家の者の都合をどこまで尊重してくれるのか、心もとなく思っていた。ともに戦うことによって、彼らとの間に徐々にある種の信頼が生まれつつあるのは間違いない。だが、シグルドの立場を案じるが故に、彼らがアイラたちの身柄を拘束し、バーハラの宮廷に差し出す可能性は決して否定できるものではない。自分の身の回りに気を配るのは無論のこと、シャナンの安否も気がかりで仕方なかった。可能な限り、シャナンを自分の目の届く所に留め置かなければ、どうにも安心できないでいた。
 それはシャナンにとっては窮屈なことであろう。もうすぐ七歳になろうとしている遊び盛りの少年にとって、常に叔母の目の届く所にいるようにしなければならないというのは、大変つまらないに違いない。それは十分承知していたが、シャナンを守り無事に育て上げることこそが今のアイラにとって最も重要な使命である以上、シャナン自身の意思に多少反しようとも、その身の安全を図らずにはいられなかった。
「しかしアーダン、やはり私は、あまり賢明ではないと思うのだが……」
 話し声を聞きつけ、アイラは声のした方角に視線を移した。
 城の大門から続く道を三人の騎士が歩いてくる。金髪の生真面目そうな騎士、緑の髪にターバンを巻いた洒落者の騎士、そして大柄な体格の重騎士。シグルド直属の三人のシアルフィの騎士たちだ。
「いや、ノイッシュ、もったいないじゃないか。こんなちょうどいい育ち具合の子狼が手に入るなど、めったにあることじゃない」
 大柄な騎士――アーダンは金髪の騎士に反論した。懐に何かをしまっているのであろうか。アーダンのチュニックは腹のあたりでわずかに膨らんでいる。アーダンは左手をその膨らみの下に添え、右手はその上に置き、そっと撫で回している。
「だが……」
 金髪の騎士――ノイッシュは、納得しかねるといった調子でアーダンに言葉を返そうとする。
「まあまあ、アーダンができるって言ってるんだから大丈夫だろう? そもそも犬飼いとしてのアーダンの腕前を一番よく知っているのはお前じゃないのか、ノイッシュ。それにウシュナハ卿の狼犬はシアルフィでも有名だ。子どもの頃から飼えば狼が慣らせないものではないことは、お前ならよく知っているだろうに」
 緑の髪の騎士――アレクが言葉をはさむ。
「それは確かにその通りだ。我が父の許には人に馴らした狼や狼の血を引く猟犬がいた。だからこそ、狼を育て、慣らすことがいかに危険で難しいかは、ある程度わかっているつもりだ。軍務の傍らにできることではない。第一、我が軍には女性や子どももいる。その身の上に危険が及ぶようなことは避けねばならない」
 ノイッシュは険しい表情でアレクに反駁した。
(狼を慣らす……? 何のことだ)
 興味を惹かれたアイラは、騎士たちの様子を遠巻きに観察することにした。
「相変わらずお堅いなあ、お前は」
 アレクがあきれたように云う。
「仕方ないだろう。そういう役割を果たさなければならない立場なのだから」
 ノイッシュはため息交じりに言葉を返す。
 二人の会話をよそに、アーダンは懐の膨らみを右手で撫で続けている。
「おお、目を覚ましたみたいだぞ」
 そう云って、アーダンは右手をチュニックの中に突っ込み、何かを引っ張り出そうとした。
「やめろ、そいつを出して私に見せないでくれ」
 慌ててノイッシュがアーダンを止める。
「なんだ、お前、子犬が嫌いなのか。だからそんなに嫌がっているんだな」
 にやにや笑いを浮かべながらアレクが云った。
「違う、逆だ」
 顔をしかめてノイッシュが応える。
「狼の子は……可愛らしいからな。それはもう、我慢できないくらい」
 ノイッシュは視線を脇に落とし、顔を赤らめながら呟くように言い足した。
「あんなものをまともに見たら、殺せとか捨ててこいとか言えなくなるじゃないか」
「うむ、昔からノイッシュは子犬とか子猫とかが大好きだったからな」
 アーダンが納得したように頷く。
「なるほどな。それならなおさらだ。早く出しちまえ、アーダン。かわい子ちゃんを見せびらかして堅物を籠絡してしまえ」
「お、おい、やめろって」
 ノイッシュが止めるのを聞かず、アーダンは懐から何やら取り出した。
