二次創作小説

騎士の娘

4.

グラン暦七五七年、ノディオン――

「兄上、お話ししたいことがあります」
 エバンス城から帰ってきたラケシスは、エルトシャンにそう告げた。
 先日、エルトシャンとラケシスは、シグルドの婚礼に招かれてエバンス城を訪れた。当初、エルトシャンはラケシスとともにしばらくエバンスに滞在するつもりだった。だが、グラーニェが体調を崩したこともあり、シグルドの婚礼が終わると、自身は早々にノディオンに引き上げていた。一方でラケシスは、エルトシャンが帰国した後もさらに一週間ほどエバンスに滞在し、今しがたノディオンに帰還したのである。
 エバンス城での滞在は、ラケシスにとって楽しいものであったらしい。滞在中の細かなことについて、エルトシャンはまだ聞いていないが、彼女が活気を取り戻し、凛とした姿勢で歩むようになったことはすぐに見て取れた。
「ほう? エバンスではなにかよいことがあったのか」
「楽しい時間を過ごさせていただきました。そして、わたし自身について、考える機会を与えられました」
「ふむ……」
「エルト兄様、わたしは自分がどのように生きればよいか、決めあぐねていました。レオンティーヌ様のように、あるいはグラーニェ義姉上のように、たおやかで美しい社交界の華となり、女ならではの武器を使い、陰から国を支える、そのような生き方こそが求められていることは理解しています。ですが、それはわたしが望むものではありません」
 そのことにはエルトシャンも気づいていた。ラケシスは美しい娘だ。美しいだけでなく、人目を惹きつけ離さない何かを具えている。ただ姿を現すだけでその場の中心人物になり得るような、そんな華のある存在だ。だが、ドレスをまとい、社交の場にあるラケシスは、確かに美しく魅力的な存在だが、どこか本来の生気が欠けている。
「兄上、わたしは剣を取り、戦いの場に赴き、人々を守る者になりたいのです。わたしは八歳まで、騎士の娘として育ちました。騎士としての人生こそが、わたしが最初に望んだ生き方でした。祖父のように、あるいは母のように、馬上にあって剣を振るい、この身を盾にして国を守る、そのような者になることがわたしの最初の夢でした」
 豊かな金の髪を翻し、馬上で指揮をとる彼女の姿が一瞬見えたような気がした。鎧をまとい、剣を手にした彼女は、もしかしたら宮廷の華としてドレスの裾を引く彼女以上に輝き、人の心を鼓舞する存在になるかもしれない。
「でも、わたしが騎士としてふるまうことは、レオンティーヌ様を傷つけ、嘲る行為だと思われかねない。女騎士といえば、どうしてもわたしの実母を思い出させてしまいますから」
 ラケシスの心配は、決して杞憂ではない。ラケシスが剣を取れば、おそらくその予想どおりの反応を、周りの者は示しただろう。だがレオンティーヌはすでに隠遁し、今ではラケシスは周囲から愛され、尊敬を受ける存在となっている。今ならば、ラケシスが騎士として歩むことに対して反発を示す者は、昔よりは少なくなっているに違いない。
「エバンス城で過ごしてみて、思ったのです。やはりわたしは騎士の娘だったのだと。エスリンは剣を取り、馬上で杖を振るいます。ですが彼女はレンスターの王妃として、尊敬を受けています。彼女がバルドの末裔であるように、わたしもまた、ヘズルの血を継ぐ者。わたしが剣を手に取ることは、自然なことであり、決しておかしなことではないのではないでしょうか。女であること、王族であること、騎士であることは、必ずしも矛盾するものではないのではないでしょうか」
「女には柔らかくやさしいものでいてもらいたい。戦とは遠い所にあって、平和な夢を紡いでいてもらいたい。多くの男はそう望んでいる。だが、戦士としての高い資質を持つ女もたしかに存在している。お前はヘズルの血を引く者だ。戦士としての資質は決して低くはないだろう」
「戦士として戦う女を伴侶に望む男は、そう多くはないでしょう。剣を取ることにより、わたしは自分の結婚の可能性を狭めることになるかもしれません。今ですら、勝ち気で小生意気な女と呼ばれているくらいですから。でもわたしは、もし許されるならば、わたしがわたしらしくあることを認めてくれようともしない男の許に、嫁ぎたくなどないのです」
「お前が心から求めることを、俺に止められるはずなどない。だが、お前の求めるものは、今お前が思っている以上に、お前の人生を険しいものに変えるかもしれない。それでもいいのか?」
「かまいません」
「俺ならば、馬上にあって日にさらされた肌を持つ女を、剣を握り固くなった手を持つ女を、価値ある美しいものと思う。だが、アグストリアの諸侯たちは、そんなものを求めてはいないだろうな」
「剣を握り固くなった手を持つ女を、価値ある美しいものと思う……」
 驚いたような表情を浮かべ、ラケシスはエルトシャンの言葉をそっと繰り返した。
「どうしたのだ?」
「同じような言葉を最近耳にしたのです。エスリンが言っていました。その昔、エスリンは、豆だらけの自分の手は貴婦人に似つかわしくないのではないかと嘆いたことがあったそうです。でも、『その手は試金石となるだろう。その手を価値あるものと思う男ならばエスリンの真価を見損なうこともない』、そう言って励ましてくれた人がいたのだと」
「ほう?」
(誰だろう……キュアンではなさそうだな)
 それは一歩下がったところから、彼女を見守っている者の言葉だ。いずれ別の男に、彼女を引き渡さなければならない者の言葉だ。キュアンならばそのような言葉でエスリンを励ます必要すらない。ただ愛を語り、口づけを与えれば済むのだから。
「……あの方は、やはり兄上に似ているのかもしれない」
 誰に言うでもなく、ラケシスはそう呟いていた。それは誰なのかと問いただすことは、あえてエルトシャンはしなかった。
「ラケシス」
 エルトシャンの呼びかけに、ラケシスは面をあげ、兄の顔を見た。
「お前はクロエの娘であり、俺の妹なのだな。そのことを知らなかったわけではないが……」
 彼女は幼い日を、騎士の娘として過ごした。そして今、エルトシャン自身が王であるとともに騎士であるように、ラケシスもまた、王女であるとともに騎士であろうとしている。
「できることならば、お前には守られる側にいてもらいたい。だが、守る側に立ちたいというその願いは、いかにもお前らしい」
「エルト兄様、お許しくださるのですか?」
「言っただろう。お前が心から求めることを、俺が止められるはずなどないと」
「兄上、では……」
「明日からでも訓練を始めるがいい。手筈は整えておこう」
「ありがとうございます!」
 そう言って、ラケシスは晴れやかに笑った。その生気に満ちた微笑みは、彼女本来の魅力を余すことなく引き出している。そうエルトシャンは感じていた。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2015/01/24
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