白い花の記憶
Act. 2
3.
翌日、アイラはセタンタたちの逗留している銀鈴亭におもむいた。セタンタを見舞うためである。
出がけに森に立ち寄り、あの白い花で小さな花束を作った。手ぶらで見舞いに行くのは気が引けたが、気のきいた見舞いの品などは思いつけない。そんなときに思い出したのが、昨日、セタンタの手に握られていた、あの白い花だったのだ。
(少しは元気になっただろうか)
昨日の様子を見ているだけに、どうも気がかりでならない。まともに歩けないほどの高熱を出していた上に、帰りついた先にいたのがあのブラァンだったのだ。きちんと養生すればたいしたことのない病だったとしても、あれでは体を休めることすら難しいのではないか。
不安な気持ちを胸に、アイラは銀鈴亭の扉を開けた。
「これは……アイラ姫」
宿の亭主はアイラの姿をみとめると、愛想よく声をかけてきた。
「セタンタに……ソファラの者に会いにきたのだが」
「ソファラの方々ですか。それならば二階すべてをお使いになられています。
あの金髪の少年なら、階段から向かって右の三番めの部屋に泊まっていたはずですよ」
「そうか。ありがとう」
礼もそこそこに、アイラは階段を上る。
セタンタがいると教えられた部屋の前に立つと、内側から話声が聞こえてきた。
立ち聞きしては悪いかと思いつつも、扉をノックするタイミングをつかもうと、アイラはそっと聞き耳を立てた。
話し声の主は、ブラァンであるようだ。
「……まったく、お前には世話の焼けることだ。ついてきたいと言い張るから連れてくれば、勝手に倒れ、面倒をかける。
しかも病であることを逆手にとって、マリクル王子やあの王女の歓心を買おうとはな。自分を売り込める機会はけっして見逃さない。メス犬の子はやることが違うな」
「違う……」
「なにが違うというのだ。汚らわしい妾の子が! メス犬の息子はやはり犬というわけか。あの姫に気に入られ、ゆくゆくはイザーク本家に入り込むつもりであったのか?
森の中で剣の練習などと申していたが、使ったのは木刀だけか。誰も来ぬ深い森の中、若い男女が行うことが剣をあわせるだけであったと誰が思うものか。
あわよくば別の剣も使い、あの娘をおのがものとしようとでも考えていたのだろう。乳臭い小娘であっても、イザークの王女には違いあるまい。手に入れて損のない相手だからな」
バン、と勢いよく扉を開け、アイラは部屋の中に踏み込んだ。
「セタンタはそんなことはしない!」
怒りで血が逆流しそうだった。ブラァンが何をほのめかしているのか、アイラは正確にはわからなかった。だが、彼が口にしたことがひどい屈辱――セタンタにとって、そしてアイラにとっても――であることは見当がついた。
「セタンタは、ただ本当に、わたしの剣の練習につき合ってくれたのだ。それをお前はなにか……なにか違うもののように言う」
ブラァンは作り笑いを浮かべ、聞き分けのない子どもをなだめるような口調でアイラに語りかける。
「姫、立ち聞きされるとは無作法な。そのようなふるまいはほめられたものとは言えませぬな」
「うるさい!」
アイラは手にしていた花束をブラァンに投げつけた。花はブラァンの顔面にあたると、ばらばらと床に落ちる。
「な、なにを……」
ブラァンはあっけに取られたような表情を浮かべた。だが、アイラはブラァンの反応を意に介しもせず、背に負った剣を鞘ごと引き抜くと、切っ先をブラァンののど元に突きつけた。
「お前に決闘を申し込む」
低い声で、だがきっぱりとアイラは言い放った。
「アイラ、いけない!」
ブラァンが反応を返すよりも早く、寝台に横になっていたセタンタが身を起こして叫んだ。
