二次創作小説

秘密

 ヴェルダン城の一室で、シアルフィの騎士ノイッシュは戦後処理の報告書に目を通していた。
 先日の戦いは後味の悪いものだった。ヴェルダンのバトゥ王は、暗黒魔道士サンディマによって傀儡にされていた。ロプト教徒が何を思ってこの辺境の王国に魔の手を伸ばしていたのかはいまだ不明だが、グランベルに敵対するようヴェルダンを唆したのは、この暗黒魔道士であったのは間違いないと思われた。
 今、グランベルはイザークと戦争状態にある。辺境のヴェルダンが野心を抱き、国境に攻め込むのはあり得ない話ではない。だが、そこにロプト教の暗黒魔道士が絡んでいるとなると、何かただならぬ不吉なものを感じざるを得ない。
 グランベルの民の一般的な感覚として、ロプトの信者というのは得体の知れない恐怖の存在である。ロプト帝国の終焉より百年余、暗黒教団の恐怖の記憶は徐々に薄れつつあった。だが、いまだロプト教徒に対する偏見と憎悪には根深いものがあった。
(もっとも、暗黒魔道士がこのヴェルダンに来ていた目的は、グランベル侵攻だけではなかった可能性もあるわけだが……)
 マーファ近郊の村落で、ノイッシュは気がかりな話を耳にしていた。精霊の森の奥深くにはロプトの隠れ里が存在し、そこには皇弟マイラの末裔が住んでいるという。もし、この話が事実だとすると、あの娘はロプトの皇族の血を引く者であるかもしれないのだ。
 ヴェルダン城に至る道にうっそうと拡がる精霊の森を抜けたときに、シグルドの一行に加わった娘がいた。ディアドラと名乗るその娘は並ならぬ魔力の持ち主で、高位の杖と魔法書を使いこなす巫女であった。彼らの主君シグルドは、その娘に心奪われ、またたく間に相愛の仲となった。
 シグルドは優れた青年であったが、あまり女性に対し積極的とは言えない男でもあった。これまでもいくつかの恋の噂がなくはなかったが、シグルドが相手に対しあまり執着を示さないためか、いつの間にか恋の兆しは消え去り、実ることなく立ち消えていた。そんなシグルドを傍近くで見てきた者として、主君の恋は歓迎すべきものであり、相手が身分において劣る者であったとしても、なるべくならば幸せな結末に結び付けたいと考えていた。だが、相手がロプトの末裔とあっては話が別である。
 事が事だけに、変な噂が漏れることは食い止めなければならない。真相の究明は余人の手に任せられるものではない。ノイッシュは同僚で親友のアレクにのみ相談を持ちかけ、その協力のもとに秘密裡に調査を行っていた。
「俺だ。今戻った」
 ドアをノックし、室内に入ってきたのはアレクだった。
「どうだった? 例の件は?」
 ノイッシュの問いかけに、アレクは首を振り、声をひそめて言った。
「あの話は真実である可能性のほうが高いと見るべきだ。ディアドラ嬢はたしかに例の隠れ里の出身で、しかも隠されるようにして大切に育てられていたらしい」
「そうか……」
「しかし、まずいことになったな。さすがにロプトの血を引く娘を、シアルフィ公爵家の花嫁として迎え入れるわけにはいくまい」
「お前もやはりそう思うか?」
 ノイッシュの問いかけに、アレクは大きく手を振って応えた。
「当然だろう。ロプトに対する反感はいまだ根強い。それだけでなく、シグルド様はバルドの血を継ぐ者でもある。二人の結びつきによって、バルドの血の中にロプトの血が永久に混ざりこむ。さすがにそれはまずいだろうさ」
「シグルド様は、ご存知なのだろうか」
「ご存知でないからこそ、花嫁にしようとしているのさ。と言いたいところだが……シグルド様の性格を考えると、知った上でなおも押し切りそうな気がして、実は怖い」
「そうだな……」
 シグルドは温厚な性格ではあるが、いったん思いを定めると容易には覆さない。また、ロプト教徒に対してもかなり同情的であり、ロプト教徒の弾圧に関しては断固反対の立場を採っている。ノイッシュにしても、何の罪をも犯していないロプトの末裔を、ただその血筋のみを理由に迫害し、虐殺することなどに到底賛同はできないが、ロプトの皇族の血を継ぐ者を主君の花嫁に迎えてもいいかと問われれば、否と言わざるを得ない。
「で、どうする?」
「本人に……ディアドラ殿に確認してみる。そして真実であるならば、これ以上シグルド様に関わらず、森に帰るよう勧める」
「それしかないな。だが彼女が立ち去らないと言ったらどうする?」
