二次創作小説

五月の空に

4.

 目を覚ますと、頭が割れるように痛かった。
 口の中がからからで、ひどくのどが渇いている。胃がむかつき、実際に吐いてしまうほどではないが、まだ吐き気が残っている。
(これが二日酔いというやつか)
 実は初めての経験だった。
 昨夜のことはきちんと覚えている。残念ながら酔って記憶が飛ぶということはなかったらしい。だがそれだけに、語るべきではないことを長々と語ってしまった自分が恥ずかしかった。
(ところで、今は何時だ?)
 いつもなら、この季節なら夜明け前に起き出している。だが、今、すでに周囲は明るい。
(寝過ごしたか……しまったな)
「ああ、なんだ。起きてたか」
 部屋の扉を開け、アレクが入ってきた。
「これを飲め。酔い覚ましだ」
 そう言って、アレクは湯気の立ち上るコップをノイッシュのベッドの傍らにある小卓に置いた。
「ありがとう……すまない」
 コップを手にし、薬湯を口に含む。くせのある甘みの奥に形容しがたいえぐみが潜んでいた。思わず吐き出したくなったが、我慢して飲み込む。
「まずいだろう?」
 ちょっと嬉しそうな顔でアレクが云った。遊び慣れているアレクは、頻繁にこの飲み物の世話になってきたのだろう。
 ノイッシュは黙ってコップの中身を少しずつ口に入れ、どうにか最後まで飲み干した。
「今日はそのまま寝ておけ。昨日の今日だ。まともに仕事ができる状態じゃないだろう」
「そうはいくか。二日酔いごときで怠けるなど……」
「いや、ぼんやり仕事されててもこっちが迷惑なんだ。それに、今日はもう起きていられないはずだ。さっきの薬、眠り薬も混ざっているから」
「なんだと」
「文句があるなら施療所のパルマーク司祭に言え。お前の様子を話したら、その薬を処方して渡されたんだ」
「いったいどんな説明を……」
「込み入った話はしてないぞ。何かひどく悩むことがあったらしく、強い酒を無理に飲んでいたと話した程度だ。かなり心配しておられたから、明日にでも顔を出しておくといい」
「そうか……」
「夕方くらいには薬の効果も切れるだろうが、それまではまともに動けないだろう。なに、日頃真面目なお前がさぼっているとは誰も思わん。体調が悪そうなので無理やりに寝かせてきたと報告しておくから、安心して休んでいろ」
「……すまない。何から何まで」
 昨夜、派手に吐いた後、意識が朦朧とし始め、そのまま寝てしまった。今、周囲がきれいに片付いているところを見ると、吐瀉物の後始末などもやらせてしまったらしい。恥ずかしくて泣きたくなってくる。
「あんまり気にするな。そういう日もあると思って、受け流しておけ。まあ今日は、とりあえず休め。お前にはさぼりも貴重な経験だ」

 再び目を開けると、もう日が傾きかけていた。冬場の昼間は短い。おそらく午後四時を回ったあたりであろうか。
(結局……一日何もしなかったな)
 ノイッシュは横になったまま、ぼんやりと考えた。
 気分はだいぶよくなっていた。頭痛と吐き気はほぼおさまり、気持ちもかなり平静になっていた。仕事を怠けたことには罪悪感があったが、結局これで正解だったのだろう。薬を盛ってでも眠らせてくれたことに感謝すべきだ。
(こんなふうに真昼間から寝ているなど、久しぶりだ)
 基本的に体が丈夫で、床につくようなことはあまりない。二、三年に一度ほど、寝込んでしまうような風邪を引くこともあるが、いわゆる大きな病を患ったことはなかった。
(意外と疲れていたのかもしれない)
 ゆっくりと眠ることによって、随分落ち着くことができたように思う。落ち着けば、自分が何を思い、何に心乱されていたのかも次第に見えてくる。
(俺は幼く、愚かだ……)
 自分の心がどこを向き、何を求めているかにまるで気づいていなかった。兄に対する劣等感や対抗心、それももちろん無視できるものではない。だが一番肝要なのは、自分がごくごく単純に、異性としてのエスリンに惹かれていたという事実だ。
 自分にとっての彼女は単なる主筋の姫君ではない。ましてや妹などであるはずもない。
 彼女を誰にも渡したくない。相手が兄だから嫌なのではない。本当はどの男にだって譲りたくなどない。その笑顔を独占し、その体を抱きとめ、そして――
 だが、それは自分ひとりの思いに過ぎない。肝心なのは彼女の心だ。
 自分が一番に願うべきことは何だ。
 シアルフィの安泰――それは騎士としては当然の願い。平穏な日々の基盤をなすべきもの、騎士としての自分が守るべきものだ。
 自分の欲望の充足――それは人としては当然の欲求。醜いとは思う。だが、真実から目を背け偽りを信じようとするのは、愚かでしかない。
 エスリンの幸せ――それこそが求めるべきものであるはずだ。だが、エスリンの幸せとは何なのだ。彼女が笑って暮らせるように。悲しい思いをしなくていいように。そのために自分がすべきこととは、いったい――
 すべてを叶えようとしても、何かは叶わない。では、最優先すべきものは何だ。なるべく矛盾を来さぬように、なるべく多くの命題を満たせるように。そう考えれば、選択すべき道はおのずと定まってくるはずだ。
「ノイッシュ、起きてるか?」
 突然、アレクが扉を開き、室内に入ってきた。息を切らし、せわしない様子で足早に近づいてくる。
「ああ、しばらく前に起きた。何かあったのか?」
「エスリン様の姿が見えない」
「何だと?」
「行儀作法の授業の後から行方不明らしい。また勝手に遠乗りにでも出かけられたのかとも思ったんだが、城外へ出た形跡はない。城の中のどこかにいるはずなんだが、さっぱり見つからない。もう日暮れも近いので、皆心配している。お前、心当たりはないか?」
「思い当たる場所がなくはない……探してみよう」
「それはありがたいが……動けるか?」
「大丈夫、だと思う……たぶん」
「まあ、病気じゃないしな。薬さえ抜けていれば問題ないとは思うが、無理はするなよ」
「ああ、わかっている」
 じゃあ俺は捜索に戻るから、と言い残し、立ち去ろうとするアレクを、ノイッシュは呼び止めた。
「アレク、面倒をかけてすまなかった。おかげでだいぶ楽になった」
「どうやら落ち着いたみたいだな」
「今回のことは、他言無用で頼む」
「無論だ、云われるまでもない。だが……」
「うん?」
「あまり自分の中に溜め込み過ぎるな。適当に発散するなり相談するなりしてくれ。お前に潰れられると、俺の仕事が増えてかなわん」
「……そうだな、すまない」
「じゃあ、俺は行くからな」
 アレクが立ち去るのを見送り、ノイッシュはベッドを出て身なりを整えた。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/11/06
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