「決闘などと……そんなことをしては……」
アイラはブラァンに剣を突きつけたまま、セタンタに答える。
「お前は腹が立たないのか、セタンタ。こいつはお前を……いや、わたしを侮辱した。このまま黙って引き下がれるか!」
「腹は立つ。だが……」
セタンタが言葉を発しかけたとき、それまで呆然としていたブラァンが口を開いた。
「何のつもりですか、姫君。決闘だなどと……。私は女子供に剣を向けるようなまねはいたしませんぞ」
「臆したか!」
激昂して詰め寄るアイラに、ブラァンは冷ややかに答える。
「臆する? どうしてこの私が」
「ならば尋常に立ち会え。私とてもイザークの剣士。剣の道に生きる者だ。剣士はおのれが受けた屈辱はおのれの手でそそぐものだからな。
女子供に向ける剣はない? なるほどわたしは女だ。子どもだ。だがわたしはその前にひとりの剣士だ。剣士としての誇りを持つ者だ。
恥を知る心あらば、わたしと立ち会え。四の五の言って逃げようとするならば、わたしはお前を女の剣を恐れた臆病者と考え、皆にもそう告げてまわることとしよう。
ソファラのブラァンは十二歳の小娘に敗れることを恐れ、剣を合わせることを避けた腰抜けだと」
「そこまで……言われるか」
ブラァンの表情が変わった。皮肉な冷笑は消え去り、薄い唇を引き結んでアイラを正面から見据える。
「……よろしい。ならば決闘を受けよう。
受けた以上は私も手加減などはいたしませぬ。それでよろしいか、アイラ姫」
「望むところだ」
アイラはにっと笑った。
「やめ……やめてくれ、ブラァン。イザークの姫と決闘など。父う……コナル卿が知ったら……」
セタンタがブラァンにすがり、懇願した。だがブラァンはセタンタの手を汚らわしそうに払いのけた。
「何という口の利きようだ、セタンタ。下僕の分際で私を呼び捨てにし、あまつさえ指図しようとは!」
そのときだった。
「何を騒いでおる」
部屋の入り口から叱咤の声があがった。
驚いて振り向いたアイラは、そこにひとりの男の姿をみとめた。
老人と呼ぶにはいささか若いが、熟年と呼ぶには枯れた印象の男性である。その容貌は総じて温和な印象を与えるが、ただその瞳のみは炯々と輝き、見るものを圧する力を宿している。
「父上……?」
ブラァンは驚いたようにつぶやいた。
「ふむ……なにやらただならぬ様子だが……」
男――ソファラのコナルは部屋の様子をじろりと見わたし、口を開いた。
「そちらの娘御はなぜ、わが世継ぎののど元に剣を突きつけておるのか。鞘のついたままとはいえ、ただごととは思われぬ」
アイラははっとして剣を引き、コナルに一礼した。
「失礼いたしました、コナル卿。わたしはイザークのアイラ。ただいま、これなるブラァン殿に決闘を申し入れていたところでございます」
「なに……決闘とな」
コナルは白く太い眉をかすかに上げた。
「はい。ブラァン殿はわたしとセタンタを侮辱されました。受けた屈辱はそそがねばなりますまい。さいわいブラァン殿もわが申し入れをお聞き届けくださいました」
「アイラ姫とセタンタを侮辱……どういうことなのだ、ブラァン」
「……姫の勘違いにございます。私はただセタンタの愚行を叱責しておりましただけなのですが。
何を勘違いなされたのか、姫は突然この部屋に入ってこられ、私にあらぬ雑言を。
黙って聞き流すべきではあると思ったのですが、あまりの言葉に私としても引くことができなくなりまして、やむなく……」
「嘘だ」
アイラは激しい調子で言った。
「ただ愚行を叱責していただと。わたしが勘違いしてあらぬ雑言をだと。
セタンタを、セタンタの母上を、お前が何と呼んだか、わたしは確かにこの耳で聞いた!
