二次創作小説

風花

5.

 雪が舞い落ちてくる。
 白く軽い風花が、光を反射させながら、ノイッシュの上に舞い落ちてくる。
 ノイッシュは、光あふれるどこかに立っていた。
 風に舞う雪片が、ノイッシュの頬にそっと触れた。
 不思議なことに、雪片はまったく冷たくない。
(ああ、これは雪じゃない――)
 雪は――雪のように見えた白いかけらは、羽毛だった。
 白い羽は、ふわりふわり、次から次へと舞い落ちてくる。
 いったいどこから降ってくるのだろう。ノイッシュは空に顔を向けた。
 空はまばゆい光に満たされていた。光あふれる空は白く霞み、見とおすことができない。
 上方に、光の源があるのがわかった。羽はそこから舞い落ちてきている。
 上空の遥か彼方に、大きな翼を持つなにものかの影がうっすらと見えた。
 羽ばたきの音がする。翼持つものは少しずつ近づいてきている。
 影は次第に大きくなり、あふれる光のなかに、くっきりとその輪郭を現した。
 光の中にいたのは、純白の天馬だ。
(これは、ペガサスの羽なのか――)
 相変わらず、羽は空気の中で遊びながら、ひらひらと舞い落ちてきている。
 ペガサスの姿は少しずつ大きくなってくる。そして、手を伸ばしても、ぎりぎり届かないほどの距離で止まり、じっとノイッシュを見つめた。
 見つめるペガサスの瞳は、緑色だ。
 不思議な気持ちがした。この瞳をとてもよく知っているような気がする。
 突然、ペガサスの輪郭がぼやけた。光に包まれ、おぼろに輝きながら、それは何かに姿を変えていく。
 緑の長い髪が後方にたなびく。ペガサスは光の中で、いつしか人間の女性に姿を変えていた。
 彼女もまた光で満たされていた。人間の女性であることはわかる。だが、もやのような白い光に包まれ、顔も、体も、詳細には見て取ることができない。ただ、緑の瞳と緑の髪だけは、光の中でもはっきりとわかる。
 彼女はノイッシュをまっすぐに見つめていた。そして嬉しそうに微笑み、手を差し伸べてきた。視覚として見えたわけではない。だが、彼女が見つめているのが、微笑んでいるのが、なぜかわかった。
 彼女の手をつかもうと、ノイッシュは自分の手を伸ばす。ふと、指先が触れあうと、そこから光が、ノイッシュの体の中にも入り込んでくる。
(あたたかい……)
 春の陽だまりのようなぬくもりが、指先から次第に全身へとめぐってくる。それと同時に、言い知れぬ幸福感がわきあがってくる。
 鋭い喜びと、限りない愛おしさ。笑みとともに涙がこぼれ落ちるような、やさしく、だが激しい想いには、どこか官能の匂いも交じっていた。
 ノイッシュは女性の手を取り、自分の胸元へ引き寄せる。そのとき光のもやは薄れ、彼女の顔がはっきりと見えた。
「――――」
 彼女の名を呼ぼうとした。いや、確かに彼女の名を呼んだ。だが声は出なかった。
 ノイッシュは彼女に腕をまわし、その体を抱きしめる。だが、肉体の感触はなく、ただひたすらに暖かなぬくもりだけが、腕の中に感じられた。

