二次創作小説

剣持つ乙女

6.

「ノディオンのラケシス様でいらっしゃいますね?」
 シアルフィ公子シグルドの妹であると紹介された女性は、屈託のない表情でラケシスに呼びかけてきた。
「ノディオンのラケシスです。はじめまして」
「レンスターのエスリンよ。あ……」
 エスリンは慌てて振り返り、ひっそりと背後に佇んでいた女性に声をかける。
「ごめんなさい、ディアドラ様。出しゃばってしまって。この城の女あるじはお義姉さまなのに」
 ディアドラは首をゆっくりと左右に振ると、囁くような声で遠慮がちに言った。
「いいえ、エスリン様、助かります。こういったことは不慣れで。それに、わたしはこの城の女あるじではありません。まだ婚約しているだけですし」
「いいえ、数日中にはシグルド兄さまの奥方になられるのですもの」
「ええ、でも……」
「シグルド様の婚約者のディアドラ様ですね。わたしはノディオンのラケシス、どうぞよろしくお願いいたします」
「ラケシス様、ディアドラと申します。
 ノディオンの姫君のお名前はシグルド様よりよく伺っておりました。こちらこそよろしくお願いいたします」
「あちらにお茶の席を用意しているのよ。他にも紹介したい人たちがいるし」
 そう言うと、エスリンは先に立って歩き始めた。

 エスリンに促されるままに向かった先は、小さいながらも雰囲気のある一室だった。
 大きな窓からは夏の陽光が燦々と差し込み、室内は明るい光で満たされている。白いクロスのかけられたテーブルの上には大皿に盛られた果物、素朴に見えるが手の込んだ焼き菓子、白い磁器のティーセットなどが並べられていた。
「エバンスは砦として使われてきた城だから、優雅なお部屋はあまりないのだけれど」
 たしかに壁は荒い塗りの漆喰であったし、天井の梁も黒ずんでいる。古く実用的な造りの建物であることがうかがえた。しかし、壁に掛けられたタペストリ、風に揺れる薄いカーテン、あちこちにさりげなく飾られた花々などが、優しく柔らかな雰囲気を醸し出している。無骨で質実剛健としたいかにも前線の砦らしい造りと、温かで気取らない家庭的な雰囲気が溶け合ったこの部屋の様子は、そのままシグルドのもとに集う人々の特質を表わしているように思われた。

 室内には三人の女性がいた。扉のすぐ脇に立つ背の高い蜂蜜色の髪の女性、テーブルの前で椅子に腰かけている豊かな黄金の髪を持つ女性、そして窓のそばで腕を組んで立ち、所在なさそうに外を眺めている黒髪の女性。
「ラケシス様ですね、ユングヴィのエーディンです」
 テーブルについていた金髪の女性が立ち上がり、作法に則ったお辞儀をした。
「ノディオンのラケシスです。顔をお上げください」
 ラケシスの言葉を受けて、エーディンは顔をあげると、にっこりと微笑んだ。
(ああ、この人が……)
 美しい人であるとは、かねてから聞いていた。今回のヴェルダンの蛮行も、彼女の女神のごとき美しさがもたらしたものであると話す者もいる。その言葉を裏付けるように、目の前の女性は同じ女性であるラケシスから見ても、とても美しかった。
 エーディンは際立った美貌の持ち主であるが、他者を拒むようなかたくなさはない。柔和さと清純さを基調として、親しみやすさと同時に侵しがたい気品をにじませている。女神と形容されている理由がわかるような気がした。
「そしてこちらは、シアルフィの騎士エレイン」
 扉近くに立っていた蜂蜜色の髪の女性が、男性的なきびきびとした動作で一礼する。
「そしてあちらは……アイラさん。イザークから来た傭兵なの」
 窓際に立つ黒髪の女性が姿勢を正し、胸にこぶしを当て、戦士の作法で礼をした。
(イザークの傭兵……?)
 軽い疑問を覚えた。イザークは遠い東の蛮族の地であり、現在はグランベルと戦争状態にある。イザークから見れば西の最果てともいえるこの土地で、イザーク出身の女性がグランベルの軍に所属しているというのは、何か仔細あってのことなのか。そもそも女性の傭兵というもの自体が珍しい。
 傭兵が貴人に立ち混じり、団欒の場に加わっているのもどこか奇妙だ。要人を警護するためにその傍近くに控えているのかもしれないが、それならばいかにも武人らしい雰囲気を醸し出しているシアルフィの女騎士だけでもいいのではないか。
 そういった違和感を心の隅に押しやり、ラケシスはアイラに礼を返した。
「どうぞ楽しんでね。寛いでいただけるとうれしいわ。兄さまやキュアンを通じてラケシス様のことはいろいろうかがっていたので、初めて会った気がしないのよ」
 そう言うと、エスリンはテーブルにラケシスを導き、腰かけるように勧めた。