 騎士たちの身体が重なり合っていて、アイラの位置からはその物体はよく見えなかった。だが、きゅうきゅうと鳴く幼い動物の声が風に乗ってかすかに聞こえてくる。
「こいつは……確かに」
 アレクが軽く口笛を吹く。
「破壊力抜群だな、おい。まるっきり子犬……いや、普通の子犬よりもかわいいんじゃないか。ちょっと俺に貸してくれ」
「おう」
 アレクはアーダンから幼い獣を受け取ると、無造作にひょいと首筋をつまみあげた。
「ああ、そんな持ち方するんじゃない。不安を感じて怯えてしまう」
 ノイッシュが慌ててアレクをたしなめる。
「なんだお前、なんだかんだ言ってお前が一番かわいいと思っているんじゃないか?」
「……ああもう、そうだよ。だが、かわいいからって無責任に野生の獣を飼うわけにはいかないだろう。まったく人の気も知らないで……」
 ノイッシュは苦り切ったような調子で応える。だが、横眼でちらちらとアレクの手の中の子狼を眺めるその表情は、口調とは裏腹に完全に緩みきっている。
(面白いやつらだ)
 狼の子にも興味を惹かれたが、三人の騎士のやり取りがなんとも可笑しくて、アイラはすっかり見入っていた。
「ねえ、それ何?」
 黒髪の少年が三騎士に歩み寄り、声をかけた。
「シャナン様」
(うかつだった。つい気を取られ、シャナンから目を離してしまっていたとは……)
 アイラは心の中でおのれに対し毒づき、シャナンと三騎士のほうに歩み寄る。
 シャナンの問いかけに、アレクが応えていた。
「狼の子どもです。地元の民の要請に応え、狼狩りに行ったのですが、巣穴の中でこいつを見つけたんですよ」
「ふうん。ねえ、ちょっと触ってみてもいい?」
 シャナンはもじもじしながらも、いかにも興味津々といった表情で問いかけた。
「いいですよ、どうぞ」
 アレクから子狼を受け取ったシャナンは、おそるおそる幼獣を胸元に引き寄せ、そっと抱きしめた。
 きゅう、と頼りなげな声を出し、子狼はもぞもぞとシャナンの腕の中で動いた。
「わあ……」
 ぎこちなく抱きしめようとするシャナンに、ノイッシュが声をかける。
「左手を尻の下に添え、右手を軽く胴のあたりに置いてシャナン様の胸元につけるようにしてみてください。まだ巣の中で母親にくっついているばかりだった赤子です。何かに密着していないと不安に思いますし、自分では体温の調節もうまくできません。なるべく体を冷やさないように、しっかりと温めてやってください」
「うん」
 シャナンは言われたとおりに子狼を抱きなおし、その姿をうっとりとした表情で眺めた。
「まだ、目、開いてないんだ」
 アーダンが応えた。
「そいつくらいの幼さでないと、人には懐かないのだ。犬と違って野生の獣だから。生まれて十日ほどの、乳離れしきらず、目も十分に開かぬほど幼い狼ならば、飼いならすこともできなくはない」
「ねえ、こいつどうするの? 飼うの?」
 シャナンの問いかけに、三騎士は顔を見合せた。
「アーダンはそのつもりで連れてきたらしいんですけどね、ノイッシュは反対みたいです」
 アレクがノイッシュのほうをちらちら見ながら応えた。
「反対って……じゃあ、こいつ、どうなるの?」
「それは……」
「……殺しちゃうの?」
 小さな声でシャナンがつぶやく。
「……幼くとも、そいつは狼です。人と狼は、通常であれば相容れぬ存在です。人間を、我々の仲間を守るためには、そのような判断をしなければならないかと……」
 言い淀みながら、小さな声でノイッシュが応えた。
「そんな……」
 シャナンは泣き出しそうな表情でつぶやいた。
「だが、慣らせないわけではないのだろう?」
 思わずアイラは声をかけていた。
「アイラ様?」
「わたしからも頼む。できればその狼を飼ってみてはもらえないだろうか。手伝えることがあれば手伝おう」
「しかし……」
 ノイッシュは眉根を曇らせて、アイラの顔を見つめた。
「シャナンが自分から何かを望むのはそうあることではない。できれば叶えてやりたいのだ」