「……この手で始末する」
 ノイッシュの声は小さかった。だがそこに確かな決意を感じ取り、アレクは息をのんだ。
「お前……本気か?」
「他に方法があるか?」
 蒼白な顔でノイッシュは反駁した。
「しかし、お前にできるのか?」
「やらねばなるまい。そんなことをすれば、シグルド様は決して私を許さないだろう。だが、主君に過ちがあらばこれを正し、おのが命をかけて公国のために尽くすのは、騎士の本分だ。それに、家を継ぐ必要のない私に失うものなどない。お前は嫡子だ。家名を守る義務がある。この件にはこれ以上関わるな」
「ただの貧乏な騎士である俺に、そんな配慮をする必要はない。我が家名など、お前の命と引き換えにするほどの価値はない。そもそも、家の話を持ち出すなら、お前こそどうなんだ? お前の父上であるウシュナハ卿や兄上アンリ殿に余波が及ぶようなことになったら、そっちのほうがまずいんじゃないのか?」
「我が一族はシアルフィにおいてそれなりの力を持っている。私が言うのもなんだが、父も、兄も、今のシアルフィにとって欠かせざる存在だ。だからこそ、期待されているわけでもない末子の私がその愚行ゆえに誅されたとしても、一族の趨勢に与える影響は少ない。私がいなくなったところで、我が一族にも、シアルフィ公国にもたいした損失とはならない。私など、思い切りがいいだけの、ただの猪武者だ。お前の才のほうがむしろ惜しむべきものだ。お前の冷静さと分析能力は、シグルド様にとって必ず必要となる」
「なんだと……馬鹿なことを言うな!」
「そんな顔をするな。なにも必ず手を下さなくてはならないと決まっているわけじゃない。自分から死を望む人間などそういるものではない。帰らねば殺されるとなれば、きっと彼女も聞き分けてくれるだろう」
「……そうであることを望むしかないのか」
「というわけだ。私はディアドラ殿のところへ行く。あとはよろしく頼む」
 ノイッシュはアレクの肩を軽くたたくと、扉に向かった。
「ノイッシュ!」
 小さな、だが鋭い声でアレクは呼び止めた。
「無茶は……するな」
「ああ。わかってるさ」
 ノイッシュは振り返り、軽く微笑んだ。そして踵を返すと、片手をあげて軽く振り、そのまま立ち去った。

「失礼します」
 ノイッシュはディアドラに与えられている一室の扉をノックした。
「どうぞ、お入りください」
 扉を開くと、儚げな印象の銀髪の娘が、暖炉の前に置かれた椅子の背に手を置き、部屋の入り口に視線を向けていた。
「ありがとうございます。今、おひとりですか?」
「はい」
 ノイッシュは室内に入り込むと、扉をしっかりと閉ざした。
「シグルド様に仕える騎士の方ですね?」
 警戒しているのだろうか。娘は緊張した面持ちで問いかけてきた。
「ノイッシュと申します。お見知りおきください」
「こちらにどうぞ」
 娘は自分の傍らにある椅子を指し示した。
 ノイッシュは勧められるままに椅子に座り、ディアドラに言った。
「ありがとうございます。あなたもおかけになってください」
 季節柄、暖炉に火は入っていない。だが、毛織の敷物が引かれた暖炉の前には二客の椅子と小さなテーブルが置かれており、くつろげる空間が作られていた。おそらく、シグルドが頻繁にこの部屋を訪れ、ここで彼女と語らいあっているのであろう。
「それで、わたしにどのような御用なのでしょうか」
 ノイッシュは大きく息を吸い、静かに云った。
「単刀直入に申し上げます。あなたの出自を教えていただきたい」
「わたしの……出自?」
「シグルド様はあなたを花嫁にと望んでおいでです。個人的にはあなたに含むところはないし、シグルド様の望まれることであったら是非にでも叶えてさしあげたい。ですが、シアルフィ公国を守る者として、気がかりなのです。あなたが何者であるのかが」
「そう……そうですよね。当然のことだと思います」
「シグルド様は気まぐれに女性を弄ぶような方ではない。あなたを望まれるからには正式な妻に迎えようとなさるはずです。公爵家の花嫁は公人として様々なことを求められますし、その出自に関して不審な点があるのは望ましいことではありません。後ろ盾が必要であるならば、あなたを立場ある者の養女とし、そこから嫁いでいただくという形をとることも考えています。ですがそうした手続きをとる前に、まずあなたのことをもっと知っておきたいのです」