 テーブルについたのはエスリン、ディアドラ、エーディン、ラケシスの四人だった。シアルフィの女騎士は扉の前に控え、イザークの女傭兵は窓の傍に立ち、貴婦人たちの会話には入ろうとしなかった。
「エルトシャン様はラケシス様のことをとても大切にお考えなのね。先日こちらにいらした時に、『今度はきっと妹を連れてくる。そうしたら仲良くしてもらえないだろうか』と、それはもう丁寧に頼まれて。でも無理もないわね、こんなにかわいらしい方なんですもの」
「兄がそんなことを……」
「ええ。シグルド兄さまたちの話では、バーハラに留学されていた頃も、折に触れてラケシス様との話をなさっていたとか。キュアンは、妹自慢大会につき合わされて、妹のいない自分はずいぶん肩身が狭かったものだと笑っていたけれど」
 エスリンは屈託のない笑みを浮かべてそう語った。その表情につられて、ラケシスもふと笑みを漏らす。
 談笑の中心となっているのはエスリンだった。ディアドラは控え目な微笑を浮かべてそっと相槌を返し、エーディンは時々言葉を挟みながらも自分から話題を持ち出すことはあまりない。
 場の雰囲気は柔らかく自然だった。貴族の社交界にありがちな、表面上は笑みを浮かべながら腹の奥を探り合うような気の張るつき合いは、ここでは不要であるように感じられた。
 ディアドラが貴族の出ではないことは兄から聞いてうっすらと知っていた。そういった出自の女性に対して、エスリンたちが何ら含むところなく接していることに、ラケシスは軽い驚きを覚えていた。むしろ城主の妻になるべき女性として、支え、盛りたてていこうとしているように見える。王の実の娘でありながら私生児として生れついたがゆえに、ともすれば低いものとして扱われてきたラケシスにとって、エスリンの態度は稀有で、羨むべきものであるように思われた。
 ラケシスがエスリンたちと交流を持つことを、エルトシャンは強く望んでいた。その理由がわかったような気がした。
 同時に、シグルドをかけがえのない友と呼び、国のあり方がいかにあろうとも彼を信じたいと語ったエルトシャンの心情もまた。
(友達……エスリン様やエーディン公女なら、わたしの友達になれる。そう思ったからこそエルト兄さまは)
 思えば友と呼べるような存在は侍女のマリアンヌくらいしかいなかった。だが、そのマリアンヌもイーヴの妻となり子供を身ごもり、今はラケシスのもとを辞して嫁ぎ先で暮らすようになっている。
 マリアンヌは臣下であるので、完全に対等の関係が結べる相手とは言えなかった。親しく心を分け合っているつもりでも、いや、心の中では対等であったとしても、そこには身分という名の隔たりが厳然として存在していた。
 そういった隔たりのない『友』をラケシスが持つことができたら。エルトシャンはそう考えたに違いない。

 扉をノックする音がした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
 そう答えて扉を開けたのは、金髪の若い男性だった。
「あら、ノイッシュ?」
 エスリンが親しげな調子で呼びかける。
「エレイン殿がこちらにいるとうかがいましたので」
 金髪の青年――ノイッシュは、丁寧な調子で言葉を返した。
 落ち着きのある、静かでありながらよく通る声だ。
 その声音にラケシスはふと気を引かれ、彼を改めて眺め直した。
 赤を基調とした紋章を縫い取った白いチュニックを纏い、腰には騎士の剣を佩いている。おそらくはそれなりの身分を持つ騎士なのだろう。首筋のあたりで短く切り揃えられた髪は、麦の穂のような金色に輝き、ヘイゼルグリーンの瞳はあくまで真面目そうな光をたたえていた。
「私に何か?」
「ああ、エレイン義姉上、シグルド様がお呼びです。式典の打ち合わせを行いたいと」
「あ、もうそんな時間だったのね。うっかりしていたわ」
「いえ、別件が早めに片付いたので時間を繰り上げたのです。お忙しくさせて申し訳ありません」
「いえ、大丈夫よ。
 エスリン様、皆様、それでは私は失礼いたします」
 一礼すると、エレインはノイッシュとともに部屋を後にした。
「忙しそうよね。エレインもノイッシュも」
 笑って呟くエスリンに、目を伏せてディアドラが答える。
「わたしの親族がわりを務めていただくせいですね。申し訳ないことだと思っています」

 問いかけるようなまなざしを向けたラケシスに、エスリンが説明した。
 先ほどエレインを呼びにきた青年ノイッシュは、シグルド麾下の騎士である。
 シアルフィにはグリューンリッターと呼ばれる騎士団があり、七つの部隊がこれに所属しているのだが、ノイッシュは若いながらもその第五部隊の長を務めている。グリューンリッターのうち、第一から第三までの部隊は当主バイロンとともにイザークに出征中であり、第四部隊はバーハラに駐屯し、第五以下の三部隊がシグルドにつき従ってここエバンスに来ている。各部隊の長は基本的には同格であるが、名義上、第一から順に格付けされている。したがって、現在シグルドのもとでエバンスに駐留している者のうちでは、第五部隊の長であるノイッシュが最も上位の部隊長となっている。
 ノイッシュはシアルフィでも名家と呼ばれる一族の出身である。今回、ディアドラをシグルドの妻に迎えるにあたり、ノイッシュの父にあたる人物が彼女を養女に迎え、その身元を保証する役割を負った。あくまで形式上の処理ではあるが、ヴェルダンの庶民の娘がシグルドと婚姻を交わすのではなく、シアルフィ貴族の娘が主家に嫁ぐという形をとったのである。
 ただ、ノイッシュの父であるウシュナハ卿は、バーハラのシアルフィ公館に詰めており、国許には戻れない。また、その後継ぎである長男アンリは、シアルフィ公爵バイロンとともにイザーク遠征の途についている。そのため、ディアドラの婚姻にまつわる実際の手続きは、長男アンリの妻であるエレインや次男のノイッシュが請け負うこととなった。

