二次創作小説

騎士の娘

3.

「お前がラケシスか?」
 眼前で頭を垂れている少女に、エルトシャンは問いかけた。
「はい。騎士ベルナールの娘、ラケシスです。お初にお目もじつかまつります」
「ノディオン王子エルトシャンだ。……顔をあげてくれないか?」
 喪の色である黒い衣服に身を包んだ少女は顔を上げ、エルトシャンの顔をまっすぐに見つめた。
 エルトシャンは思わず息を呑んだ。
 少女は美しかった。
 まだ幼さを残してはいるが、成長したあかつきには稀なる美女となるであろうことは、すでに見て取れる。
 透明感のある白磁の肌は、悲しみと緊張のためだろうか、今は青ざめて見える。琥珀色の瞳と黄金の輝きを持つ金の髪は、エルトシャン自身のものとまったく同じ色をしている。
 ただ容貌が優れているだけではない。少女の表情には、意志の強さと知性の輝きが感じられた。エルトシャンを正面から見つめる双眸は、エルトシャンの心を見透かすかのような、強い光を湛えている。
(確かにこれは、ヘズルの血を引く者だ)
 少女の母クロエもまた、美しい女性だった。だがこの少女は、クロエとはまるで違う印象を見る者に与える。クロエはあくまで控えめでひっそりとした、木陰の鈴蘭のような女性だった。この少女は、今はまだ固い蕾であるが、やがては真紅の大輪の薔薇のごとく、花園の中心で輝かしく咲き誇るのが似つかわしい存在となるに違いない。
「ラケシス。先ほどの名乗り、少し違うのではないか? お前のまことの父母の名を、ベルナールは伝えてはいないのか?」
「……亡くなる前に、姉さま……いえ、お母さまは言いました。お父さまは本当はおじいさまで、クロエ姉さまは本当はわたしのお母さま、そして本当のお父さまは……」
 そこまで言葉を紡ぎだしながら、父の名を口にしようとして、少女は言い淀む。
「お前のまことの父はノディオン王マルク。お前は俺の妹なのだ、ラケシス」
「……はい」
「俺が今日ここに来たのは、お前をノディオンに迎え入れるためだ。我らが父はお前を娘として認知し、ノディオン王女として遇することを望んでいる」
「……はい」
「ラケシス、自分が王女であると聞いてどう思った?」
 少女はそっと目を伏せ、首を横に振った。
「……わかりません。まだ本当だとは思えないのです」
「そうか。そうだろうな」
 無理もない、とエルトシャンは思った。
 親しんできた姉が亡くなった。だが、姉だと思い込んでいたその人物は、実は自分の母だった。そして父はこの国の王だという。肉親を失った悲しみに浸る間も与えられないまま、思いもかけない事実を次々と突き付けられているのだ。まだ幼いこの少女にとって、それはどれほどの衝撃だろう。
「わたしは騎士の娘として育ちました。わたしにとって王家の方々は貴き方々、仕えるべき方々です」
 少女は再び顔を上げ、ただ事実を告げるかのように淡々と言った。その声は平板で、感情をどこかに置き忘れてきたかのようだ。だが、エルトシャンを見つめるその瞳には、悲しみとも怒りともつかない、力強い何かが宿っている。
「基本的には、ノディオンの王女も騎士の娘もそう変わるものではない」
 エルトシャンもまた、余計な感情を交えないように心がけながら、静かに語る。
「ベルナールは領主だ。領主は領民から租税を取るとともに、彼らを守る義務を負っている。その傍らで、領主自身もまた騎士として王に忠誠を誓い、王から保護を受ける。ノディオン王もまた、その家臣団とアグスティ王家との間に、同様の関係を結んでいる。ただ、その規模は領主のそれと比べ、より大きなものとなり、その責任はより重いものとなる。王は王家に仕える者たちを束ね、その忠誠を受け、彼らに保護を与える。そして自らは上級王であるアグスティ王家を主君として仰ぎ、その騎士として奉仕する。我らは、我がノディオンの王族であるとともに、アグストリアの騎士でもあるのだ」
(このような話を、この少女はいったいどの程度理解しているだろう)
 自分の話がおおよそ子供向けではないことは、エルトシャンにもわかっていた。だが、眼前の少女は、聡明そうな表情で、じっとエルトシャンを見つめている。
「高きものはより大きな力を与えられるが、より大きな責任をも負っている。与えられた力は、弱きものを守るためにこそ、ふるわれるべきものだ。そして、自らもまた奉仕するものであることを、決して忘れてはならない。それが『貴き者の義務』である」
「はい」
 首肯する少女に、エルトシャンは頷き返した。
「もうひとつ、我らには大きな義務がある。我らは聖戦士の血族、ヘズルの血脈に連なる者だ。俺は聖痕を持つ者、すなわち魔剣ミストルティンを担うという責務を負っている。お前自身には聖痕はないようだが、将来、お前の子供から聖痕を持つ者が現れる可能性がある。我らは世俗の権力とは異なる次元においても、大いなる力を与えられている。この力の行使を誤ることは、決して許されるものではない。また、世界を守るために、我らはこの血を次代に伝えていかねばならない。それ故に、お前を野に置いておくことはできなかった」
