二次創作小説

五月の空に

5.

 使われなくなって久しい尖塔の階段を登り切ると、城下を一望できる屋上に辿りつく。
(ああ、やはり……)
 ノイッシュは捜し求めていたものを見つけ、ほっと胸をなでおろした。
 シアルフィ城の望楼で、少女は暮れかけた冬空を見上げていた。
「やはりここにいらっしゃいましたか」
「……ノイッシュ?」
 エスリンは振り向き、少し驚いたような表情を浮かべた。
「皆が探しています」
「……見つかっちゃった」
 エスリンは小さな声で呟いた。
「普通には入れない場所ですからね。皆、エスリン様が行方不明だと心配しています」
 二人のいる望楼は、今はもう使われていない古い見張りの塔だ。地上にあったはずの入口はかなり前に封鎖され、入ることができなくなっている。だが、地下から直接塔に入れば、頂上まで登ることができるのだった。
 この塔への入り方を知っている者は少ない。エスリンは母代わりであった乳母から教わったという。ノイッシュがこの場所を知ったのは、四年前、喪ったばかりの乳母を偲ぶエスリンを探して城の中をさまよったことがあったからだ。
「……誰にも会いたくなかったんだもの」
「何か……あったのですか?」
「……たいしたことじゃないの」
「そうですか」
 それ以上は尋ねず、ノイッシュはじっと少女を見つめた。
「どうしてわかったの? ここ」
「消去法ですよ。エスリン様は城の外には出ていない。だけど誰にも見つかっていない。そんな場所の中であなたが行きそうな所と言えば、ここくらいしか思いつきませんでした」
「そう……」
「ここは危ないですよ。もう人の手が入らなくなって久しいので、途中の階段もかなり傷んでいました。腐った木材を踏み抜いて落下でもしたらどうするんですか」
「わかってる。でも……ここは空が近いから。空に語れば、きっとこの世にはもういない人たちにも伝わる。だから……」
 そう云って、少女はノイッシュに背を向け、空に目をやった。
「また、お父様に怒られたの。いいかげん、若い騎士たちと稽古するのはやめるようにと」
「バイロン様は心配なさっておいでなのです」
「何を心配するというの。わたしは剣持つ者でありたいと思っているだけ。守られる者ではなく、守る者となりたいだけなのに。それはおかしなことなのかしら」
「いえ……そんなことはありません。ですがお父上の御心もお察しください。騎士といえど、所詮、無分別な若者です。そんな男どもの群れの中に姫君が入り込むのはいろいろ危険です。エスリン様はもう、大人の女性なのですから」
「大人の女性、ね。でもわたしは、上品な貴婦人にはなれそうもない。おてんば姫、じゃじゃ馬姫、みんなそう呼んでいる。エーディンとは大違いよね」
「なぜそこでユングヴィのエーディン様の名前が出てくるのですか?」
「……昼間、行儀作法の先生に怒られたの。そんなに作法が身につかないようなら、バーハラの社交界に出てもみじめな思いをするだけだと。同じ時にデビューするエーディンは、完璧な貴婦人だから、きっと皆エーディンを賛美し、わたしなどには見向きもしないだろうって」
「……それはひどい言い草ですね」
「まあ、わたしが悪いのよね。つまらない失敗ばかり繰り返しているから。それに実際、エーディンには敵わない。あんなにきれいで、素敵な人には。大好きな幼馴染だけど、わたしはあんなふうになれそうもない。私は父もあきれるおてんば娘、がさつで女らしさに乏しくて、優美さのかけらもなくて」
「そんなことはありません。エスリン様は十分に女らしく、優しくて魅力ある貴婦人です。エーディン様とはあり方が違うだけで」
「なぐさめてくれなくていいの、自分でもわかっているから」
「そうではなくて。ほら、有名な詩があるでしょう?

