二次創作小説

風花

6.

 ノイッシュたちが合流して二日後、マッキリーは陥落した。
 マッキリー城主クレメントは臆病な男であった。だが、その臆病さゆえに、マッキリーの守りは固く、攻略は困難だった。クレメントが用意したロングアーチやスリープの魔杖はシグルド軍を苦しめ、少なからぬ被害を強いた。
 しかし、ついにマッキリーは落ちた。マッキリーに入城したシグルドは、だが、戦いの痛手も癒えぬまま、さらにアグスティへ進軍することを決めていた。アグスティのシャガールに捕らえられたエルトシャンの身が案じられたからであった。
 冬至の日が迫っていた。戦いに焦るシグルドも、せめて冬至の一夜だけは、兵を休ませ慰撫しようと考えた。かくして、マッキリーでは、戦勝祝賀会を兼ねた冬至祭の宴が催された。

 冬至祭は光の祭である。
 一年で最も夜が長いこの日は、死霊や悪霊の力がいっそう高まると信じられている。と同時に、この日を境に春が再び巡り来るため、善きものの甦りの日ともされている。死と闇を祓い、生と光を呼び込むために、人々は炉に薪をくべ、至るところに燭光をともす。壁面や扉の下には、再生を象徴するヤドリギの束が飾られる。
 若い者たちにとって、冬至祭はまた別の意味を持っている。夏至祭と同様に、冬至祭もまた、恋する者達が互いの想いを確認する日である。特に、ヤドリギを束ねた吊るし飾りは、恋心を秘めた者にとっては特別な意味を持つ。古くからの習わしのひとつに、冬至祭のヤドリギの下では、くちづけを断ってはならないというものがある。ヤドリギ飾りの下は、恋の駆け引きの場所でもあるのだ。
 マッキリー城の大広間は、光と熱に満たされていた。軍事行動中の軍隊で催される宴である。集う人々の服装は平服に近く、用意された食事も豊かなものではない。バーハラの宮廷で催されている舞踏会などに比べれば、あくまで質実剛健とした宴ではあったが、集う人々の醸し出す熱気は、決して劣るものではなかった。
 ただ、戦はまだ終わっていない。最大の戦闘が予想されるアグスティの攻防がこの先に控えている。先日の戦いで傷を負った者も少なくはない。一見すると、皆、明るく賑やかにふるまっているように見えたが、その底流には緊張と不安が隠されていた。

