二次創作小説

白い花の記憶

Act. 2

〜グラン暦七四七年 イザーク〜

1.

「父上、今度の武術大会に私も参加させてください」
 アイラは父マナナンに懇願した。
「ならぬ。お前はまだ子ども。武術大会に参加するにはまだまだ剣の腕も未熟だ。しかもお前は女ではないか。十二歳の小娘を参加させたとあっては、このマナナンが娘かわいさにひいきしたと思われよう。許すわけにはいかん」
「そうはおっしゃいますが父上、わたしは自分の腕前が捨てたものではないと自負しております。城の者たちと立ち会っても、おさおさ遅れはとりませぬし、近頃では兄上にも五度に一度は勝てるようになりました。父上がおっしゃるほどには自分が未熟だとは思えません!」
「むむ……」
「それともわたしが女であることが問題なのですか? 兄上が初めて武術大会に参加されたのは十二歳の時であると聞き及んでおります。兄上が正当なるバルムンクの継承者であることはわたしも承知しております。その兄上とおのれを同列にみなすとは何たる増上慢、とお思いになられるかもしれません。ですが、わたしにも機会をお与えください。たとえ女であっても、わたしは戦士を志す者、オードの血を継ぐイザークの剣士なのですから」
「……そこまで言うのならば、お前にも機会を与えねばならぬな」
 しぶしぶといった調子で、マナナン王は答えた。
「父上、では」
 喜色をたたえ、アイラは身を乗り出す。
「条件を出そう。その条件を満たすことができたら、お前が武術大会に出ることを認めてもよい」
「わかりました、父上! ではその条件とは!?」
「流星剣……」
 アイラの笑顔が凍りつく。
「“イザークの秘剣”と呼ばれる流星剣をそなたがみごと使いこなしてみせたならば、武術大会に出ることを認めよう。わがイザーク王家伝来の秘剣を使いこなす者であるならば、たとえ年若き娘であろうとも、親のひいきによる特別扱いとは見なされぬであろうて」
「父上、ですがわたしはまだ……」
 そう。アイラはまだ流星剣を成功させたことがなかった。兄の手ほどきを受け、日々鍛錬を重ねている。しかし、流星剣のコツをつかむことはなかなかできないでいた。
「機会を与えよと言ったのはそなただぞ、アイラ」
「……わかりました。ですが猶予をお与えください。武術大会まであとひと月、このひと月の間にみごと流星剣をお目にかけることができましたら、そのときは……」
「よし、わかった。このマナナン、偽りは申さぬ。ひと月待とう。だがそのときまでにかなわぬとあれば、そなたを武術大会には出さぬ。それでよいな」
「不服は……ございません」
 本当は納得したわけではない。たったひと月で秘剣をマスターする自信など皆無と言っていい。だがそんなことを言えるわけがなかった。
(これは……チャンスなのだ。そう、思わなければ)
 アイラはそう自分自身に言い聞かせ、父王の前を辞した。

