二次創作小説

狼の子

2.

「ねえ、こいつの面倒を見るの、僕にも手伝わせて」
 シャナンがアーダンに懇願していた。
 シグルドの執務室から退室すると、ノイッシュとアレクはそれぞれの任務に戻った。残ったアイラたちは、猟犬小屋のある一角に移動していた。
「ふむ。いずれは頼もうと思う。だが、当面は俺に任せておいてくれないか」
 シャナンは不服そうな表情でアーダンを見上げる。
「そいつはまだ目も開かず、乳離れもしていない。要するに赤子なのだ。世話も面倒なだけで、さほど面白いわけではないぞ。しばらくは乳を与え、好きなだけ寝かせておいてやらなくてはいけない。だが、すぐに遊び盛りの腕白になる。シャナンの手を借りるのは、それからのほうがいい」
「そっか……。でも、様子を見に来るくらいはいいよね? 邪魔はしないから」
「おう、もちろんだとも」
 アーダンはにかっと笑い、シャナンの頭をその大きな手でわしわしと撫でた。
「さて……飼うとなれば名前を決めてやらないといけないな」
 ふと思いついてアイラは尋ねた。
「そういえば、その狼は雄雌どちらなのだ?」
「言われてみれば確認していなかったな。シャナン、ちょっとこちらに渡してくれないか?」
 シャナンから狼の子を受け取ると、アーダンは腹を自分のほうに向け、しげしげと眺めた。
「ふむ……こいつは雌だな」
「なんだ、女なのかあ」
 シャナンががっかりしたような口調で云う。
「雌は嫌か?」
 アーダンは手の中の子狼を優しく抱きなおし、シャナンに云った。
「んー……」
 アーダンの問いかけに、シャナンは少し考え込む。
「嫌ってわけじゃないけど、男のほうがなんか強そうだし」
「確かに雄のほうが体がでかくなることが多いが、雌だから雄よりも弱いということはないぞ」
「そうかなあ」
「シャナン、アイラと俺のどっちが強いと思う?」
「えっと……」
 シャナンは困ったような表情を浮かべて、アイラとアーダンを見比べる。
「アイラのほうが強いだろう? なに、俺に遠慮はいらんぞ」
「あ……う、うん」
 ためらいがちに頷くシャナンを見ながら、アーダンは愉快そうに笑った。
「まあ、狼の世界でもそういうものだ。だから雄より弱いと決めつけてがっかりすることはない。雌のほうがおとなしくて賢く、育てやすいかもしれんしな」
「女のほうが賢いの?」
 シャナンがちょっと不満そうに応えた。
「たぶん……な。俺も正直よくわからんが、何となくそう思っている」
「ふうん」
 シャナンはあまり納得していない表情で頷いた。
「さてと、雌だとわかったからには、女らしい名前でいいのをさがしてやらないとな。何かよさそうなのはないか?」
「うーん……」
「早めに決めてしまわないと、適当に『チビ』とか『毛玉』とか呼ばれて、それがそのまま名前になってしまうぞ」
「お前が決めてしまえばいいのではないか? アーダン」
 アイラの言葉に、アーダンは首を横に振る。
「俺はそういったのは苦手だ。教養もセンスもあまり持ち合わせておらんのでな。それに、この子狼を手元に置くことができたのはアイラたちのおかげだ。できれば名前もつけてはくれないか」
「わたしも、そういうのはあまり得意ではないのだが……」
 言いながらアイラはアーダンの腕の中の子狼を眺めた。今は落ち着いているのか、小さな獣の子は声も立てずおとなしく丸まっている。銀色がかった灰色の毛並はまだ産毛であるらしく、ふわふわとして柔らかそうだ。狼、という言葉から連想されるような猛々しさは微塵もなく、ただひたすらに小さく、頼りなく、愛らしい。先ほどアーダンが例に出した『チビ』とか『毛玉』とかが似つかわしい存在だ。
(灰色……いや銀色か……)
「……アリアンロッドというのはどうだろう? イザークの古い女神の名だ。『銀の車輪』という意味らしい。美しく、優しく、そして強い女神だ」
「ふむ……日頃呼ぶには少し長いような気もするが、悪くはないな」
「うん、僕もそう思う」
 シャナンが首肯する。
「他になければ、それにしよう。アリアンロッド……美しく、優しく、強い女神か。お前のようだな、アイラ」
「なっ、何を言う」
 思わずアイラは赤面した。アーダンにはアレクのような口の軽さはない。そんな男が真顔でさりげなく自分を賛美する言葉を口にした。
 気恥ずかしさを隠すために、アイラは違う話題を探し出そうとする。
「そういえばアーダン、なぜお前は犬や狼の育成に詳しいのだ?」
 それは先ほどから感じていた疑問だった。
「もともとは、それが俺の仕事だったからな」