 ノイッシュは大広間の片隅に置かれた椅子に、倒れ込むように座りこんだ。
 体が重い。目の前が暗くなりかけている。
(まずいな……だが、こんなところで倒れるわけにもいかない)
 体調が優れないのはもとより承知していた。だが、シグルド直属の部下の代表格でもある彼が、公的な場所に顔を出さないのは、あまり望ましいことではない。そう考え、多少の無理は承知で宴の席に加わっていたのだが、思った以上に消耗していたようだ。
(やはりダンスは無茶だったか……)
 普段ならダンスは好きだし、それなりに自信もある。だが、今の体調では無理があったらしい。平静な表情でどうにか社交的な会話をこなせている状態から、すっかり息が上がり、動くのもおっくうな状態にまで、体調が悪化している。
 宴を円滑に進めるために、ダンスが必要なことはよく承知していた。だから、皆から一歩下がり、壁の花になりかけていた異国の天馬騎士を踊りの場に誘い出した。ただ、彼女を誘った本音には、必要だからという義務感にかこつけた、彼自身の望みもいくばくか混ざっていた。一度踊りに誘った後は、彼女の表情もほぐれたように思うし、他の者たちも彼女を放ってはおかなくなった。なので時機を見計らい、こっそりと部屋の片隅に引き上げたつもりだったのだが、自分自身の状態にまでは意識が働いていなかった。
(息が整ったら、もう退席させてもらおう)
 今の状態では、自室まで倒れずに歩いていける自信すらない。
「ノイッシュ、お疲れのところ申し訳ないんだけど」
 下を向き、軽く眼をつむっていたノイッシュに声をかけてきた者がいた。
「エスリン様……?」
「そこ、あまり体を休める場所には向いていないのよね。休むなら別のところのほうがいいと思うの」
 そう言って、エスリンは頭上を指差した。
「あ……」
 ちょうど椅子の真上に来るように、壁に赤いリボンで束ねられたヤドリギの小枝が飾られている。
「冬至祭のヤドリギですか……」
「そう。ここね、いい具合に物陰だから、けっこうみんな狙っている場所なんじゃないかしら。占領していたら、恨みを買うかもよ」
「ヤドリギなんて……見えていませんでした」
「でしょうね」
 エスリンは、急に真面目な口調になって、小声で言った。
「あなたが宴に出席してくるなんて思わなかった。まだ寝ていないといけないんじゃないの?」
「……医師には少なくとももう二、三日は安静にしていろと言われています」
「そりゃそうよね。あなた、ちゃんとわかってる? ライブの魔法は傷口を一瞬でふさぐけれど、受けた傷をなかったことにするわけじゃない。傷を負ったときの衝撃は体に刻みこまれているし、失血によって削られた体力は徐々に戻すしかない。あのとき、ライブをかけるのがあと三分遅れてたら、あなた死んでいたかもしれない。それほどの重傷だったのよ。出血もひどかったし……」
「……すみません」
「まったく……エバンスから戻ってきたかと思うと、すぐに最前線に復帰し、敵を吊り出すおとり役を自ら買って出て死にかけるなんて。以前から、無理ばかりする人だとは思っていたけれど、最近はちょっと行き過ぎているんじゃない?」
「……そうでしょうか」
「あなたは指揮を担う者のひとりであって、雑兵ではないのよ。最前線でおとりの役など……」
「雑兵ではないから、餌として有効なのです。最前線に立ったほうが、部隊の士気も上がりますし。それに、シグルド様やキュアン様とは違い、私は代わりのきかない存在ではありません。私の身に万が一のことが起こっても、特に困ったことになるとは……」
「なるわよ」
 ノイッシュの言葉を遮って、エスリンはきっぱりと言った。
「どうせそういうことを考えているんじゃないかと思ったけど、やっぱりね。あなたの身に何かあれば、シグルド兄様はすごく困るだろうし、どうしようもないほど落ち込むに違いないわ。兄上だけじゃない。皆、あなたを頼り、必要としているのに。少しは自覚してほしいわ」
 エスリンは大げさな身振りで息をついた。
「まあ、病人相手にお説教しても仕方ないわね。そろそろ部屋に戻って休んだほうがいいんじゃない? 戻るのもつらいようなら、誰か支えてくれそうな人を連れてくるけど」
「いえ、自分で戻れます。皆、せっかく楽しんでいるのです。無駄に騒ぎ立てて水を差したくはありません」
「あなたらしい答えだけど、戻る途中で倒れたりしたら、かえって大事になるわよ」
「そこまでひどく悪いわけではありません。少し休めば大丈夫ですから」
「そう? ならこのままにしておくけど」
 エスリンはそれまでの真面目な表情を崩し、いたずらめいた笑みを浮かべ、囁いた。
「ねえ、ノイッシュ、ここってヤドリギの下よね? なにか忘れていることはない?」
「……あなたにくちづけなどしたら、キュアン様に八つ裂きにされます」
「あら」
 エスリンは嬉しそうに笑った。
「でもね、今度別の女性が寄ってきたら、キスしたほうがいいかも。別に唇じゃなくていいの。頬とか額とか手の甲とか、そういった無難なキスでいいから。何もしなかったら、全く関心がないんじゃないかって、かえって気を悪くされるかもよ」
「……そういうのは、やはり苦手です」
「それは知ってるけど、でもね……」
 正面から近づいてくる人影がエスリンの肩越しに見えた。ノイッシュの表情が変わったことに気づいたのだろうか。エスリンは途中で言葉を止め、振り向いた。
「あ……」
 ノイッシュとエスリンの視線を受け、近づいてきた人物は恥ずかしそうに眼を伏せた。
 近づいてきたのはフュリーだった。
「フュリー殿?」
「あの……お礼を、申し上げたくて」
「あ、わたしはもう向こうへ行くところだったの。どうぞゆっくりお話ししていって」
 エスリンはそう言って、にっこりと笑うと、いそいそと立ち去っていった。
「お掛けになられますか?」
 ノイッシュは自分の横に置かれている椅子を指し示した。
「あ、はい……」
 フュリーは緊張した面持ちで応え、腰掛けた。
「先ほどは、いえ、エバンスでも、とてもお世話になりました。なのに十分にお礼を申し上げることもできなくて。それが心苦しくて」
「感謝されるほどのことをした覚えはないのですが」
 フュリーは小さく首を振り、顔をあげるとノイッシュをまっすぐに見た。
「エバンスでは、わたしにお茶を出してくださったり、部隊の皆にも温かいお食事を……皆、本当に喜んでおりました」
「行軍を続けていると、特に豪華な食べ物でなくても、温かい普通の食事が恋しくなるものです。喜んでいただけたならば幸いです」
「先ほども、ダンスにお誘いくださって」
「かえってご迷惑ではありませんでしたか?」
「いいえ、おかげさまで楽しい時間を過ごさせていただきました」
 フュリーは、はにかみながらも柔らかく微笑んでいる。
「それならばよかった」
(本当に喜んでくれている……そう思ってもいいのだろうか。私の願望ではなく)
 きっと彼女は礼儀正しく義理堅い人間なのだ。だから、こうやって感謝の意を示しに来てくれている。自分に対し、いくばくかの好意を抱いてくれているかもしれないなどと思うのは、ただの思い上がりなのだろう。
 きっと彼女は知らない。こうやって礼を述べに来てくれたことが、どれほど彼を喜ばせているかなど。彼女のほうから声をかけてくれたという事実が、あきらめなくてはならないと警告する理性の声を覆しそうなほどに、彼を舞い上がらせているなど。
(冬至祭のヤドリギの下に、今、私たちはいる……)
「……ああ、そうだ」
 さりげない様子を装って、ノイッシュは尋ねてみる。
「ヤドリギの束に関する風習は、シレジアにもあるものなのでしょうか?」
「ヤドリギ……ですか? 冬至祭のヤドリギの下では、くちづけをしても許されるという、あの……」
 フュリーは不思議そうな表情を浮かべ、応えた。
「ええ、それです……実は、この場所なのですが」
 そう言って、ノイッシュは頭上を指差した。
「あ……」
 頭上のヤドリギの束を見て、フュリーは驚いたように小さく息を呑んだ。
「シレジアにも、同じ風習があるのですね。もし、ご存知なくヤドリギの下に行かれて、誰かからそういった行為を受けて驚かれることになってはと思って」
(彼女はヤドリギがあるのを知っていてここに来たわけではない。だが、風習を知らないわけでもない)
「ヤドリギなんて……気づきませんでした」
 フュリーは、顔を赤らめてうつむいた。
「私も、ただ腰を下ろしたくてここに座っていたのですが、先ほどエスリン様に指摘されまして……」
 フュリーがおずおずとしながら顔をあげ、ノイッシュの顔を見た。ノイッシュは黙ってフュリーにうなずきかえした。
 一瞬、二人の視線が合わさった。だが、次の瞬間には、どちらからともなく視線をそらしていた。
 何とも言えない沈黙が、二人の間に訪れた。
 沈黙を破ったのは、フュリーだった。
「あの……もしかして、体がおつらいのでは?」
「なぜ、そのように?」
「ヤドリギに気づかずに腰を下ろされたのは、それほど具合がお悪かったからなのでは。それに、先ほどから、どこかおつらそうに思えるのです。お顔の色もよくありませんし」
「……実は、あまり体調がすぐれないのです。先日の戦いで、少し手傷を負ったもので」
「あ……」
「ああ、大丈夫ですよ。すぐにライブの魔法を使っていただきましたので、ちゃんと傷は癒えています。ただ、負傷のなごりがまだ残っていて、それで」
「そんなお体で、ダンスにつきあっていただくなんて……なんてことを」
 フュリーは心配そうに眉根を曇らせ、ノイッシュの顔を見上げた。
「いえ、私から望んでお誘いしたのですから」
「でも……」
「そんなに心配なさらないでください。ただ、そういった状態ですので、そろそろ退席しようと思っているのです」
「そうなさってください。ご無理は……なさらないで」
「ええ、ありがとうございます」
 心配そうに見つめるフュリーに微笑みかけると、ノイッシュは立ち上がった。
「フュリー殿」
 フュリーは首を傾け、ノイッシュのほうを見上げた。
「すみません。風習に甘えさせていただきます」
 ノイッシュはフュリーの右頬の下にそっと左手をのばし、自分の顔を寄せた。そして、かすめるように、軽く彼女の左頬にくちづけした。
 羽が軽く触れたような、一瞬の接触だった。
 ノイッシュはすぐに体を離し、ついと顔を背けた。
「……失礼いたしました」
 そのまま振り返ることなく、ノイッシュはその場を立ち去った。
 残されたフュリーは呆然とした表情で、左頬に手をあて、ノイッシュの後姿をただ見送っていた。