「くっ……」
 アイラはひざをついた。
「ちがう。これは、流星剣ではない。まだ……」
 絶妙のタイミングで攻撃を繰り出せたと思った。迫り来る木片をかわしきり、すべてに攻撃を当てたと思った。だが、最後の一撃が足りなかった。アイラに斬ることができなかった木片が、バラバラと上から降り注いでくる。
 イザーク城近郊の森の中、アイラはひとり、立ち木を相手に剣の稽古に励んでいた。
 あの日以来、アイラは流星剣の練習を重ねてきた。兄に練習をつけてもらうのは無論として、その他の時間も城の裏手に広がる森に入り込み、さまざまな仕掛けをこらし、ひとりで練習を重ねていた。だがあいかわらず流星剣を使うことはできずにいた。
『タイミングが悪い。流れに乗り切り、剣を繰り出すのだ。ひとが一度剣を繰り出す間合いに、こちらからは五度斬りつける。それが流星剣の極意だ』
 そう兄は語った。口で言うのは簡単だ。そして兄が剣を振るうのを見るのも……。だが、自分の体で同じことを実現してみせることの難しさは、想像以上だ。
 約束のひと月まで、あと五日。ひと呼吸のうちに四回の剣撃を繰り出すには至った。だが、いまだ最後の一撃がどうしても間に合わない。
「もう……だめかもしれない」
 思わずアイラは声に出してつぶやいた。いったん声に出してしまうと、もう、感情のおさえがきかなくなってしまう。
(わたしは父上や兄上とは違う。わたしは女だ。わたしには神剣バルムンクはふるえない。わたしには、流星剣だって使えない……)
 ひと月前には、やってみせるつもりだった。やってみせて、武術大会を勝ち進み、晴れの舞台で兄と剣を交わす、そんな自分の姿を思い描いていた。だが、そんなものは幻想だったのだ。
「ううっ……」
 アイラの目から涙がこぼれ落ちる。気丈なアイラが、人前ではまず見せることのない、涙。
「わたし、どうしてこんなに弱い……」
 泣いてしまう自分が、なおさらに嫌だった。女であることに甘えたくない。だから涙など見せない。そう、決めていたはずだ。なのに泣いてしまう。泣きたくなど、ないはずなのに。
 そのとき――
「泣かないで」
 いきなり背後から声が聞こえた。驚いて振り向いたアイラは、そこにひとりの少年の姿をみとめた。
 見たことのない少年だ。年齢はアイラより二、三歳年上かもしれない。空色の服を身につけ、背には剣を背負っているようだ。
 だが何よりも目を引いたのは少年の金の髪と蒼い瞳だ。黒髪に黒い瞳が一般的なイザークの民にはきわめて稀な色である。グランベルやアグストリアといった異国の生まれなのだろうか。
「泣かないで」
 少年の言葉をもう一度耳にし、アイラは、はっと我にかえる。
「泣いてなど……いるものか!」
 恥ずかしさがこみ上げてくる。見知らぬ少年に泣いているところを見られ、しかも、なぐさめられてしまうとは。
「意地を張らなくても……いいのに」
 少年のつぶやき声は小さかった。だが、その言葉ははっきりとアイラの耳にとどいた。かっとなったアイラは思わず叫んでいた。
「わたしは泣いていない! つまらぬ言いがかりはつけないでもらいたい!」
 そんなアイラの態度に腹を立てたのか、少年は冷ややかに言い放った。
「おれは言いがかりなどつけていない。お前は泣いていたではないか」
 少年が正しいことは百も承知だった。だが、引くに引けなかった。どうにかして少年に対して面子を保たねば。イザークのアイラが泣いていたことなど、認めさせてなるものか。
 そのとき、少年の背負っている剣がアイラの目にはいった。
「お前、剣を使うのか?」
 少年はアイラの言葉にうなずいた。
「ならば、わたしと剣の勝負をしろ。わたしが負けたら、謝ってやってもよい。だがお前が負けたら、つまらぬ主張は取り下げてもらおう!」
「……わかった」
「では、さっそく勝負だ」
 少年に練習用の木剣を投げわたし、アイラは言った。
「勝負は一本。降参はありだ。おのれが不利と思えば、いつでも声をかけるのだな」
「……わかった」
「では、いくぞ!」
 闘志もあらわに少年に宣戦布告したアイラだったが、自分の木剣を構え、少年と対峙すると、昂ぶった気がすっと静まってくるのを感じた。気が静まれば、相手を冷静に観察する余裕も出てくる。
(こいつ、……強いな)
 少年の構えには隙がなかった。何よりも、静かに澄みわたりながらも、奥深くから沸きあがってくる闘気が、アイラを慄然とさせた。これほどの緊迫感を、圧力を与えてくる相手はそうはいない。兄マリクルや、……もしかすると父マナナンにすら、匹敵するのではないか。
 正直言って、アイラは少年をなめていた。流星剣の極意はいまだつかんでいないといっても、アイラは剣聖オードの末裔たるイザークの王族だ。聖戦士の血を引いているばかりでない。幼い頃から剣を叩きこまれ、一日たりとも休むことなくその腕を磨いてきた。いまやイザーク城とその近隣には、アイラにかなう者はそう多くはない。それはアイラのおごりではなく、単なる事実だった。
 だが。
(勝てる、だろうか?)
 不安がこみあげる。しかし、その不安を飲み込み、アイラは一歩踏み込む。
「えやああっ」
 気合とともに一挙に少年の懐に飛び込む。そして、一閃。
 剣閃が走る。
 余人には交わしえぬ、電光石火の一撃。
 だが、少年は剣を返し、アイラの一撃を受け止めた。
(やる! だが……)
 さらに一閃。
 舞うがごとく、アイラは次々に剣を繰り出す。だが少年はそのすべてをおのれの剣で受け止めた。
 二合、三合。
 激しい打ち合いが続く。
(これは……イザークの、オードの剣筋! こやつ、異国人ではないのか!)
 アイラは疑惑を覚える。
 少年の容姿を見て、アイラは異国人だと思い込んだ。イザークには他国からの人民の流入が少ない。それゆえにイザークの民は比較的同じような民族的特徴を持ち合わせている。よって、毛色の違うものを異国人と見なすのは、あながち間違ったことではないのだ。