それだけではない。このわたしについても、なにか汚らわしいことを」
「セタンタの母を。ブラァン、そなた……」
コナルはブラァンを厳しい顔で見つめた。
「そなた、やはり」
「……下僕を下僕と呼んで、何が悪いのですか」
ブラァンは吐き捨てるように言った。
「そもそも父上が悪いのです。あのような賤しき女を連れ込み、そして生まれた子どもを手元でいつくしむ。犬の子は所詮犬。高貴なるオードの血族に立ち混じることなど許されるべきではないのに」
「そんなの、おかしい!」
アイラは叫んだ。
「セタンタの母上がどんな方なのかなんて、わたしは知らない。だけどセタンタはわたしに親切にしてくれた。剣の腕だって優れている。ソファラの秘剣を――月光剣を――使いこなしているんだから。
セタンタに何の罪がある。咎がある。その身を流れる血がそんなに問題なのか。
わたしだって、オードの末裔であることを、イザークの姫であることを誇りに思っている。その血に恥じない存在でありたいと思っている。だけど、だけど……」
しゃべるうちにどんどん頭に血が上ってきて、何を言っているのかわからなくなってくる。
「だけど、それだからといって、自分が他人を踏みにじっていい存在だなんて思えない。お前の言うことは何かが違っている、ブラァン」
「姫のおっしゃるとおりだ」
コナルは重々しく呟いた。
「ブラァンがこのような仕儀に出るとは、わが不徳のいたすところ。お詫び申し上げる、姫よ……」
そう言ってコナルは深々と頭を垂れる。
「そんな……わたしに頭を下げないでください。コナル卿。あなたに謝っていただくいわれはない」
「姫は……あくまで愚息との決闘を望まれるか」
「それは……」
コナルの浮かべた沈痛な表情に、アイラは言葉を詰まらせた。
「……いや、姫のお心はごもっとも。したが、主筋にあたるイザークの姫にわが愚息が剣を向けるなど、あってはならぬこと。すくなくともこの私にとっては絶えがたきことなのだ、姫よ。この老骨に免じて、どうか……どうか剣をお収めいただきたい」
「コナル卿……」
あらためて頭を垂れるコナルを、アイラは困惑の表情で見つめるばかりだった。
「どうか、顔をお上げください。あなたにそのようなことをさせるわけには……わたしは、ただ……」
自分は何と配慮のない、愚かな子どもに過ぎなかったのだろうと、アイラは気づく。
ブラァンの言動は確かに腹立たしかった。だが、ソファラの領主に頭を下げさせるつもりなどなかった。しかし自分はイザークの王女であり、決闘を申し込んだ相手はソファラの世継ぎだった。それがどういう意味を持つのか、考えもしなかったのだ。コナルに頭を下げられるまでは。
イザーク王家とソファラ領家は同じオードの血脈に連なる同族ではあるが、それぞれに城を構え独自の勢力を有している。イザークを主家と仰いでいるものの、世継ぎたるブラァンに万が一のことがあれば、ソファラに仕える者たちは黙ってはいまい。また、逆にアイラが倒れた場合、イザークはソファラに対してどのような措置をとるであろうか。
オードの血脈がひとつであることを公的に示していくこと、それはイザークの平和を維持するためにアイラたちに課せられた義務であったはずだ。イザークの姫も、ソファラの世継ぎも、公人としての側面を持つ。その二人の反目はたとえ個人的なものであったにせよ、一歩間違えばイザークという国そのものを巻き込んだ内乱に発展しかねない要素を含んでいる。
そのことを知らなかったわけではない。しかし怒りに身を任せたあの一瞬、そんなことはアイラの頭から消え去っていた。
だが今、アイラに頭を下げるコナルを目にして、アイラは自分のふるまいがもたらしかねない事態に慄然とする。
「……お許しください。愚かな、子どもじみた振る舞いをしてしまいました」
長い沈黙のあとで、アイラはようやく言葉をつむぎ出した。
「ブラァン殿の言葉は、わたしにとって腹立たしきもの。ですが、後先考えず決闘に及ぶなど、あまりにも浅はかでした。
ブラァン殿、子どもの戯言としてお見逃しください」
こんな奴に詫びなくてはいけないなんて!
胸のうちは煮えたぎるようだ。だが、自分の愚行で無益な争いを招くわけにはいかない。
コナルは安堵したように大きく息をついた。
「よくぞおっしゃってくださった、姫よ。
ブラァンもそれでよいな?」
「父上がそうおっしゃるなら……」
苦虫を噛み潰したような表情で、ブラァンが応える。
「ではこの場で起こったことには以後触れるまい。
若きイザークの姫よ、お気持ちを抑え、諍いを避けてくださったことに、改めて感謝申し上げる」
コナルはアイラに対し、深々と頭を下げた。
「ところで、姫はセタンタを見舞ってくださったのであろう?
