二次創作

失うべからざるもの

 彼は安らかに眠っていた。
 同じ部屋に宿泊しているテッドは、そっと彼の顔を覗き込んだ。
(疲れたんだろうな……無理もない。清風山の山賊退治をやってのけたんだもの)
 むろん、それは彼ひとりの業績ではなかった。だが、まだ戦いの経験の浅い彼にとっては、大きな仕事だったに違いない。
(山賊退治より、あの副官ヤローと付き合わなくちゃならなかったことのほうが、しんどかったかもな)
 愚かで自己顕示欲の強いカナンは面倒くさい相手だ。いちいちうるさい上に、その言動を耳にしているとどうしようもなく気力が萎えてくる。
 年少であっても一行のリーダーである彼は(カナンは自分こそがリーダーだと言い張っていたが、実際に皆がリーダーと認めていたのは誰だったかは言うまでもないことだ)、カナンとまともに関わらなければならず、ずいぶんとくたびれたに違いない。
(でもよかった。こうして無事に戻ってくることができて)
 いや、本当は無事だったとは言えないかもしれない。
 長年の戒めを破り、あの力を使ってしまったのだから。
 どくん。
 テッドは右手に脈動を感じた。
 久しく覚えることのなかった、だが忘れるはずもない、いまわしい脈動を。
(やはり……目覚めてしまったか)
 どくん、どくん……
 こうなるのではないかとおそれていた。
 テッドは手袋をはめた右手の甲をそっと押さえつける。
 魂を喰らうもの。呪われた紋章。
 生と死とをもろともに司り、あらゆる魂をむさぼるもの。27の真の紋章の中でも、特に恐るべき力を持つ、宿命の紋章。
(二百年の飢餓。お前があんなモンスターの魂程度で満足するはずがない。わかってたさ、そんなことは。でも……)
 ここ二百年ばかり、テッドはソウルイーターの力を使うことを極力拒んできた。それは、力の軌跡が敵を呼び寄せることを避けるためであり、紋章の邪悪な意志におのれが――そして周囲の人間が――巻き込まれることをおそれたためである。
 その力を使わなければ、紋章の意志力は後退する。紋章の意志――すなわち魂への渇望は、その喰らった魂の数が多ければ多いほど貪欲になる。紋章の持ち主となった最初の百年で、テッドは身をもってそのことを知った。だからたとえ紋章を追うウィンディの存在がなかったとしても、テッドとしてはなるべく紋章の力を使いたくはなかったのだ。
 それでも、あの時は他に選択肢がなかった。
 清風山の洞窟でクイーンアントに阻まれたあの時、どう考えても勝ち目はなかった。テッドの右手に刻まれた、ソウルイーターの力に頼る以外には。
 だがその結果、今再びソウルイーターは目覚め、新たな魂を欲しはじめている。
(もう、ここにはいられない……)
 なぜなら、彼をソウルイーターに与えるわけにはいかないから。
(目覚めてしまったソウルイーター。お前が次に欲するのはおそらくは彼の魂。俺の大切な人間をすべて奪ってきたお前。お前が彼に目をつけないはずはない)
 こんなに深く関わるつもりはなかった。こんなに情をかけるつもりはなかった。戦に荒れた国で平穏な日々を求め、ひとときの仮の宿として、マクドール将軍の保護を欲した。それだけだったはずなのに。
 これまでテッドは極力他人と関わることを避けてきた。真の紋章のひとつを宿している彼は不老である。見かけが子どもであるだけに、これは厄介な問題だった。成長期の子どもでありながら、いっかな成長する気配を見せないというのは非常に怪しげなことであり、そのため、テッドがひとつところに長く身を置くことは不可能に近かったのだ。テッドが真の紋章を所持しているという事実をおおやけにできるならば問題はなかったのだろうが、テッドから紋章を奪おうとする者が存在する以上、それはできない相談だった。
 だが、たとえ不老の問題がなかったとしても、テッドは他人を避けていただろう。なぜならテッドはおそれていたから。他人と関わることを。他人と心を交わすことを。
 ソウルイーターはその名のとおり、生きとし生ける者の魂をむさぼる。しかもソウルイーターは喰らう魂をえり好みする。ソウルイーターが好んで欲するのは、その宿主と深い関わりを持つ相手の魂だ。肉親、恋人、師父、親友……宿主にとって最も大切な、最も失いたくない相手をこそ、ソウルイーターは奪い取る。
 ソウルイーターを受け継いだあの日、紋章はテッドの故郷を焼き、親しい人々をすべて奪い去った。実際に手を下したのは紋章を求めるウィンディたちだった。だがソウルイーターの邪悪な満足感を、あのときテッドは確かに感じたのだ。そしてその後も、テッドと心を通わせた人間は必ずといっていいほど、悲惨な最期を迎えることになったのである……。
 だからテッドは孤独であろうとした。孤独でなければならないと思った。
 それなのに、テッドは彼に出会った。
 赤月帝国六将軍のひとりテオ・マクドールの息子である彼は、見たところごく普通の少年だった。
 だがその瞳に秘められた輝きに、テッドはえも言われぬ安心感を覚えた。
 言葉を尽くして語らずとも、言葉にできない事柄すらも感じあえる予感がした。
 そして、気がついたときには、彼はあまりにもテッドの近くにいた。
 こんなはずではなかったのに。戸惑いながらも、テッドは心のどこかで喜びを感じていた。
 三百年前にあきらめたはずの幸福が、今、目の前にあるのではないか。暖かい感情を自分に許すこと、人とともに生きること。もしかしたら彼ならば、秘密を分かち合うことすらできるかもしれない。彼ならば、ソウルイーターごと、テッドを受け止めてくれるかもしれない。不老の宿命も、紋章の飢餓も、もしかして彼ならば……。
 あまりにも甘い、と自分でも思った。彼はただの少年だ。テッドの中にある三百年の孤独を受けとめることも、紋章の飢餓に抗うことも、できるはずはない。彼を大切に思うならば、自分は彼から離れるべきなのだ。一刻も早く。
 もう立ち去るべき潮時だ、そう思ったことは何度もあった。だがそれでも、テッドは彼の許を去ることができないでいた。
 失いたくなかったから。この平穏を。この幸福を。
 だが、それももう限界だ。
 彼の命を救うために、テッドはソウルイーターの力を使った。久々に飢餓を満たした紋章は覚醒し、さらに多くの魂を要求している。
(グレッグミンスターに戻ったら、俺はまた旅に出よう。だけどそれまでは……せめてそれまでは……)
 テッドは彼の寝顔を見つめる。
 月影が照らし出すその寝顔は、あくまでも安らかだ。
 紋章を得て以来、テッドは失うばかりの人生を生きていた。
 紋章の魔力も不老の宿命も、与えてくれる以上に奪い取ることの方が多かったから。
 まだテッドにとって失いたくないものがあるとすれば、それは彼だ。
 彼が安らかに眠ることのできる、平穏な時間を守る。
 そのためならば、また孤独の日々に戻ることも意味のないことではない。
 失うべからざるものを守るためならば。

 ……彼にソウルイーターを譲り渡し、戦いの運命に誘うのが自分自身であることを、テッドはまだ知らない。

(2002/12)

幻想水滸伝の二次創作。幻想水滸伝が好きだったのは間違いないのですが、どういうきっかけで書いたんだっけ……?

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柊館
written by S.Kirihara
last update: 2016/08/28
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