 アーダンは、少し考え込むような様子で応えた。
「俺は、ウシュナハ卿――ノイッシュの父上に当たる方だ――に仕える犬飼いの息子として生まれた。十二歳の時、縁あってシアルフィ公爵バイロン様の目に留まり、殿様のもとで騎士としての修行を積むことを許されたのだ」
 何となく得心がいった。アーダンは他の騎士たちとはどこか毛色が違う。それは、生まれ育ちに起因するものであったのだろう。
「だから俺は、未だにあまり礼儀作法が身についてはおらん。学もない。賤しい生まれの者と、俺を蔑む者もいる」
「何を言う。お前は立派な騎士ではないか」
「今、シグルド様に従ってともに行軍している連中は、若く気心も知れているせいか、俺を軽んじることはない。そのお陰で、俺も騎士らしい体面を保つことができている。だが、シアルフィ本国のお偉方にとっては、俺は未だに成り上がり者の犬飼いの小せがれなのだ」
「アーダン……」
 出すべき話題ではなかったのか。アーダンにとっては、その出自は触れてほしくない部分であったのかもしれない。
「まあたまに、ノイッシュが俺に気を遣いすぎているのが、やりにくいと感じる時もあるのだが……」
「そう……なのか?」
「もとは領主の息子とその家に仕える犬飼いのせがれだったからな。以前は昔の癖でついうっかり坊ちゃまとかノイッシュ様とか呼びそうになって、そのたびにあいつから咎められたものだ。もう同格の者なのだから、呼び捨てにするようにと。だが、あいつが俺を呼ぶ時は、名前は呼び捨てにするが、絶対に『お前』とは言わず、『君』と呼ぶ。アレクとは普通に『お前』と呼び合っているのにな。そのわずかな隙間が、たまにもどかしくはある」
 そう語るアーダンの表情は、どこかさびしそうだった。
「……難しいものだな」
「ノイッシュといえば、先ほど、あいつがこの狼を処分するよう言っていたことをあまり悪く取らないでほしい。あれは無理からぬことだったのだ」
「それはそうだろう。彼の立場では、皆の安全を第一に考えるのは当然だから」
「それもあるが、あれは個人的な思い出も手伝ってのことなのだと、俺は思っている」
「……ふむ?」
「十五年ほど前のことだ。ウシュナハ卿の犬舎で、狼の子を飼い慣らしていたことがあった。俺は親父の見習いとして、そいつのしつけに関わっていた。ノイッシュは、さっき見た通りだ。基本的に動物好きだからな。しょっちゅう子狼を見に来てはかわいがっていた。狼もあいつによくなついていたよ。だが、狼がおとなになりかけたとき、事故が起こった。動物の扱いをわきまえぬ人間が戯れに手を出し、狼を邪険に扱ったのだ。狼は怒り、その人間に襲いかかった。服従の訓練が足りなかったと見なされ、狼は処分されることになった。仕方のないことではあった。普通の犬であっても、人に服従しないものは存在を許されないのだから。だが、狼であったがゆえに、その判断の基準は通常の犬よりもかなり厳しかったと言わざるを得ない。ノイッシュは、つらかったのだろうな。半年以上も情をかけ、育て上げ、そのあげく人間の基準に合わなかったという理由で殺さざるを得なくなる。その、やり場のない想いを知っているからこそ、同じことが起こりかねない危険を冒したくはなかったのだろう。幼いシャナンに、かつての自分のような気持は味わわせたくはなかったのだろう」
「だが、お前も同じことに直面したのだろう。お前はこの子狼を飼うことを望んだ。それはなぜなのだ?」
「賭け、だからかな」
「どういうことだ?」
「何かを為そうとする時、それが成功するかどうかは、最後は賭けのようなものだ。全力を尽くしたとしても、な。特に狼の子を育てることなどは、その狼の気質によっても、置かれた状況によっても、まったく違ってくる。ならば、よいほうの可能性を信じてみたいと思った。いずれにせよ、こいつは放っておけば死んでしまう。親は我々が狩ってしまったのだから」
 今まで見ないようにしていた事実をふと突き付けられ、アイラはどきりとする。そうだ、そもそもこの子狼が親を失い、人間に拾われるはめになったのは、我々が親を狩ったからなのだ。
 その事実をありのままに受け止め、淡々と口にするアーダンは、自分が思っていたよりも懐の大きな人物なのではないか。ふとアイラはそう思った。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/12/04
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