我々はこれにて退出するゆえ、ゆっくりお話ししていかれるがよい。
ブラァン、お前はこちらに来なさい」
静かだが逆らいがたい威厳を持って、コナルは世継ぎを促し、部屋から立ち去った。
アイラとセタンタのみが取り残された部屋に、静寂が訪れる。
(どうしよう。何を話せばいいんだ)
話の接ぎ穂を見つけられず、視線を落としたアイラの目に入ったのは、床の上に無残に散らばった白い花だった。
(しまった。せっかく摘んできたのに……)
アイラは腰を屈め、黙々と花を拾い集め始めた。
「……いやな思いをさせてしまった。すまない」
セタンタがささやくように呟いた。
「なぜお前が謝る!?」
花を拾う手を止めて、アイラは勢いよく顔を上げ、反駁した。
「謝らなくてはいけないのはわたしのほうだ。
無礼にも立ち聞きをし、騒ぎを起こしたのは私だ。
いきなり怒鳴り込んだり、立場もわきまえず決闘を申し込んだり……
なんて分別のない子どもだろう。自分でもイヤになる」
一度言葉を発すると、抑えていた感情が爆発しそうになる。
「どうしてわたしはこんなに幼くて愚かなんだ。
今日だって、お前を見舞いに来たはずだった。
なのに肝心のお前がゆっくり休むどころではない状況を作ってしまった」
「いや」
激しく言い募るアイラを制するように、セタンタが口を挟む。
「おれはうれしかった。お前が来てくれて。お前が怒ってくれて」
「セタンタ……?」
アイラは立ち上がり、セタンタの顔を見つめる。
セタンタはアイラの視線を避けるように横を向き、呟くように続けた。
「ブラァンの態度はいつものことだ。
おれという存在そのものが、あいつにとって邪魔なのだ。
……それに、ブラァンの言うことにも一理ないわけじゃない。
お前とふたりきりで森の中で剣の練習をしたこと。あれは軽率だと言われても仕方ない」
「どうして! お前はいやだったのか? 後悔しているのか?
子どものわがままにつきあって無駄な時間を過ごしてしまったと」
「そうじゃない!」
驚くほどきっぱりとセタンタが言った。
「いやなものか。後悔などするものか。
だが、おれとお前が人目に触れぬ場所でふたりきりになるということに、どんな意味が含まれているかを考えなかった。それはおれの落ち度だ」
「でも……」
セタンタはアイラの顔を正面から見据え、言葉を続けた。
「アイラ。お前は子どもなんかじゃない。若く美しい、身分ある娘だ。
だから駄目だ。森の中で得体の知れない男とこそこそ会ったりしてはいけない」
「身分ある娘! そんなものに生まれたかったわけじゃないのに」
「おれだって、ソファラの私生児などに生まれたかったわけじゃない。
だけど、仕方ないだろう。そう生まれついてしまったのだから」
「セタンタ……」
「そんな泣きそうな顔をするな」
「泣いてなんかいない!」
セタンタの顔にやわらかい笑みがひろがった。
「アイラ、お前に会えてよかった。
お前と会い、剣の練習をするのは本当に楽しかった。
だけど、もうその機会もないだろう」
「……もう、練習にはつきあってはくれないのか?」
「おれの体調のこともあるが、何より周りが許さないだろう。だからと言って隠れて会うような真似をすれば、周囲に知られたときにただではすむまい」
「そうか……そうだな」
「ありがとう、アイラ。お前と会えて本当によかった」
「本当に……そう思ってくれているのか?」
「こんなことで嘘をついてどうする」
「わたしもお前に感謝している。お前と会えて本当によかった。
流星剣はまだ身につけていないけれど、お前のおかげでずいぶんと近づけたはずだ」
「だといいな。
おれはお前が武術大会を勝ち進む姿を見たい」
「お前は武術大会には出られそうもないのか? やはり体が……」
「いや、体調はさほど悪くない。ただの風邪だ。
薬を飲んで一晩寝たらだいぶ熱も下がった。
だが、体調とは関係なく、もとよりおれは武術大会に出場するつもりはなかった。
マリクル王子をはじめとする名だたる勇者たちの剣技が見たくて、無理を言ってついてきただけだ」
