二次創作小説

風花

1.

 グラン暦七五七年の秋も深まる頃、エバンスを守備するシアルフィ公子シグルドは、ノディオン王女ラケシスからの救援要請に応え、アグストリアへの進軍を開始した。
 シグルドは、ただノディオンを救出したにとどまらず、ハイライン、アンフォニーへと軍を進めた。窮地に立たされた親友の妹を救うため、あるいは、虐げられた住民たちを守るためと、シグルドにしてみれば常にやむにやまれぬ理由があっての行動であったが、実質的には、それはグランベルによるアグストリア南西部への侵攻であった。シグルドによって落とされた城には、グランベル本国からの代官が派遣された。今やアグストリア南西部は、グランベルによって切り取られたも同然の様相を呈していた。
 アンフォニーを落としたシグルドは、東へと軍を返した。ノディオンの北に位置するマッキリーの領主クレメントは、事ここに至るまで日和見を決め込んでいた。だが、西のアンフォニーまでもがグランベルの手に落ちたとなっては、さすがに危機感を覚えたのであろう。城の守りを固め、シグルドに敵対する意志をあらわにした。シグルド側の最終目的は、王都アグスティに捕らわれているノディオン王エルトシャンを救出することにある。アグスティに至るには、マッキリーを通るほかない。望まざる戦いではあったが、マッキリーを攻略し、アグスティへの道を開かなくてはならなかった。
 連戦に疲弊したシグルド軍は、ノディオン城に立ち寄り、軍備を整えた。そして束の間の休息の後、風花舞う冬空の下、北へと向けて進軍を再開した。冬至の日も近い、一年で最も暗い季節の出来事であった。



 エバンス城に向けて、ペガサスナイトの一隊が南下しているらしい。
 その報せを受け取ったのは、ノディオン城を発った二日後だった。
 斥候からの報告を受け取ったシグルドは進軍を停止し、直ちに軍議を開いた。
「シレジアは中立ではなくなったのか?」
 その疑問は誰しもが抱くものであった。ペガサスはシレジアの宝であり、門外不出のはずである。トラキアの竜騎士団とは違い、シレジアのペガサスナイトが傭兵として国外に出るなど、考えられないことである。ペガサスナイトはすべて、シレジア王家の意を受けて動いていると見なすべきだ。そのペガサスナイトがグランベルの勢力下にあるエバンスに向かっているとなれば、シレジアがグランベルとの中立を破り、アグストリアについた可能性を考えなければならない。イザーク・アグストリア二方面において戦争を行っているグランベルにとって、シレジアの敵対は、考えたくもない事態であった。
「どれくらいの数が確認されたのだ?」
 横合いからレンスターのキュアン王子が確認する。
「目撃された限りでは、およそ三十騎ほどのようです」
「エバンス城を落としに来たと見なすには少ないか。だが偵察にしては多い。いまひとつ意図が読めないな。いったい……」
 そう呟くキュアンに、シグルドは言った。
「エバンスの守備は万全とはいえないまでも、決して疎かにはしていない。ペガサスナイトが空中戦を得意とし、奇襲に強いとしても、我々の帰る場所がなくなるという事態にはならないだろう。だが、彼らの真意が知りたい。ただ迎撃するのではなく、その意図を確認せねば」
 ノイッシュが挙手し、発言した。
「ならば、私がエバンスに戻り、待機いたします。リターンの杖の力を借りれば、ペガサスの到着よりも前に、城に着くこともできましょう」
「そうだな……事情をわきまえていて、現場で責任をもって指示を出せる者を誰か戻さねばなるまい。総指揮官である私が戻るわけにはいかない。お前に戻ってもらうのが適当だろう」
「わかりました。では、我が配下より二個小隊を連れて、エバンスに帰還いたします。ペガサスは決して多勢ではないようです。マッキリー攻略もありますので、あまり多くの兵を割くのは好ましくはないでしょう。すぐに準備を整えますので、リターンの使用をエスリン様にお願いいたします」
「うむ、頼んだぞ」
 シグルドは言葉を継いだ。
「ノイッシュ、言うまでもないが、目的は迎撃と殲滅ではなく、相手の真意を知ることだ。軽々しく戦端を開くことだけは避けて欲しい」
「承知しています。こちらから仕掛けるような真似はいたしません。他の者にも徹底させましょう」
 シグルドは大きく頷くと、軍議の終了を宣言した。



「なんだか騒がしいな、何かあったのか?」
 レヴィンは独り言のように呟いた。
 時刻は午後を少しまわったばかり、今日の分の行程はまだこなせていないはずだ。しかし先刻より進軍は停止し、軍全体がなにやらざわざわと落ち着かない様子である。
「なんかね、本拠地のお城に向かってペガサスが飛んできてるらしいよ」
 横合いからシルヴィアが応える。
「ペガサスが来ただと?」
「うん。斥候が見たんだって。でね、ノイッシュが手勢を連れてリターンでエバンスに戻るから、その準備中だって」
 レヴィンは真剣な表情で考え込んだ。
「……戻る連中がどこに集まっているかわかるか?」
「さあ? だけどエスリンさんのところに行けばいいんじゃない? リターンの杖を持ってるの、あの人だから」
「そうか……」
「ちょっと、ねえレヴィンどうしたの?」
「悪いな、シルヴィア、ちょっと行ってくる」
「え……行ってくるって、どこに?」
「エバンスだ。リターンに便乗して、エバンスに行かなくては」



