二次創作小説

思い重なるとき


 黄昏の光差す丘で、彼女は舞っていた。

 アグスティ城に程近いその丘の頂上は、彼女のお気に入りの場所だ。ひとりで舞の練習をする姿を、これまでにも何度か目にしている。
 シャン、シャン、と手足に結わえられた鈴がリズミカルに鳴る。鈴の音のみを伴奏にしたその舞の中に、レヴィンは音楽を感じ取った。
(ああ……あの曲だ……)
 いつも彼女が踊りに使っている曲だ。正確なリズムを刻むステップと鈴の音。滑らかな舞の所作は、あのなじみの旋律をなぞりだしている。
 レヴィンは笛を唇に当て、そっと彼女の舞に旋律を重ねる。
 軽やかだが、どこか物悲しい細い音色。笛の音はぴたりと舞に重なる。
 曲の終わりまで舞いきると、シルヴィアは静かに彼を見つめ、呼びかけた。
「レヴィン……?」
 もの問いたげな、だがあくまでも静かなまなざし。
 彼女はかしましい娘のように思われがちだ。だがこんなときの彼女は驚くほどに物静かで、儚げですらある。
「なんだか久しぶりだな? 最近あまり顔を合わせていなかった気がするぞ、シルヴィア」
「気のせいだよ。あたしはいつもかわんないよ?」
「そうかな」
「うん」
「最近、ちょっと避けられているのかと思っていた」
「そんなつもりはないけど……でも、あたしなんかがこれ以上近づいていいのかなって思ったのは確かかも」
 出会ってから親しくなるまでには、わずかな時間しかかからなかった。だが、そこから先、どうにも二人の間の距離は縮まらない。
(なかなか踏み込めないのは俺の側に問題があるからだ……)
「あたしなんか、ってことはないだろう?」
「ううん、わかってるくせに。あたしじゃ王子様には釣り合わない。そうでしょう?」
 シルヴィアはまっすぐにレヴィンを見つめ、そう言った。
「違うな、お前が俺に釣り合わないんじゃない。どっちかと言えば俺がお前に釣り合わないんだ」
「どう違うのよ、それ。どっちみち結局釣り合わないってことじゃないの?」
 どう応えたらいいのだろう。迷いながらレヴィンは一言一言紡ぎだす。
「俺はさ、確かにシレジアの王子として生まれた。しかも聖戦士の血とかいう、やっかいなものまでくっついた家系に。だからさ、女の子と深い仲にはなりにくい事情ってのはある。それは間違いない。だって、俺に下手に関わるといらん面倒に巻き込んでしまうからな」
「いらん面倒? 普通王子様に気に入られるのって、光栄なこととか言うんじゃないの?」
 面食らったような表情で、シルヴィアは応えた。
「うーん……確かにそういう風に思うやつのほうが多いかもしれないが、でもな、よく考えてみろ。王族ってのはな、望んでもいないのに大きな責任を押し付けられ、面倒くさい仕事をやらされるんだ。女の子との付き合いだってそうだ。絶対に血を絶やしてはならない、だが変な女を引っ掛けてはならないとか、わけのわからんことを言い含められる。あげく、やっかいな親戚だけはたくさんいて、お前のようなバカにはこの仕事は向いていないからさっさと権利をよこしやがれと難癖をつけられ、命を狙われる。何だよそれ、やってられるかってのが素直な感想なんだよな。でさ、俺が半端に関わると、相手の女性もそういう面倒に巻き込む羽目になるんだぜ。ほんと、やってられるかってんだ」
「それでもさ、レヴィン、本当はその責任を投げ出すつもりなんてないんでしょう?」
 驚くほど冷静な声で、シルヴィアが云った。
「シルヴィア、どうして……?」
「だって、見てたらわかるよ。レヴィン、最初はちゃらちゃらした吟遊詩人のようにふるまっていたけど、でも本当は違ってた。シレジアに連れ戻しに来たあの子に会った時から、ううん、村を襲う盗賊を退けようって言いだしたあの時から、レヴィンはもう王子様に戻っていた。だって、普通の人は、縁もゆかりもない他人を助けるために戦おうなんて言い出すはずがない。遠征中のよその国の指揮官に向かって、他人の国を荒らすならとっとと祖国へ帰れなんて言うはずがない。それは、治める側の人だからこその言葉」
 シルヴィアは表情を変えず、静かに続ける。
「それとね、レヴィンは誰にでも優しくて気さくなように見えるけど、でもほんとは誰にも気を許してない。ううん、違う。あの子、フュリー以外には誰にも、かな。ほかの人としゃべる時、レヴィンは身構えている。あたしと一緒にいる時でもそう。いつも優しいけど、いつもとらえどころがない。あと一歩踏み込んでほしいのに、決して踏み込んでくれない。でも、あの子と一緒のときは違う。とても自然で……冗談を言うときも、意地悪をするときも、ぜんぜん身構えてなくて。だからあたしは……」
 シルヴィアの声は静かだ。表情も動かない。だがその声のどこかに、硬く苦いものがある。
「フュリーは……家族みたいなものだから」
「そう? でもあの子はレヴィンのことが好き。そのことも知ってるんでしょう?」
「そう……なんだろうか」
 どう返したらいいのだろう。
「なにその答え?」
 シルヴィアは乾いた声で笑った。