「私は……精霊の森の小さな村で生まれ育ちました」
「精霊の森の村についてある噂を聞きました。精霊の森にはロプトの血を引く者が隠れ住む村があり、皇弟マイラの末裔がひっそりと暮らしているのだと……」
 娘は目を見開き、表情をこわばらせた。
「お伺いします。あなたは、ロプトの隠れ里の生まれなのですか?」
「……ええ」
「そして、皇弟マイラの末裔でもある。そうなのですね」
「ええ、そうです」
 ノイッシュは軽く眼を閉じ、嘆息した。
「シグルド様はそのことを……?」
「……ご存知でいらっしゃいます。私が申し上げました」
「それでもなお、あなたとシグルド様は求めあっている」
「シグルド様はおっしゃいました。私が自らの運命を恐れる気持ちはわかる。だがこわがっているばかりでは何も生まれない。二人の気持ちが同じなら、なにも恐れることなどない筈だ、と」
(なんということだ――)
 一番おそれていた事態だった。ディアドラはロプトの末裔だった。そしてそのことを承知の上でシグルドは彼女を望んでいる。
「申し訳ありません。シグルド様があなたを求めていたとしても、シアルフィの、いえ、グランベルの騎士としては、あなたをシグルド様の花嫁として認めることはできません」
「そのようにおっしゃるのではないかと思っていました」
「このまま森へお戻りください。私はあなたを迫害することを望んでいるわけではない。シグルド様の許から去られるのであれば、あなたに何の危害も加えません」
「……いやだ、と、申し上げたら、どうなさいますか?」
「ディアドラ殿!」
「わたしを殺してでもお止めになられますか?」
「それは……!」
「あなたが何をおそれておいでなのか、わかっているつもりです。わたしの血の中には暗黒神ロプトウスが眠っている。わたしを育ててくれたおばばは言っていました。わたしは悲しみと禍をもたらす者、決して世に出てはならないのだと」
「わかっておられるのなら、なぜ……!」
「シグルド様にお逢いするまで、わたしには何もありませんでした」
 娘は静かに語りはじめた。
「世に出てはならない存在、隠されるべき者。わたしは、いえ、わたしもわたしの母も、そのように呼ばれて育ちました。母はそんな暮らしに我慢できなかったのでしょう。いましめを破り、村を去り、いずこかでわたしを授かり、ふたたび村へ戻ってきました。どこで何をしていたのか、わたしの父が誰であったか、何も語らぬまま、母は世を去りました。母と同じ轍を踏んではならないと、おばばは事あるごとに言いました。では、わたしはなぜこの世に生を享けたのでしょう。望まれざる命であるなら、最初から与えられなければよかったものを」
 聞きたくない。もうやめてくれ。そんな言葉が喉から出そうになった。知ることは迷いを生むことに繋がる。聞けば彼女に同情してしまう。斬り捨てることなど、できなくなってしまう。
 だがそんなノイッシュの思いをよそに、娘は淡々と言葉を連ねる。
「シグルド様と出逢って、世界そのものが変わったかのように感じました。何もなかった世界にいきなり光が差し込み、すべてのものに意味が与えられ……。そんなものは錯覚なのだ、求めてはならないものなのだと、何度も何度も否定しました。でも、どうしても思いを断ち切ることができなかった。そして精霊の森を通るシグルド様と再会しました。わたしはもう耐えられませんでした。気づけば、あの方の側に歩み寄っていました」
 今まで淡々としていたディアドラの声が、にわかに熱を帯びる。そのときの心の高まりを思い出したのだろうか。その声はかすかに震えていた。
「わたしにとって、シグルド様を失うことは、出会う前に戻るのと同じではありません。この世界にやっと見つけたただひとつの光、ただひとつの意味を失うということに他ならないのです。それはもう、死そのものと変わらないのではないでしょうか。ですから、わたしは死など恐れません。シグルド様を失うことのほうが、死よりもおそろしいから」
「……あなたのお気持はわかりました。ですがそれでも私は――!」
 ノイッシュは立ち上がるとディアドラの前に歩み寄り、剣の柄に手を伸ばした。
 柄を握る手が震え、力が入らない。そのまま動きが止まり、冷汗が背を伝う。
 視界が霞み、目頭が熱くなる。
 体が言うことをきかない。剣を抜き払う、それはもう身に染み付いた動作のはずだ。だがそれがどうしてもできない。