 目覚めたとき、一瞬どこにいるのかわからなかった。
 ぼんやりと、ただ天井を見上げる。ベッドの上でしばらくそうしていた後で、それがエバンス城の自室の天井であることに、ノイッシュは気づいた。
(夢……だったのか)
 なぜ、あんな夢を見たのだろう。
 このところ、眠りに就いたノイッシュのもとに訪れる夢は、悪夢ばかりだった。
 戦場の血なまぐさい記憶、あるいは、ディアドラの出自に起因するであろう、つかみどころのない不気味な恐怖。ノイッシュの夢はそういったものに占められており、夜の眠りは安らぎを与えるどころか、むしろ彼を苦しめていた。
 だが、今朝は違った。
 夢の中のぬくもりと多幸感が、まだ残っている。こんな感覚を抱いて目を覚ますなど、かつてなかったことだ。
(あれは、彼女だった……)
 夢の中の女性が誰であったか、夢の中で彼女を何と呼んだか、ノイッシュははっきりと覚えていた。
(だが、なぜ彼女なんだ)
 それが不思議だった。
 出会ったばかりの人物である。言葉を交わしたことすら指折り数えるほどしかない、まだ何も知らないにも等しい相手だ。出会った時の印象が鮮烈だったとはいえ、あのような形で夢に訪れ、かつて経験したことのないような幸福な感触を残していく相手であるはずがない。
(私はいったい……)
 自分の身に何が起きているのか、よくわからなかった。だが、夢の記憶はあまりにも生々しく、あまりにも圧倒的だった。
 気がつくと、涙が頬を伝い落ちていた。
(馬鹿な。何を泣く)
 自分で自分が信じられなかった。
 夢の中で、彼は幸福だった。喜びと希望に身を包み、全身全霊で彼女を求め、彼女に求められていた。だが、それはただの夢、幻想に過ぎない。
 夢と現実は違う。そんなことはわかっている。わかっているのに、夢の余韻がいっこうに消えてくれない。夢の中の幸福が大きすぎただけに、現実に引き戻された今、かえって深い空虚とかなしみが身を苛む。
(愚かなことを求めてはならない。彼女は、いずれ去って行く人だ)
 ただの夢だ。夢と現実を取り違えてはならない。ノイッシュは懸命に自分に言い聞かせ、顔を両手で覆った。

 今日は寒さが和らぎ、太陽が輝いている。
 雪はやんでいた。青く澄んだ空の下、大地に降り積もった雪は光を反射し、きらきらと輝いている。
 雪の街道を、ノイッシュの一隊はマッキリーへと北上していた。
 フュリーを残し、シレジアの一隊はエバンスを去っていった。シレジアのペガサスナイトたちが去るのを見届け、ノイッシュもまた自分の一隊をまとめ、マッキリーに向け出立した。レヴィンとフュリーも、これに同行している。
(参ったな……)
 彼の横を少し離れて飛ぶペガサスの姿を目で追いながら、ノイッシュは心の中で呟いていた。
 気づくと、いつの間にか彼女を目で追っている。まるで瞳が勝手に吸い寄せられるように、無意識のうちに彼女の姿を求めてしまう。
 今朝の夢がまだ尾を引いているのだろうか。それは否定できない。だが、そもそもなぜあのような夢を見てしまったのか。
 自分は彼女に恋をしている。
 さすがに自覚せざるを得なかった。しかし、それは自分でもあまりにも意外なことだった。
 出会って間もない相手に対し、これほどの想いを抱くことになろうとは。
 一目ぼれ、という言葉があることは知っていたし、実際にそのような形で恋に落ちた人間のことも知っている。だが、それが他ならぬ自分の身に襲いかかるとは、予想だにしなかった。
 恋をしたことがないわけではない。だが、彼が今までに経験した恋は、時間をかけ、少しずつ少しずつ想いが積み重なり、あるとき奔流となって流れ出す、そういったものだった。他者への想いとは、自分の場合には、一定以上の時間をかけ、徐々に育まれるものだと思っていた。ある朝目覚めたら、いきなり恋のただなかに身を置いていたなど、まさしく想定外の事態だ。まるで大河のど真ん中に突き落とされ、身動きも取れないままに押し流されていくようだ。
 しかも、相手は異国の人間だ。瞬間、たまたま互いの人生が交わったが、いずれ彼らの歩む道は離れていくに違いない。彼らはともに騎士であり、異なる国で、異なる主君にそれぞれ忠誠を誓っているのだから。
 どちらかが大きく生き方を変えない限り、彼らの人生は重なりようがない。自分はシグルドへの誓いに縛られた身だ。ディアドラがロプトの血を引いていることを知りながら、その身を守護することを誓った自分には、個人としての幸福など求められるはずもない。そして彼女はおそらく……彼女の主筋にあたる王子を慕っている。彼の人生はシアルフィにあり、彼女の人生はシレジアにある。それは変えようのないこと、いや、変えてはならないことだ。
 だが、今の瞬間くらい、彼女を見ていたっていいはずだ。眺める以上のことは何も求めない。求めてはいけない。ただ傍らにあって、彼女を見つめる。それくらいは許されてもいいのではないか。

←BEFORE / ↑INDEX /↑TOP / NEXT→


written by S.Kirihara
last update: 2014/12/24
inserted by FC2 system