「以前はそんな風に思っていたこともあった。思いあがってると言ってくれてもいい。だが最近、実は違うんじゃないかと思い始めている」
 ほろ苦い気持ちで、レヴィンは最近のフュリーの様子を思い出す。
 昔は素直で泣き虫で、意地悪したときの反応がいじらしくて、ついいじりたくなるような少女だった。何をしてもレヴィンを慕い、受け入れてくれる、そんな存在だと思っていた。だが二年間離れていたうちに彼女は驚くほどに成長していた。再会した彼女は、騎士としての強さと女らしい優美さを備え、それでいて昔と同じ生真面目さと純粋さも失っていなかった。かつてレヴィンを魅了してやまなかった彼女の姉マーニャを思い出させる美しさと凛々しさと、子ども時代と変わらない純な愛らしさを併せ持つ女性。そんな彼女が最近、彼に見せたことのないような表情を別の男の前で見せることがある。シアルフィの騎士の竪琴に合わせ、シレジアの恋歌を歌っていたフュリー。レヴィンには見せたことのない、甘やかな微笑みを浮かべるフュリー。
「ああ、そういえば……」
 シルヴィアにも思い当たる節があるのだろう。記憶をたどるように、小首をかしげる。
「でもね、それでも今ならまだレヴィンになびくよ。あんたがひとこと言いさえすれば」
「シルヴィア、俺は……」
「あの子なら、ちゃんとした王妃様になれる。あんたに恥をかかせない、重荷を分かち合える伴侶になれる。それだけじゃない。異性として、家族として、一生あんたを愛し、大切にしてくれる。あたしはこんなんだから、そんな立派な奥さんにはなれないから、だから……」
「でもな、シルヴィア。俺は、お前が好きだ――」
「……レヴィン?」
「お前の言う通りだよ。俺はシレジアの王子であることを捨てられない。今はまだ逃げているが、いずれその責任を引き受けざるを得ない。祖国は、シレジアは、俺にとって、嫌で嫌で、どうにかして逃れたいけれど、でもとても大切なものでもあるんだ。だから俺は、本当は王妃様であることに耐えられる女性を選ばないといけない。相手にとっては迷惑なことだよな。王族なんてのはろくでもないもんだってことを、俺は嫌というほど知っている。それだけじゃない。伴侶をすべての困難から守りきれるほど、俺は強くない。それも自覚している。俺はわがままで、弱くて、無責任だ。俺が選んだ相手はきっと苦労する。偉そうに言うことじゃないが、俺はほんとろくなやつじゃない」
「なにそれ、ぼろくそじゃない」
 シルヴィアは口の端に微笑みを浮かべ、軽く笑い飛ばした。
「だから、俺がお前に釣り合わないんだ。お前はかわいくて、きれいで、そして賢い娘だ。泥の中に身をおいても、決して汚れきることのない、清冽な魂を持った女性だ。お前の踊りの中に、人々は温かいものを、尊いものを見出し、心癒される。お前はお前が思っている以上に素晴らしい存在だ」
 出会った頃から感じていたことだ。シルヴィアは一見、軽くて明るいだけの娘のように見える。だが、その瞳は多くのものを見抜き、口にする言葉は思いのほか鋭い。側にいるだけで心を明るくしてくれる朗らかさと、その職業からは意外とすら思われる、どこか透徹した清らかさを具えている。何よりもその舞は、人をひきつけてやまない力を秘めている。
「お前はきっと、俺よりもずっとすごい男を手に入れることだってできる」
「すごい男って何? そんなのあたしはいらない」
「シルヴィア、俺はお前を幸せにすると約束できない。関わるだけでも、お前を傷つけるだろう。苦しめるだろう。苦労をかけ、不幸にしてしまうかもしれない。それでもいいか? お前を愛してもいいか?」
「馬鹿ね、レヴィン。不確かな未来の約束なんて、あたしはいらない。今のあなたが、真実あたしを想ってくれているなら、それだけでいい。苦しくても、つらくても、それは不幸なんかじゃない」
「シルヴィア――」
「好きよ、レヴィン。出会った時からずっと好きだった」
 シルヴィアは、そっとレヴィンの前に手を差し出した。
 レヴィンは差し出された白い手を掴み、ぐっと自分の胸元に引き寄せると、もう片方の手を彼女の背にまわし、固く抱きしめた。
「シルヴィア、シルヴィア……」
 その顔に頬を寄せ、囁くように何度も名前を繰り返す。
 彼女の温かさを腕の中に感じると、今まで抑え込んでいたものが弾けそうになる。
 腕の中の彼女は華奢で、これ以上強く抱きしめたら壊れてしまいそうだ。だが、いっそ壊れるほどに強く強く抱き、一つに溶け合ってしまいたい。一度解き放たれた思いは、もう抑えようがなかった。
「レヴィン――」
 声にならない声で、彼女が応えた。
 彼女の吐息が彼の頬をくすぐる。
 レヴィンは少し身を離し、シルヴィアの顔を改めて見つめた。
 宵闇迫る残照の中、彼女の瞳はきらきらと輝いている。
 彼の名を囁く形の良い唇。その唇に吸い寄せられるように、レヴィンはおのれの唇を重ねる。
 優しいくちづけではなかった。激しく、荒々しく、むさぼるように彼女の唇を求めた。彼の熱情に応え、彼女もまた、激しく求めてきた。