 この儚げな娘は、世界そのものを破滅に導く災いの源となるかもしれない存在だ。人を殺したことがないわけでもない身で何をためらう。戦場では幾多の敵を斬り伏せてきたではないか。
 突然、扉が開け放たれた。
「ノイッシュ、彼女から離れろ!」
「シグルド様――!」
「そこで何をしている。お前はディアドラをどうしようというのだ」
 怒りの形相もあらわに、シグルドは足早に歩み寄り、ノイッシュの右手を掴んで渾身の力でねじあげた。
「なぜ剣の柄に手を置いた? ディアドラを害する者は、誰であっても許しはしない。たとえお前であってもだ」
「違うのです、シグルド様。ノイッシュ様はただあなたのことを心配して……」
 ディアドラはシグルドに歩み寄ると、その手をシグルドの手の上に重ね、歎願するように云った。
「ディアドラ……?」
「お心をお鎮めになって、どうか……」
 シグルドは困惑したような表情を浮かべ、ディアドラの顔に視線を落とした。
「いえ、違いません。私はディアドラ殿を害そうとしていました」
「なんだと!」
 シグルドの手に、再び力が込められた。怒りに燃えた目で、ノイッシュを見据える。
 シグルドの視線を正面から受け止め、ノイッシュは小さな声で、だがはっきりと云った。
「お手打ちになさって結構。もとよりその覚悟はできております。ですが、殺される前に申し上げておきたいことが。どうか私の言葉をお聞きください」
 はらはらした表情で二人を見つめるディアドラに、ノイッシュは告げた。
「ディアドラ殿、扉を閉めてください。ここで語られる言葉が外に漏れてはまずい」
「は、はい」
 小走りに、ディアドラは廊下に続く扉に向かい、扉を閉めた。
「手をお放しください、シグルド様。この期に及んで手向かいなど致しません」
「お前の剣は預かる。その後でこの手を離す。それでいいな?」
「はい」
 シグルドは左手でノイッシュの剣を剣帯からはずし、ノイッシュを解放した。
「座るがいい」
 眼前の椅子を視線で示し、シグルドは命じた。
 ノイッシュが言われるままに腰を下ろすのを見届けると、シグルドはおのれの傍近くにディアドラを引きよせ、そっと守るように彼女の肩に左手を置いた。その右手には先ほどノイッシュから取りあげた剣が握られている。
「それで、何を言おうというのだ、ノイッシュ」
 怒りを含んだ、低く抑えた声でシグルドは問いかけた。
 ノイッシュは足元に視線を落とし、しばし考え込んだ。だが、やがて顔を上げシグルドの顔を正面から見つめ、抑えた声で話し始めた。
「ディアドラ殿は、ロプトの末裔です。お二人が結びつくのをこのまま看過するわけには参りません。どうか、彼女のことはお諦めください」
「ディアドラがロプトの末裔であることがそんなに問題か?」
「あたりまえです。彼女の血脈から、暗黒の神が甦るかもしれない。そんな危険な存在をバルドの末裔であるシグルド様と結びつけることなど、許されるはずがありません。その血を受け継ぐ者から万が一、暗黒神が復活したら。なのに暗黒神を討つべき聖戦士の血は闇と混ざり合い、失われていたとすれば。その時、我らはいかにして甦った闇の神に対抗すればいいのですか?」
「ならばお前はロプトの血など滅ぼせばいいと思っているのか? ロプトの末裔をその血筋を理由に迫害し、虐殺する輩と同じ考えを持っているのか?」
「そうは申しません。ただ、シグルド様の、バルドの血脈とロプトの血脈が交わることをおそれているのです。あなたがバルドの直系でなければ、世界を守る力を持つ方でなければ、このようなことは求めません」
「ならば私がバルドの末裔であることを捨てよう。シアルフィを捨て、ディアドラとともにひっそりと二人だけで生きよう。家は、血筋は、エスリンかオイフェが受け継げばいい」
 思いもかけないシグルドの言葉に、ノイッシュは息を呑んだ。
「そんな無茶なことをおっしゃらないでください。今、あなたを失っては、シアルフィは立ち行きません。バイロン様は戦場にあり、エスリン様はすでに他家の方。オイフェは才能のある子ですがまだ幼い。シグルド様より他に、シアルフィを守れる方などいないのに。聖痕を持ち、いずれ聖剣ティルフィングを受け継ぐあなたこそが、シアルフィを支えているというのに」