 大広間から廊下に出て、しばらく歩いたところでノイッシュは足を止めた。
(……何をやっているんだ、私は)
 ただ眺めているだけではなかったのか。自ら行動を起こし、彼女に近づこうとするなど、いったい自分は何がしたいのだ。
(宴の熱気にあてられたか。体調が悪くて、頭のネジまで飛んでしまったのか)
 彼女をダンスに誘い、ヤドリギの下で彼女の頬にくちづけした。
(彼女は何と思ったことだろう)
 不快に思っていなければいいが。あるいは、ただの社交辞令として受けとめてくれればいいが。
(いや、違う……)
 本当は、望んでいるのだ。彼女が彼の想いに気づき、想いを返してくれればいいのにと。
(それにしても、どうしてこんなに)
 彼女のすべてが好もしいと思えてしまうのだろう。
 ダンスをしたときの軽やかなステップが。灯りを受けてきらきらと輝いていた瞳が。はにかみ、赤くなってうつむく横顔が。驚き、息を呑む表情が。彼の体調を心配し、労わりを見せてくれるその優しさが。
(ああ、もう)
 どうしようもない。彼女に魅かれずにはいられない。
(私は、愚かだ――)
 ならば、愚かであることを認めよう。彼女を愛していることを認めよう。
(私は、彼女の幸せを願い、守るものとなろう――)
 見ているだけでは満足できない日が来るかもしれない。自分に目を向けてもらいたいという思いを抑えられなくなるかもしれない。だがそれすらも受け入れ、乗り越え、彼女の幸せを願い続けよう。たとえ苦しく、受け入れがたいことでも、ありのままに受け止めよう。彼女を苦しめ、不幸にすることだけは決して望むまい。

 ノイッシュは決然として顔を上げ、再び歩み出した。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2014/12/25
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