 百合と菫 いずれの香や優る
 小夜啼鳥と雲雀 いずれの歌や優る

 さにあらず 菫は菫 百合は百合
 朝に響くは雲雀の歌 宵に囁くは小夜啼鳥の調
 いずれ優るとも劣らず

 つまりそういうことです。エーディン様はエーディン様、エスリン様はエスリン様。ぜんぜん別物なのですから、比較したって意味がありません」
 エスリンは振り返り、まじまじとノイッシュの顔を眺めて口を開いた。
「……ねえ、ノイッシュ、もしかして女の子を口説く練習でもしているの? そんな詩を引っ張り出してくるなんて」
「ひどいな。私だって詩的な表現法を身につける努力をしてるんですよ。これでも」
「ああうん、ごめんなさい。でもね、そういうの、歯が浮きそうにならない?」
 ノイッシュは下を向き、小さな声で応えた。
「……ええまあ」
 少女は小さな声でくすくすと笑った。
「でも、ありがとう。言いたいことはよくわかったわ」
「実際、大丈夫ですよ。エスリン様に心惹かれないなど、木石でもない限りありえません」
「でもね、わたしの手、こんなに豆だらけだから。手袋越しでもわかってしまうってダンスの先生にも嘆かれたわ。踊るために手に触れられたら、あきれられてしまうんじゃないかしら」
「その手の価値がわからない男など、まぐさの肥やしにでもしてしまえばいいんです。馬を操り剣を握り、馬上で杖を振るう。それがどんなに意義のあることか、戦士であるならば理解しています」
「女性にそれを求めない殿方もいると思うけど」
「ならばその手は試金石となるでしょう。その手を価値あるものと思う男ならば、エスリン様の真価を見損なうこともない」
「……ねえ、もしも、バーハラで誰もわたしを相手にしてくれなかったら、その時はどうなってしまうのかしら?」
「そんなことはありえないと思いますが……たとえそうなったところで、このシアルフィにあなたのことを好ましく思う者がいるはずです。まったく問題ありません」
「そうなのかな……」
「そうですとも。例えば私……の兄とか」
「えー……」
 エスリンはノイッシュの顔を探るように見つめ、小さな声で呟いた。
「アンリより、ノイッシュのほうがいいな」
「え……?」
「だって、アンリは隙がなさすぎてつまらないもの……悪い人じゃないけど、ちょっぴり意地悪だし」
「意地悪……何か、されたのですか?」
「ううん、わたしには何も……でも、以前、あなたのことを少し、ね」
「そんなことがありましたか?」
「たいしたことではないけれど……アンリがあなたを軽く見るような云い方をして、それを訊いてノイッシュ、少しつらそうだったから」
 それは実はよくあることだった。しかし、そのことにエスリンが気づき、心に留めていたということに、ノイッシュは少し驚いた。
「それで、この人はそんなには好きになれないなあって」
「ですが、兄は同世代の騎士の中では抜きん出ていて……」
「うん、そうよね。お父様も気に入っているみたい。女の人たちにもすごくもててるし。わたしも……別に嫌いというわけではないの」
「……ええ」
「……何か云われたの?」
「はい?」
「アンリ自身がわたしをそういうふうに求めているとはあまり思えないのよね。だけど、それを望んでいる人たちがいることはなんとなく知ってる。でも、あなたがそれを口にすることはないでしょう?」
「エスリン様、私は……」
「……ごめんなさい。こんなこと云われても困るだけよね」
 ノイッシュは言葉を失った。エスリンは勘がいい。アンリの性格も、周囲の願望も、おそらくかなり正確に読み取っている。そしてもしかしたら、ノイッシュの想いも。
「……もう、戻りましょう。日が暮れてしまいます。暗くなってからでは、塔を下るのがさらに危険になってしまいますから」
「そうね」
 エスリンは素直に頷いた。
 ノイッシュはエスリンに頷き返すと、彼女に背を向け、先に立って歩き出す。
「――――――」
 エスリンがうつむいたまま、小声でなにか呟いた。
「……今、なにか?」
「ううん、なんでもない。もう行きましょう」

《ノイッシュの馬鹿。唐変木――》
 そのエスリンの呟きがノイッシュの耳に届いていたら、何か変わっていただろうか。それとも何も変わらないままだっただろうか。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/11/06
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