「私を買いかぶるな。私は愚かな、私情にとらわれた男だ。ディアドラを失うなど、我が魂を失うのと同然。彼女なくしては、他のことに尽くす力も心も、すべて消え去るだろう。もはやディアドラのいない世界に生きることなど、私にはできない」
「お願いです。我々を憐れんでください。力なき者のことをお考えください」
「力なき者? これほど雄弁に語るお前に力がないはずはなかろう?」
 シグルドの怒りを含んだ揶揄を受け止め、ノイッシュは歎願するようになおも言葉を続けた。
「シグルド様、十二聖戦士の血筋は力そのものです。薄く受け継ぐだけでも抜きんでた戦士の資質を発揮し、選ばれし者は神宿る武器を自在に使いこなす。であるからこそ、人々は血を受け継ぐ貴き方々に容易に従い、世は大きく乱れることがないのです」
「人間は、ただ血を受け継ぐための器ではない。猟犬や軍馬を改良するように、その血の掛け合わせに心を砕くなど、愚かだとは思わないのか」
「思いません。十二聖戦士の血は特別なものです。あなたは力持つ者であるから、お気づきではないのかもしれませんが。バイロン様、シグルド様、エスリン様、そしてオイフェ。傍らにあって見ることを許されてきたからこそ思うのです。血を持つ方々は特別なのだと」
 シグルドはしばし沈黙した。考え込むような表情で宙を見つめた後、静かに云った。
「……特別だからこそ、恐ろしいと思ったことはないか?」
「どういうことですか?」
「お前の言うように、聖戦士の血は大いなる力を与える。だが、それはただ、戦いの資質にのみ与えられるものだ。優しさ、賢明さ、心の正しさなどに、その力が及ぶわけではない」
「そう……でしょうか?」
「我らが祖、十二聖戦士は心正しき人々だった。だがその末裔が必ずしもその心を受け継いでいるわけではない。聖戦士の血筋でありながら、卑しい心を持つ者もまた存在している。バーハラの宮廷に行けば、そんな例を見ることがある。血を受け継ぐ者は力を持っている。だが、力持つ者が心正しき者ではなかったとしたら? 心卑しき者が、その力のままに力持たざる者を蹂躙したとすれば? それはかつてのロプト帝国のありようと、どれほど違うというのだろう。だからこそ私は思うのだ。聖戦士の血など、薄まってしまえばいい。薄まって、消えてしまえばいい。神器などに頼ることなく、人はおのが歴史を刻むべきだ。ロプトの血のみをお前は恐れるが、それと同じくらい、十二聖戦士の血も危険なのだ」
「そんな……」
「お前はおのれを力なき者と言うが、決してそんなことはない。かつての十二聖戦士のことを考えてみるがいい。ダーナ砦の奇跡より以前は、彼らは普通の人間だった。普通の人間でありながら、暗黒の神と戦う勇気を持つ人々だった。だからこそ彼らは英雄なのだ。世界を守りたいと思う心こそが、本当の力だ。ならば、おのれの幸福を求める私などより、おのれの身を捨ててもシアルフィを、いや世界を守りたいと思うお前のほうが、よほど英雄的ではないか」
「……世界を守る、そんな大層なことを望んでいるわけではありません。ただ、グランベルの騎士として、その本分に忠実でありたいと思うのみです。ですが、それでは見えていないものがあったということなのでしょうか。私にとっては、十二聖戦士の血脈はなんとしても守らなければならないものであり、ロプトの一族は世界に対する脅威でしかなかった」
「いや、それが普通の考え方だ。我々はそのように教えられ、育ってきたのだから。私とて、ディアドラと出会わなければ、疑問を持つことなく、お前と同じように信じ続けただろう。今も、自分の思いが果たして正しいのか、実のところわからない。ディアドラを得ることを望むあまり、自分に都合のよいように世界を捻じ曲げて解釈しているだけなのかもしれない」
 シグルドは傍らに立つディアドラに視線を投げかけた。ディアドラはシグルドの肩に顔を寄せ、肩に置かれたシグルドの手にそっと自分の手を重ねた。
「何が真理であるかなど、私にはわからない。だが、信じたいと思うことならある。かつて、皇弟マイラはロプトの血族でありながら、帝国に反発した。生まれや立場は絶対ではない。運命は変えられる。人は意志の力によって、おのれ自身の選択で変わっていくことができる。私はそう信じたいのだ」
「意志の力によって、おのれ自身の選択で……」