「どうして! お前には参加できるだけの力が十分あるのに」
「おれがソファラの名を負って戦うのは、少し問題がある。わかるだろう?」
「ブラァン、あいつのせいか」
セタンタは頷いた。
「ブラァンが跡目を継ぎ、はっきりと立場が決まった後ならば問題ないのかもしれない。だが、今はきっといろいろと面倒なことになる。おれが晴れの舞台に出て人目を引くような真似は避けたほうがいい」
「皆の前で、お前と勝負してみたかったな」
「そうだな。おれも同じだ」
曇りのないまなざしで、セタンタはアイラをまっすぐに見つめ、微笑みかけた。
(え……)
なんだろう、これ。
(なんでこんなにどきどきするんだ。なんで)
今まで経験したことのない感覚だった。鼓動の音が周囲にまで聞こえてしまいそうなほどの、激しい動悸。
(どうしたんだ、わたし……)
狼狽したアイラは慌てて少年から顔を背け、自分の手元に視線を落とした。
「あ……」
手の中には、先ほど拾い集めかけていた、あの白い花があった。
「花、集めてしまわないと。せっかく摘んできたのにしおれてしまう」
急いで腰をかがめ、残りの花を拾い始める。
(とにかく、少し落ち着かないと)
床に視線を落としていれば少年と目を合わさずにすむ。目を合わさなければ、きっともう少し落ち着けるはずだ。
だが、どうしてこんなに動揺してしまうのかわからない。こんなことは、まるで初めてだ。
そんなアイラの様子を、セタンタは黙って見つめていた。
「これ」
拾い集めた花を、アイラは少年に差し出した。
「あそこに咲いてた花。手ぶらで来るよりはましかなと思って……
でも、やっぱり、ちゃんとした花束のほうがよかったかな」
「きれいな花だな。ありがとう」
「ただの野の花だぞ? 地味で目立たないし……」
「派手な花より、おれはこっちのほうが好きだ」
「そうか、そう言ってもらえてよかった」
少年は手を差し出し、アイラから小さな花束を受け取った。
渡そうとする瞬間、軽く二人の手が触れ合った。
(あ……!!)
治まりかけていた動悸が、また激しくなる。
「いい香りだな」
アイラの動揺に気づかないのか、少年はさらりと言う。
「うん。そうだろう。強い香りじゃないけれど。
えっと、花瓶とかないかな」
「どうだろう。そんなものあったかな。
とりあえず、そこのテーブルの上のコップを花瓶の代わりにすればいい。水ならサイドテーブルの上の水差しに入っているから、それを入れて……」
「あ、う、うん」
言われるままにアイラはコップを取り、先ほど渡した花束を再び受け取った。水を注いだコップに無造作に花を挿し、ベッドの横にあるサイドテーブルの上に置く。
「ごめん。こういうの全然慣れてなくて……」
「いや、気にするな」
「うん……」
自分がもっと女らしかったら。ふとそんな考えが頭をよぎる。
もっと女らしかったら、こんなとききっと戸惑ったりしないのだろう。気の利いた見舞いの品に、気の利いた会話。見舞った相手の親族にいきなり決闘を吹っかけるような真似は絶対にするはずもなく……
「……もう帰る。見舞いもできたし」
アイラはうつむいたままぼそりとつぶやいた。
「今日は……ごめん。かえって迷惑をかけた」
「そんなことはない。おれは嬉しかった」
「……ありがとう」
セタンタと目を合わせないまま礼を言うと、アイラは部屋の扉へと向かった。
「アイラ!」
扉を開きかけたとき、セタンタが呼び止めた。
「頑張れよ、お前ならきっとできる」
「……うん?」
「武術大会に出る。そして皆の前で勝ち進む。
それがお前の願いだろう? その願いは叶うから、きっと」
「セタンタ……」
「だから自信を持て。大会の日は必ず見に行く」
驚くほど真剣な顔で、セタンタは言った。
「そうだな。やらないとな」
セタンタの視線を正面から受け止め、アイラは言った。
自信なんてない。だが、機会は与えられている。力はあっても機会を得ることすら許されない者に比べれば、それはなんと恵まれたことだろう。
「わたしはきっと大会に出る。見に来て欲しい。だから、体、直しておいてくれ」