 イザークにいた頃はそうではなかった。シャナンは素直で屈託のない、普通の子どもだった。だが、逃亡生活の中でシャナンは自分を抑えることを覚え、今では子どもらしいわがままを口にすることは稀になっている。アイラを困らせまいとして、年不相応な気遣いをするシャナンを見るのは、アイラにとってつらいことだった。
「……シグルド様にお伺いしましょう。私では判断いたしかねます」
 考え込みながら、ノイッシュはそう応えた。

「よいのではないか?」
 執務室に押し掛けた一行に、シグルドはあっさりと応えた。
 わあ、と、シャナンは狼を抱きしめたまま、歓声を挙げた。
 ノイッシュが、一言一言確かめるように、言葉を連ねる。
「しかしシグルド様、これは危険と隣り合わせです。半年もすれば、この子狼も殺傷力を持った獣に育ちます。その時点でしかるべきしつけができていなければ、大変なことになるでしょう。それに、乳離れしていない狼の世話は手間のかかるものです。当面はほぼそちらにかかりきりになり、本来の仕事を果たす暇すらなくなってしまいます。一、二週間もすればそこまでではなくなるでしょうが。そのあたりは、いかがすれば」
「幸いというべきか、今は戦争も一段落ついており、急務に追われているわけではない。戦後処理もほぼ片付いたはずだ。もうすぐエバンスに移動する予定はあるが、軍の再編成は追々行っていけばよいだろうし。一、二週間程度なら、アーダンが狼の世話にかまけていたとしても、そこまで大きな支障を来たすこともあるまい。そして、狼を飼う危険、と言う点に関しては、アーダンを信頼するより他はなかろう」
「その点に関しては、何とかなります。いや、何とかしてみせます」
 アーダンが一歩踏み出し、力強く言い放った。
「ノイッシュは少し、危険を強調しすぎているように思う。その気持ちはわからないではない。狼を飼いならすことは賭けの要素の強いものだから。だが、危険を冒す価値があるものだ、と俺は思っています。やらせてください。後悔はさせません」
「うむ、任せたぞ。ノイッシュもそれでいいな?」
 ノイッシュは息をつき、応えた。
「わかりました。決まったからには最善を尽くしましょう」
「さて、アイラ王女、聞いた通りだ」
 シグルドはアイラの上に視点を定め、云った。
「この決定は、シャナンの意を汲んでのことでもある。よって、あなたにも協力を仰ぎたいのだが、いいだろうか?」
 アイラは即座に快諾した。
「無論だ。わたしももとよりそのつもりだ。力を貸せることがあるなら何なりと言って欲しい」
「そうか。では、当面、歩兵部隊の兵士たちの訓練をアーダンに代わって行ってはもらえまいか? あなたならば適役と思うが」
「わかった。わたしでいいならば務めさせてもらおう」
 アイラの言葉にシグルドは大きく頷くと、アレクの上に視線を移し、云った。
「さてと、アレク。お前にも頼めるだろうか?」
「私ですか? かまいませんが、どのようなことを?」
 急に名前を挙げられ、アレクは姿勢を正した。
「歩兵部隊の再編成と名簿作成の補助を。急務ではないが、なおざりにできるものでもない。アーダンを手伝ってやってくれ」
「わかりました」
「私は何を……」
「いや、ノイッシュ、お前には今でも負担をかけ過ぎているほどだ。戦後処理に始まって軍全体の統括、バーハラやシアルフィ本国との各種の交渉、それに加えて私の婚礼の準備など、本当によくやってくれている。これ以上仕事を増やしては、それこそ寝る間もなくなってしまうのではないか。この件に関しては他の者に任せておけばいい」
「……お気遣い、痛み入ります」
「さてとシャナン」
 シグルドに声をかけられ、シャナンは背筋を伸ばし、顔を上げた。
「ノイッシュが言っていたように、狼を慣らすのはたやすいことではない。必ずアーダンの指示に従うことを約束してほしい。ちょっとした手違いで、お前自身のみならず、他の者をも危険に陥らせるかもしれないことを、忘れないでいてくれ」
「うん、わかったよ」
 シャナンは元気よく応え、腕の中の子狼をそっと抱きしめた。

↑INDEX /↑TOP / NEXT→


written by S.Kirihara
last update: 2014/12/04
inserted by FC2 system