「そんなわけで忙しいのよね、エレインもノイッシュも。シグルド兄さまは締めるところはきちんと締めるけど、実務には疎いところがあるから、傍に仕えて実際にことを動かしている人たちはほんと大変だと思うの。特にノイッシュは真面目で手抜きのできない性格だし、エレインには昔から頭が上がらないみたいだから」
 ラケシスは厳しげな表情の女騎士といかにも真面目そうな印象の金髪の騎士を頭の中で比べてみた。たしかに女騎士エレインが相手では、あの騎士も気苦労が多いかもしれない。

 それにしても、とラケシスは思う。
 女騎士エレインは周囲から尊敬を受け、責任を負うべき立場を任されているように見える。
 女性が騎士となり男性に立ち混じって任務を果たす。そういった例はアグストリアにもないわけではない。だが、男性と同等かそれ以上の敬意を受けることはあまりないように思う。
 シアルフィでは――違うのだろうか。
「女性の騎士は、シアルフィでは多いものなのでしょうか」
「多いとは言えないわね。でも、珍しいものでもないの。私自身も、騎士としての素養はひととおり修めているつもり」
 そう語るエスリンの声は、どこか誇らしげだった。
「……わたしの母は、騎士の家に生まれました。幼い頃、母の実家で育てられていたわたしは、自分が王の娘であるとは知らず、将来は騎士になりたいと思っていました」
 なぜそんなことを口にしたのか、ラケシスは自分でもよくわからなかった。だが、シアルフィの女騎士の姿は、ラケシスに実母のことを、今は遠いものとなった昔の夢を思い起こさせた。
「いいわね! ラケシス様はヘズルの血統なのだし、きっとすぐれた騎士になるに違いないわ」
「でも、王女としてノディオン城に迎えられてからは、騎士としての修業は行っていないのです。女性の騎士はわたしの生みの母を連想させますから」
「……ああ」
 エスリンは嘆息を漏らし、怒りを含んだ調子で続けた。
「わからなくはないけれど、馬鹿みたいな話よね! やりたいことを、向いていることを、誰かに気兼ねすることなく自由にできたらいいのに」

 エーディンがエスリンに頷き返した。そして視線をラケシスに移すと、穏やかな調子で語りだした。
「私も幼い頃は弓の練習をよくしていたものです。でも、双子の姉が行方不明になり、弟が家を継ぐと決まってからは、弓に触れることを避けてきました。
 私は祈りのうちに生きる今のあり方が好きです。癒しの技を用いることに喜びを感じています。でも、たまに思うときもあるの。もし、姉が行方不明にならず、ずっと一緒に育っていたら、むしろ弓を取り戦士として生きる人生を歩んでいたのではないかと」
「……意外と勇ましいのよね、エーディンって」
「僧侶として生きることは、私が自分で選んだ道。でも、ほんの少し運命が違っていたら、また別の道を見いだしていたのかもしれません。
 ただ、選ぶことすら許されないのは、つらいことです。押し寄せる運命の中で、時として私たちは自分の歩むべき道を自分で選ぶことが許されなくなる。選ぶことが許されないままに、ただ流されていくしかなくなることがある。選ぶことができたこと、選ぶ自由が与えられたことに、私は感謝しています」
 そう静かに語るこの女性は、つい先頃、故郷の城を落とされ、ヴェルダンの軍勢に拉致され、シグルドの軍によって奪還されたのだ。数奇な運命の変遷、などという言葉が陳腐に聞こえるような経験を経ながら、彼女はあくまでさり気なく、自己を哀れむことも酔いしれることもなく、淡々と言葉を紡いでいた。

 ふと視線を移すと、窓際に立つイザークの女傭兵がこちらに真剣なまなざしを向けているのが目に入った。
 アイラはエーディンを見つめていた。その表情はあくまで静かだったが、うかがい知ることのできない、強い思いが隠されているように感じられた。それが敵意なのか、共感なのか、それとも何か別の感情なのか、事情を知らないラケシスにはよくわからなかった。
 イザークのアイラは終始無言でその場に佇んでいた。静かに、彫像のように動くことなく、ただそこに彼女はいた。
 だが、彼女にもまた何か思うところがあるのだということだけは、ラケシスにも伝わってきたのだった。

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written by S.Kirihara
last update: 2016/05/01
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