「では、エスリン様、よろしくお願いします」
 軍装を整えた小勢が整列する前に立ち、ノイッシュはリターンの杖を握るエスリンに声をかけた。
「出る先は、エバンス城の練兵場のはずよ。飛んだ瞬間、少し気持ち悪くなるかもしれないけど、すぐ治まるはずだから」
「ワープやリターンの魔法にはなかなか慣れません。しかし移動時間を大幅に短縮できるのはありがたい限りです」
「杖を使う側もけっこう疲れるのよね、これって」
 エスリンは肩をすくめて言った。
「申し訳ありません。ご負担をおかけして」
「ううん、大丈夫。あなたこそ気をつけて」
 じゃあいくわよ、と言って、エスリンが魔法を発動させる集中状態に入ろうとしたときだった。
「待て、俺も連れてってくれ」
 息を切らせ、駆けつけてきた者がいた。
「レヴィン殿?」
 ノイッシュは不審な面持ちでレヴィンに視線を投げかける。
「エバンスに行くんだろう。頼む」
「なぜ……?」
「向こうに着いたら説明する。とにかく今はエバンスへ」
 有無を言わせぬ勢いで迫るレヴィンを、ノイッシュは静かに眺めた。しばし考え込んだ後、ノイッシュは頷いた。
「わかった。今はとりあえず共にエバンスへ行こう。早く私の横へ」
 レヴィンが自分の横に並んだのを確認し、ノイッシュはエスリンに言った。
「お手間をかけ、すみません。今度こそよろしくお願いします。エスリン様」



 ワープのような魔力による移動は、めまいに似た感覚を伴う。
 魔力の発動と共に視界がぼやけ、方向感覚が判然としなくなる。地面を踏みしめている感覚がなくなり、やがて視界が暗闇に閉ざされる。体が内側からぐにゃりと曲げられるような不快感。だがその感覚はすぐに消え、足元に再び大地を踏みしめている感覚が戻る。視界は次第に明るさを取り戻すが、大地が揺らいでいるような感覚は、しばらくは消えない。
 軽い吐き気を抑えながら、ノイッシュは言った。
「全員無事に移動できたか? 点呼を」
 ふらつき、頭を抱えている者も少なくはないが、全員欠けることなくエバンスに到着していた。
「ペガサスが到着するまで、まだ時間があるはずだ。一旦解散する。今のうちに十分な休息を取るように。追って指示を出すまで待機せよ」
 四散する騎士たちにまぎれてこっそり立ち去ろうとするレヴィンを、ノイッシュは有無を言わさず捕まえた。
「あなたには一緒に来てもらおう、レヴィン殿。エバンスを守備する者に紹介すると共に、あなたがここに来たがった理由を伺わなければならないから」
 こっそり舌打ちするレヴィンに、ノイッシュは静かな声で訊ねた。
「あなたは何者だ」
「俺は旅暮らしの吟遊詩人、以前、そう自己紹介したと思ったが」
 空とぼけたような調子でレヴィンは応えたが、ノイッシュは首を横に振った。
「あなたはシレジア人で、それも身分のある人間なのではないのか?」
 レヴィンは一瞬硬直し、ノイッシュの顔をまじまじと見た。
「……なぜ、そう思う?」
「あなたが名乗ったとおりの者でないことは、何となく察していた」
 ノイッシュは言葉を続けた。
「まず、あなたの話す大陸共通語は、純粋すぎる。訛りがまったくない。なるべく庶民的な言い回しを使おうとしているが、文法が正確で、語彙も教養を感じさせるものが多い。そんな言葉を話す人間は、それを母国語としないもので、かつ、一定以上の教養のある者だ。アグストリアやグランベル、北トラキアでは大陸共通語が日常言語だが、シレジアではそうではない。貴族階級では日常的に共通語を用いるようだが、庶民の多くは固有言語であるシレジア語を使用していると聞いている。また、あなたはシレジア人に見られる身体的な特徴を具えている。緑の髪に緑の瞳、白い肌。無論、グランベルやアグストリアにもそういった者はいる。だが、あなたほどはっきりと特徴を具えている者は、そう多くはない。加えて、あなたが得意とする魔法はエルウインド、凡百の魔道士の使うものではない。深く魔法の修行を積んだ者か、生まれつき資質を具えた、限られた血を引く者でなくては、そうやすやすと使いこなせはしない。戦に荒れる世を憂い、危険を恐れず軍に身を投じる。ペガサスナイトが来たと聞けば、進んでその場に赴こうとする。そのような者が、一介の吟遊詩人などであるものか」
「……参ったな、騎兵隊長殿の趣味が探偵だったとはね」
 茶化そうとするレヴィンに、ノイッシュは低く抑えた声で応えた。
「すまないが、今は冗談に付き合っている余裕はない。教えてくれないか、あなたが何者で、なぜエバンスに来たいと思ったのかを」
「……あんたの言うとおり、俺はシレジア人だ。そしてエバンスに来たいと思ったのは、俺ならばペガサスナイトを止められるかもしれない、そう思ったからだ。少なくとも、ペガサスナイトが俺の知り合いである確率は、かなり高いはずだから」
「つまりあなたは、シレジア人で、ペガサスナイトと知り合いであり、かつ、彼女らに言うことを聞かせられる人間、というわけだ。だが、そんな人間はごく限られている」
 レヴィンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、言った。
「……すまないが、今はこれ以上語りたくはない。必要な時が来たらきちんと話す。だからしばらくは詮索しないでおいて欲しい」
「私にとっては、今こそが必要な時なのだが。だが、あなたが話さないと言い張るなら仕方ない。ペガサスナイトへの対応さえ手伝っていただけるなら、文句は言うまい」
 ノイッシュは固い声でそう言うと、ついて来るようにレヴィンを促し、城内に向かった。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/12/20
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