 宵の明星の輝く空の下、恋人達は固く抱き合い、寄り添い合った。

 夜半、自室でふと目覚めると、隣に寝ている彼女の姿が目に入った。
 丘の上で思いを告げた後、彼女をそっと自室に招き入れ、そのままともに時を過ごした。
 体を重ね、何度も激しく求めあった。そしてついには疲れ果て、寄り添いあったまま眠りに就いた。
 青白い月の光に照らされた彼女の寝顔は、安らかであどけい。
 その姿に、どうしようもないほどの愛おしさと、深い満足感を覚える。
 今、レヴィンはかつてないほどに満たされ、落ち着いていた。
 これほどの幸福、これほどの充足は今まで味わったことがなかった。どれほどの飢餓と、どれほどの孤独を今まで抱えていたのだろう。今の今まで自分が満たされていなかったことにすら気づいていなかった。だが、この幸福を知った今、彼女を失うことなど考えるだけでも頭がおかしくなりそうだ。
 レヴィンはそっと手を伸ばし、彼女の頭をなでた。
 荒々しい情熱は今はなかった。今、胸にあるのは、穏やかで優しい、切ないほどの愛おしさだ。
「う……ん?」
 シルヴィアが寝がえりをうち、そっと目を開けた。
「起こしてしまったか?」
「ん……」
 ぼんやりした表情で、彼女が応える。
 その無防備な姿が、どうしようもなくかわいい。レヴィンは顔を寄せると、ついばむような軽いくちづけをした。
「レヴィン……」
 シルヴィアは手を伸ばし、レヴィンの頬をそっとなでた。
 その手を自分の手で優しく包み込み、もう片方の腕で彼女を抱きよせる。
「ありがとう、シルヴィア」
 後朝の言葉としてはおかしいかもしれない。だが、今彼の心を満たしているのは、彼女に対する深い感謝に他ならなかった。
 レヴィンはシルヴィアを優しく抱きしめ、その耳元でそっと囁いた。
「俺は誓う。もうお前を手放さない。この力の及ぶ限り、お前を守り、ともに生きよう」
「あたしももうレヴィンから離れない。たとえ引き離されて、心の中で思うことしか許されなくなっても、あたしはずっとそばにいるから」
「俺からお前を引き離すなど、俺が許さない。許すはずがない」
「うん……」
「好きだ、シルヴィア、愛している」
 なんというありきたりな言葉だろう。だが、その平凡な言葉こそが、今、彼の胸の裡にあるものをもっともよく表すものであることは疑うべくもなかった。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2014/09/27
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