 だが、少年の剣筋はアイラの慣れ親しんだものに非常に近い。イザーク本家に伝わるものとは多少異なる部分もあるものの、明らかに同じ流派に属している。
 しかも、強い。
(リボー、それともソファラの者か。こんなやつが、いたなんて――!)
 アイラの胸にこみ上げてきたのは純粋な歓喜だった。
(互角、あるいはわたし以上の使い手――か)
 父や兄を除いて、アイラにかなう相手がいないという事実は、アイラにとって非常に“つまらない”ことであったのだ。もっと強くなりたい。そのためには競い合う相手が欲しい。だが城下の者たちは明らかに彼女より弱く、さりとて父や兄はずっと格が上だった。アイラが求めていたのは“ほどよく競い合える相手”に他ならない。だからこそ、武術大会に出ることを渇望したのだ。
 それが、今、目の前にいる。
 年のころも、腕前も、ほぼ同じ。違うとすれば男と女という性差による、腕力と体力の違い。年齢を重ねればその差は今よりも大きくなるばかりであろう。だが、この瞬間ならば、アイラの瞬発力をもってすれば、それすらもカバーできるかもしれない。
(もしかしたら今なら……)
 流星剣。イザークの秘剣。何度も試しながら、いまだ成功させたことのない奥義。
(やるか、いや、やるしかない)
 実力の伯仲した相手。いや、体力に差がある分、長引けばアイラには不利だ。一気に勝負を決めてしまう必要がある。そしてこの局面にけりをつけるだけの威力のある技はただひとつ。
(いまだ!)
 高く剣を振りかぶり、アイラは一気に加速する。
 一閃。二閃。三閃。四閃。
 アイラの剣がみごとに入った。
(これで、とどめだ――!)
 最後の一撃を繰り出す。
 だが――
 アイラの刃があたるよりも早く、少年はすっと身を引き、下段から切り上げる。
 少年の一撃がアイラの胴に吸い込まれるように入り……
 アイラの体は、宙に、浮いた。
 そして大きく跳ね飛ばされ、地面に落ちていく。
 落ちる刹那、アイラは思う。
(なんだ――今のは!)
 太刀筋が、見えなかった。  いや、光が、走ったように見えた。
(光り輝く剣閃――! これが、こいつの、決め技!)
「大丈夫か」
 あわてたように、少年がかけよってきた。
「……だ」
「何?」
「負けだ。わたしの……負けだ」
 ここまで完膚なきまでに技を決められては、いさぎよく負けを認めるほかない。だが、不思議とくやしさは感じなかった。
「……立てるか?」
 あお向けに倒れたままのアイラを、少年は心配そうにのぞきこみ、手を差し伸べた。
「大丈夫……だ」
 差し伸べられた手を、アイラは素直につかむ。
 少年の手は暖かく、そして豆だらけでごつごつしていた。剣を握り続けてきたものの手だ、と、アイラは思った。
「お前、強いな」
 身を起こしたアイラは、少年の顔を見つめ、言った。
「父上と兄上以外の者に負けるのは、本当に久しぶりだ」
 少年は驚いたような顔でアイラを見つめ、そしてにこり、と笑った。
「おれも、こんなに強い相手とやるのは久しぶりだ」
(無愛想そうに見えるのに、笑うと幼い顔になるのだな)
 なぜかそんな考えが頭の中をよぎった。
「あの、続けざまに繰り出す攻撃。あれは、すごいな。全部よけ切るなんて、とても無理だと思った」
「あれは……まだ、未完成なんだ」
「そうなのか?」
「本当は五発入れなきゃいけない。本物の流星剣なら……」
 少年ははっとした表情で、アイラを見た。
「流星剣だと!? ならば、お前は……」
「わたしはアイラ。イザーク王マナナンの娘だ。
 ……こちらが名乗ったのだ。お前も名乗ってはくれないか」
 少年は、一瞬、ためらいを見せた。だが、ひと呼吸入れて名乗りをあげる。
「おれは、セタンタ。……ソファラのセタンタだ」
「ソファラの……なるほどな」
 納得がいった。やはり、少年はオードの血脈に連なる者なのだ。
「ならばあれが、月光剣なのか?」
「……ああ、そうだ」
 イザークに流星剣が伝わるように、ソファラにも独自の秘剣が伝わっているという。月光剣。至近の間合いから繰り出される、交わすことあたわぬ、輝ける剣閃。
「すごいな。その年齢で秘剣を使いこなしているなんて。
 じゃ、お前、武術大会にも出るんだろう? お前なら、マリクル兄上とだって十分わたりあえるだろうな」
「アイラは出ないのか?」
 アイラは熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
「このままでは……出られそうもない。わたしはまだまだ、未熟者だから」
「まさか」
 少年は一笑に付した。
「お前ほどの使い手は、そうはいないだろう」
「父上のおいいつけなのだ」
 アイラは少年に事情を話した。父の出した条件。いまだ使えない流星剣。
「武術大会まで、あと五日。だが、さっきのとおりだ。どうしても、タイミングが合わない。もう、わたしは……」
 だめかもしれない。そう言おうとした時。
「あきらめるな」
 少年は静かに言った。
「あきらめるな。お前は、強いから。
 ……そうだ、もしよければ、練習につきあってもいいか? 相手がいたほうが、やりやすいのではないか?」
 アイラは目をぱちくりとさせた。
「……いいのか?」
 アイラに否やはあるはずがない。相手がいるのに越したことはないのだから。しかもこのセタンタという少年ならば練習台にうってつけだ。十分に強く――強すぎることもない。
「おれは、お前が大会を勝ち進む姿を見てみたい」
 そう、セタンタは答えた。

←BEFORE / ↑INDEX /↑TOP / NEXT→


written by S.Kirihara
last update: 2014/09/12
inserted by FC2 system