二次創作小説

剣持つ乙女

1.

 なんだろう、この感じは。
 ハイライン王子エリオットと対面したラケシスは、突如としてこみ上げてきた嫌悪の念にとまどいを隠せなかった。
 生理的に受けつけない、とでも言えばいいのだろうか。彼のどうということのない言葉やしぐさが、なぜかどうしようもなく癇に触り、我慢しがたいもののように感じられてしまう。
「お初にお目にかかります。ノディオンのラケシス王女」
 エリオットはラケシスの右手をとり、型どおりの接吻を与えた。
 その手に触れられただけで、不快感のあまり思わず手を引っ込めたくなった。
 エリオットの手は中途半端に冷たく、ぬるりと汗ばんでいた。まるでなめくじに触れてしまったような感覚に襲われ、ぞくりと鳥肌が立つ。
 その唇が軽く触れただけで、振り払いたい衝動に駆られた。異臭を放つ腐敗物を押しあてられて穢されたような心持ちがしたのだ。だが、こみあげてきたその衝動を、ラケシスは危ういところで抑え込む。
 こんなことは初めてだ。
 見た目がよほど醜いとか、そのふるまいが下劣であるとか、そういったはっきりした理由のある嫌悪ならばまだよかった。何に原因を発しているかが明らかならば、理性で嫌悪を抑え込むことも難しくはない。
 エリオットは確かに際立った美男子ではないが、二目と見られぬほどに醜いわけではないし、清潔で瀟洒な身なりをしている。その外見には、とりたてて嫌悪を感じる要因があるようには見えない。そして人柄に関しては、まだ何の手がかりもないような状況だ。
 にもかかわらずこみあげてくる、理性では制することができない、あたかも本能で嗅ぎ分けたかのような『虫の好かなさ』に、ラケシスは当惑するばかりだった。
 どうしたらいいのだろう。
 エリオット王子は是が非にでも受け入れなければならない相手なのに。彼はラケシスの――将来の夫になるかもしれない人物なのだから。
 暗澹たる思いを抱えて、ラケシスは誰にも気取られぬよう、そっと心の中で嘆息した。

 グラン暦七五六年、初冬――

 ハイライン城で催される舞踏会の招待状がノディオンに送られてきたのは、先々月のことだった。
 招待状には、ノディオン王エルトシャンとその妻グラーニェに加え、王妹ラケシスの名も記されていた。
 ラケシスはこの秋で十五歳になった。
 ラケシスの社交界へのデビューは、この冬に王都アグスティで催される新年の宴が予定されていた。デビュー前の貴族女性が他国の舞踏会に招待されるというのは、あまり例のないことである。だが、近年のノディオンとハイラインの関係を考えると、両者の間に密な繋がりを結び直すことが求められているのは明白だった。ハイラインの王子エリオットとノディオンの王妹ラケシスを娶わせるべきではないかという話は、以前からひそかに囁かれていた。今回の招待も、そのような状況を踏まえてのものだろう。

 ハイラインの申し出はノディオン城主エルトシャンにとってすすんで受け入れたいものではなかったが、拒絶することもためらわれるものであった。
 大国グランベルと国境を接するノディオンを領有し、魔剣ミストルティンの継承者でもある若きノディオン王は、アグストリア諸侯連合の諸王家の中にあって、やや異色な存在である。
 グランベルとアグストリアはともに十二聖戦士を祖と仰ぐ国であり、本来ならばいわば同志と呼ぶべき間柄であるはずだった。だが実際には、建国以来、両国は幾度となく干戈を交えている。ただこの近年は、平和を好むグランベル王アズムールと、賢王と評されるアグストリアの上王イムカの尽力により、戦らしい戦もない平和な日々が守られてきた。だが、アグストリアの内部には依然、グランベルの下風に立つのを潔しとしない風潮がある。

 そんな中にあって、ノディオン王国は一貫してグランベルとの協調路線を採り続けてきた。
 ノディオンの現国王であるエルトシャンは、かつてグランベルに留学していたことがある。青春を過ごしたグランベルの王都バーハラで、エルトシャンは次代のグランベルを担う若い貴族たちと交流を持った。中でも、シアルフィ公子シグルドは、エルトシャンにとって親友と呼ぶべき存在となっている。彼らと敵対することは、エルトシャンにとって決して望ましいことではなかった。
 ノディオンのエルトシャンはグランベルとの協調を望んでいる。しかし、ノディオンと接するハイライン王国は、むしろ反グランベルを強く打ち出し、事あるごとにグランベルに攻め込むことを提唱してきた。だが、ハイラインがグランベルに侵攻するためには、間にあるノディオンを通過しなければならない。ノディオンの同意なしにグランベルとの戦端を開くのは、ほぼ不可能と言ってもよかった。

 こういった国同士の事情をラケシスは理解しているつもりだった。
 先代ノディオン王の私生児として生を享けた彼女は、八歳の時、正式に王女として認知され、ノディオン王家に迎え入れられた。しかし、エルトシャンの母である正妃レオンティーヌは夫の不義の子であるラケシスの存在を認めようとはしなかった。そのような状況にあってもラケシスはしなやかに、そして賢明に対処しつつ、ノディオン王家の姫にふさわしい貴婦人として成長していった。

 ラケシスは自分が王家に迎え入れられた理由をよくわきまえていた。
 ヘズルの血を継ぐ者として、ノディオン王家――ひいてはアグストリアの発展につながる家に嫁ぎ、子を成す。自分が姫としてかしずかれているのは、聖戦士の血を引く家系の娘であるからこそだ。嫁いでその血を後代につなぐこと――それが『王女』としての自分に与えられた最大の任務なのだ。
 であれば、彼女の夫として望ましい相手はハイラインのエリオット、もしくはアグストリアの王子シャガールであろう。ミストルティンの継承者がノディオン王家に移って以来、ノディオンの血を引く女性はことさらにアグストリア諸侯連合内の他の王家から望まれる存在となっていた。だからこそ、エルトシャンとラケシスの父である先王マルクは、あえて私生児を正式な王女として迎え入れたのだ。

 ラケシスは実父を許しきることができなかった。ラケシスの実母を捨て置き、正妃をないがしろにし、それでいて自分の都合でラケシスを王族に迎え入れた父王に対して、王族として理解を示すことはできても家族としての情愛を傾けることができなかったのだ。
 だが、兄エルトシャンに対しては、敬意と強い愛情を抱いていた。大切な兄に尽くしたい、それこそが彼女の一番の願いだった。
 だから、兄の立場をよりよいものにするために、すすんで他家に嫁ぐつもりだった。兄の役に立つことこそが自分の幸せなのだと思っていた。それなのに、目の前にいる夫候補に対し、得体の知れない嫌悪感をなぜか抱いてしまう。

 それは彼女にとっても予想外であり、まったく望まざる事態だったのである。

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written by S.Kirihara
last update: 2016/04/26
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