 父がこの少女を王家の一員に迎えようとしている理由は、単なる親子の情であったり、聖戦士の血の拡散を防がねばならないという義務感によるものばかりではないはずだ。王女は政略の駒として、高い利用価値を持っている。王女を嫁がせることにより、他国と姻戚関係を結ぶことができるからだ。ノディオンに繁栄と安寧をもたらすための手駒を増やすために、父が自分の血を分けた女児を欲したことは十分に考えられる。だが、エルトシャンはあえてそのことには触れず、貴き血を引く者の定めと義務のみを強調した。
「クロエは、お前の母は、お前が騎士の娘として育つことを望み、王女とすることを望まなかった。だからお前をベルナールの娘として育てた。それは心情的には無理からぬことだ。王女としての人生は、華やかに見えても、決して幸せなものではないのだから。だが、隠しても真実はいずれ顕れる。お前はヘズルの血を色濃く継いでいるし、我が父とクロエの噂を知る者は少なくない。お前がノディオンの王女であることは、今明らかにしなかったとしても、いずれ人の口の端にのぼっていたことだろう」
 エルトシャンは眼前の少女とその母を、胸の裡でそっと比較する。
 少女はその母クロエよりも、エルトシャン自身との相似を感じさせるものを多く具えている。
 少女の顔だちそのものには、クロエの繊細な美貌を思い出させるものがある。しかし、その特徴的な髪の色、瞳の色は父親譲りであったし、何よりも、その身に纏う雰囲気が、クロエとは決定的に違っている。たとえこの後も騎士ベルナールの娘として育っていったとしても、誰が彼女の父であるかは、見る者が見れば、すぐに知れてしまうのではないか。
「ラケシス、お前に与えられた道はたやすいものではない。わが母、正妃レオンティーヌはおそらくお前を嫌い、排除しようとするに違いない。母はアグスティ王家の姫だ。母に同調する者は少なくない。お前は多くの敵を抱え、卑しめられ、つらい思いを味わうだろう。だが、信じてほしい。俺はお前の味方だ」
 エルトシャンは自分の母を愛していないわけではない。だが、母がどのような人物であるかを見誤るほど、盲目的に信頼してもいなかった。母レオンティーヌは情が深い。それだけに、憎しみもまた深く抱いてしまう人間だ。
「俺はクロエを知っていた。クロエは、我が母から見れば憎い存在でしかないだろう。だが、クロエは、優れた騎士であり、心優しい人間だった。俺はそのことを確かに知っていた。俺はクロエが好きだったのだ」
 クロエのことを思うと、鈍い痛みがエルトシャンの胸を貫く。幼いエルトシャンに対し、いつも優しかったクロエ。彼女にとって、エルトシャンはいったいどのような存在だったのだろう。愛しい恋人の息子、恋敵の血を分けたわずらわしい存在、それとも、仕えるべき主君の後を継ぐべき大切な王子――
 どのような思いを抱いて、彼女はエルトシャンと向き合っていたのだろう。マルク王と契ったことは、エルトシャンに対する裏切りだとは思わなかったのだろうか。だがそういったすべてのわだかまりを越えて、クロエは今でも懐かしく、大切な存在だった。彼女を憎み、嫌うことなど、やはりエルトシャンにはできなかった。
「レオンティーヌの息子であっても、俺にはクロエを憎み、蔑むことはできない。だからお前も、決して自分の母を蔑むな。自分自身を憐れむな。頭を上げ、誇りを抱いて生きよ。お前の誕生を祝福できなかった者たちがいるのは事実だ。だが、お前が、お前自身を呪うようなことは、決してあってはならない」
 エルトシャンは祈るような思いでラケシスに向き合う。この孤独で誇り高い少女が、悪意にさらされ、傷を負い、誇りを失うさまなど、決して見たくはない。
「エルトシャン王子……」
 少女はエルトシャンを見つめ、そっとその名を呼んだ。
「そうではない」
 エルトシャンは首を振り、少女の呼びかけを否定する。
「兄と呼べ、ラケシス。俺はお前の兄だ」
「お兄さま……?」
「そうだ、ラケシス。お前は私の妹、俺はお前の兄だ」
 対面する前は、おのれの妹であるという少女を愛せるかどうかと危ぶんでいた。愛しやすい少女であればよいと祈りすらした。だが、実際に対面してみれば、この少女を愛することに、何の困難もないことを知った。
 彼がラケシスを愛さないはずなどない。ラケシスはクロエの面影をとどめながら、よりエルトシャンに近い存在だ。利発で美しい、固い意志と誇り高い精神をうかがわせる力強い瞳を持つ少女。むしろ、彼女への愛を、家族としてのそれに留め置くことにこそ、苦慮することになるかもしれない。
 彼と彼女は兄と妹である。エルトシャンのなすべきことは、ラケシスを家族として愛し、兄として庇護を与えることだ。それ以上でも、それ以下であってもならない。
 それを知りながら、なお、それ以上の想いが宿る兆しもまた、このときすでにエルトシャンの中に存在していたのである。

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written by S.Kirihara
last update: 2015/01/23
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