「そうだ。ディアドラを守り、ディアドラと生きる。それが私の選択だ。運命が変わらないというなら、すべての咎は私がこの身で受けよう。お前たちを煩わせはしない。たとえ暗黒が訪れる日があったとしても、それはこの私に起因するものだ。他の誰のせいでもない。そしてノイッシュ、お前はどうする?」
「どうする……とは?」
「私とて、お前を失うのは本意ではない。今後いかなる場合にもディアドラを害せず彼女を守ると誓うなら、お前が企てたことは不問に付す。だが、今もなお、お前がディアドラを排することを望んでいるならば、この場でお前を誅する」
「私は……」
 ノイッシュは逡巡し、言葉を詰まらせた。
「頼むノイッシュ、私はお前を失いたくない」
「……何が正解なのか、正直私にはわかりません。ですが私は、できることなら誰も失わずにすむ道を見つけたい。ディアドラ殿を殺したとて、シグルド様、あなたをお守りすることにならないのならば、たとえ暗黒の種を残すことになっても、ディアドラ殿を守ることを選択すべきなのでしょう。命を惜しみ、安きに流されたという非難は、甘んじて受けます。私は、シグルド様とディアドラ殿をお守りすることを選びます」
「ならば誓いの言葉を。お前の大切とする者の名に懸けて、騎士としての誓いを」
「我が主君の名と、騎士としての名誉に懸けて、我、ウシュナハの息子ノイッシュは、我が主君たるシグルド様とその伴侶ディアドラ様を、いかなる時も命を賭してお守りすることを誓います。天空墜ち来たりて我を押し潰さぬ限り、波濤打ち寄せて我を押し流さぬ限り、大地裂け我を飲み込まぬ限り、この誓い破られることなし」
 シグルドは緊張を解き、安堵のため息をもらした。
「お前の剣を返そう。受け取るがいい」
 シグルドはノイッシュの剣の柄近くを持ち、差し出した。ノイッシュは叙勲のときのように拝跪し、自分の剣を受け取ると、眼前に捧げ持ち、柄に軽く口づけして一礼した。
 立ち上がって剣を腰の剣帯に吊るすと、ノイッシュは口を開いた。
「対策を致さねばなりますまい。今のところ、ディアドラ様の出自に疑惑を抱いているのは、私の知る限りではアレクのみです。彼にはこのように伝えます。ディアドラ様はたしかに精霊の森で育ったが、その魔力ゆえに村の占いおばばに見出された外部の生まれの孤児であり、ロプトの血筋とは関わりない者であったと」
 シグルドはノイッシュの言葉に頷いた。
「そして、ディアドラ様を我が一族の養女とするよう、我が父ウシュナハに進言します。ロプトとの繋がりが辿られることのないよう、精霊の森の出身であることは極力秘さねばなりますまい。普通の庶民の娘がシグルド様の目に留まり、貴族の身分を与えられたのだと思われるように、幾重にもその身元を覆い隠しましょう。ロプトの血族であることが洩れるのは、何としても避けねば」
「そうだな、だがそれでいいのか? 万が一露見した場合、それではお前が多くの責を負う事になる」
「こうはお考えになられないのですか? 秘密を盾に、私が我が家の権威を高め、おのれの支配力をシグルド様とディアドラ様の上に及ぼそうとしているのだと」
「お前がそのような考えで行動するはずがあろうか。お前に私心がないことはよくわかっている。私はお前の誠意と忠義を信じるからこそ、誓いで縛らねばならぬほどにお前をおそれたのだ」
「シグルド様……ありがとうございます」
 なんと不思議な方だと、ノイッシュは思った。シグルドは武勇に優れ、情誼に厚い。主君として仰ぐになんの不足もない方、ずっとそう思っていた。ひとりの女性への愛ゆえに他のすべてを犠牲にすることを厭わない、狂気のような情熱を秘めているなどとは思いもしなかった。だが、主君のそんな一面を知ってもなお、いや知ってしまったからこそ、彼を守り続けようと思う自分自身にも、驚きを隠せないでいた。シグルドから寄せられる信頼は心地よく、不安や疑いを越え、あっという間に忠誠へと心が傾く。
 自分の抱える秘密はあまりにも重い。いつの日か世界を滅ぼすかもしれないものを庇護する、それが自分のなした選択である。後悔しない日はないかもしれない。だがそれでも、運命に立ち向かい、これを覆そうとする主君に誠を尽くそうと、ノイッシュは思った。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2014/10/04
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