二次創作小説

五月の空に

2.

 グラン暦七五二年、初冬――

「どうだノイッシュ、今夜あたり一杯。城下にいい店を見つけたんだが」
 一日の務めを終え自室に戻ったノイッシュに、同室に起居しているアレクが声をかけてきた。
 アレクとノイッシュは十五歳の頃から共にシアルフィ公爵バイロン卿のもとで、騎士になるための修業を積んできた。二人とも先年、十八歳に達し、冬至祭の時に叙勲を受け、正式な騎士となっている。騎士になったとは言えまだ一年目、若く未熟な部分の抜けきらない十九歳の青年たちであった。
「すまない。今日は帰宅するように言われているんだ。久々に兄がバーハラから戻っているから」
 基本的には、彼らは見習い時代から引き続き、普段は城内で起居している。しかし、城下に父の屋敷があるノイッシュは、時折自宅に帰ることもあった。
「アンリ様が国許に戻ってきているのか」
「ああ、この冬の社交シーズンには、エスリン様がバーハラの社交界にデビューされる。そのための準備がいろいろあるらしい」
「ああ、なるほど。姫ももう十六歳だしな、そういうお年頃か」
「そういうわけだ。なので飲みに行くのは又に。父も兄も城下で俺が遊んだりするのは喜ばないから」
 アレクはおどけたように肩をすくめ、云った。
「このお坊ちゃまが。……しかしまあ、お前も難儀だな」
「うん?」
「ウシュナハ卿もアンリ様も、傍から見ている分には立派な方々だが、家族として付き合うのは骨が折れそうだ。こう、あからさまに模範的な騎士だから、うかつに気を緩めることもできなさそうで」
 ノイッシュは苦笑しながら応えた。
「まあ、俺としては生まれてこの方その環境で育ってきたから、そういうものだと思っていたが……城に上がってからのほうがのびのびできたと云ったら驚かれたっけな」
「そりゃそうだろうさ。見習い時代の生活などは、普通は規律と束縛だらけで、しかも肉体的にもキツいもんなんだが……あれも、実家よりはましだったと?」
「家にいたころは、八歳の頃から夜明けとともに起きて朝の鍛錬と馬の世話だ。その後も勉学だの剣の練習だので、自由時間らしきものは午後に一、二時間程度だったかな。夜はもう疲れきってすぐ寝るしかなかった。見習い時代の方が、朝が遅くて夜も早めに解放されていた分、自由だったかもしれない」
「おいおい……そりゃ子どもの生活じゃないぞ。働かないと生活できない庶民の子どもだってもうちょっと遊んでそうなもんだ。で、どうせお前のことだ。そのわずかな自由時間だって読書だとか竪琴の練習だとかにあててたんだろ? 道理で遊ぶのが下手なわけだ」
「そうだな……」
 たしかに俺は遊び下手でつまらない奴かもしれん……と、沈んだ調子で続けるノイッシュに、アレクはあきれたように云った。
「軽口にいちいち真剣になるなよ。軽く受け流せって。遊ぶのが下手なのは確かだが、だからつまらないかっていえばそんなことはないから」
「……そうか?」
「その、いちいち真剣なところが、却って面白いんだ。いじりがいがあって」
 どう反応を返したものだろう。憮然とした表情でノイッシュはアレクのほうを見た。
「そんな顔するなって」
 アレクはさも可笑しそうに声をたてて笑うと、ノイッシュの背をばんばんと軽く叩いた。
「あんまり気にするなよ。悪いことを覚えるのなんて一瞬でできるんだ。子どものうちからきちんとした生活を身につけていたお前のほうが、長い目で見ればきっと得をしているから」
「……そうだろうか。時々、自分の融通の利かなさが、ちょっと馬鹿げて思えるんだが」
「ああ、それは、育ち方じゃなくて生まれつきの性格だ。だって、アンリ様はお前よりずっと要領いいだろう?」
 図星すぎて云い返す言葉が見つからない。
「まあなんだ、また暇になったら城下にでも遊びに行こう。お上品じゃない遊びを教えてやってもいいんだぞ」
「いやそういうのは……酒を飲む程度にしておきたいかな」
 アレクの云う『お上品ではない遊び』がどのようであるものかは、容易に推測がついた。彼の女性関係が華やかであることはすでに皆の知るところであるし、ずっと同室をあてがわれてきたノイッシュは、どのくらいの頻度でアレクが外泊しているかも知っていた。ノイッシュとて若い健康な男性なので、そういった方面に全く興味がないと言えば嘘になるが、無責任に異性と関係を持つことには抵抗感があった。
「せっかくの男ぶりがもったいない。望めばよりどりみどりだろうに」
 輝く金の髪に整った目鼻だち。すらりとして、適度に引き締まった体躯。自分の容姿が悪くない――むしろどちらかと言えばかなり良い――ことをノイッシュは自覚していた。だが、それは彼にとって必ずしも歓迎すべきことではなかった。
「……俺の見た目に目を留める人は、たいてい俺の向こうに別の人間を見ているから」
 なるべく平静を装って応えようとしたが、どうしても表情がこわばり、声が硬くなる。
《本当に、アンリ様によく似ていること。でも……》
 身長が伸びきり、すっかり大人になった最近では、そういった言葉をかけられることがさらに増えていた。自分ではないものを求められ、結局失望されてしまうことの繰り返し。兄と彼を勝手に重ね、兄に相手にされなかったことの埋め合わせに、彼に声をかけてみようとする女性のなんと多いことか。
「確かに、お前とアンリ様は見た目がそっくりだが、別にアンリ様と関係なくお前を見ている奴だっていないわけじゃない」
「そう……だろうか」
 その言葉を信じるには、兄はあまりにも高名だった。シアルフィの誉れ、騎士道の精華と呼ばれる兄。若くして知勇ともに優れていると公爵家当主バイロンにも認められている、ウシュナハ卿の跡取り息子。見た目がよく似ているだけに、真面目で実直なだけが取り柄で、取り立てて才長けているわけでもない自分がみじめですらある。
「まあ、あまり考えすぎるな。そうやって気にしすぎるのがお前の悪いところだ。面の皮一枚といえど、よければそれなりに武器になるもんだ。それに老けてくりゃ表情次第で違う顔になってくるもんだろうし」
「……だといいが。すまんな」
「謝るなっての。謝るくらいなら今度おごってくれ」
「おごるのはいいが、あまり高いものは頼まないでくれよ。実家はともかく、俺自身は公国からの俸給で暮らしている若造なんだから。個人として使える金はそんなにあるわけじゃない」
「名家のお坊ちゃまの癖にしみったれてるなあ。まあ、仕方ないか。その辺り、厳格そうだしな、お前ん家」
 とりあえずまた今度な、と云い残して、アレクは立ち去っていった。

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written by S.Kirihara
last update: 2014/11/06
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