二次創作小説

騎士の娘

1.

グラン暦七五七年、エバンス――

「久しいな、シグルド、それにキュアン」
 エバンス城を訪れたエルトシャンは、旧友たちと挨拶を交わした。
 ノディオン王エルトシャンは、シアルフィ公子シグルドやレンスター王子キュアンとは親しい友である。
 シグルドの軍がエバンスを落とし、ここを拠点としたとき、エルトシャンはグランベルの意図を確認すべく、一度シグルドと接触を持っている。その時、いずれ再会することがあれば、昔のようにワインを酌みかわそうと約束していた。ヴェルダンの戦が終結した今、ようやくその約束は果たされようとしている。
「エルトシャン、ハイラインのエリオット王子を退けてくれて、本当に助かった。改めて礼を言わせてもらおう」
「空になった城に攻め込むなど、アグストリアの恥だ。平和を望むイムカ陛下の意図にも反していた。お前に礼を言われるまでもない。それにしても……」
 エルトシャンは言葉を切り、シグルドの顔をしげしげと眺めた。
「シグルド、ようやくお前が結婚するとはな」
 今日、エルトシャンが訪ねてきたのは、単に旧交を深めることを目的としていたわけではない。結婚の決まった親友シグルドに祝いを述べるとともに、その意中の女性を確認してみたいとも思っていた。
「好いてくれる女は少なからずいたはずなのに、まるで奥手だったお前を落とすとは。身分の低い生まれの娘と聞いたが、その困難を乗り越えて、なおお前が妻に迎えようと思うとは、どのような女性なのか。実に興味深い」
「なに、シグルドが女に興味を持たなかったのは、妹が可愛すぎたからだろう」
 横合いからキュアンが茶々を入れる。
「なんだキュアン、それはのろけか? お前がエスリン妃に首ったけなのはよく知っているが」
 冷たく言い放つエルトシャンに、キュアンは悪びれることなく応えた。
「いや、ただの事実だ。エスリンより素晴らしい女性など、そういるものではない。なあシグルド?」
「妹を大切に思ってくれるのは嬉しいが、キュアン、今のは正直聴いてて恥ずかしかったぞ。エスリンは我が妹ながらたしかに得難い女性だとは思うが、そこまで言うのはさすがに……」
「妹といえば、お前の妹はどうしているのだ、エルトシャン」
「ラケシスか……」
 エルトシャンの表情がふとかき曇る。
「何だ、何か心配事でもあるのか?」
「もう昨年の話になるが、ハイラインのエリオット王子と妹を、社交の場で引き合わせる機会があった。だが……」
 エルトシャンは深く息をつき、首を左右に振った。
「うまくいかなかったのか?」
「何があったのかはわからない。だが、どうにもだめだったらしいことだけはわかった」
《わたしはお兄様のような方でないと、好きになれません――》
 ハイライン城から戻ったラケシスは、硬い表情でそう言ったきり、何も語ろうとしなかった。
 いったい何があったのか。
 実のところ、まったく推測できない、というわけでもない。
 ハイラインのエリオットは、よく言えば誇り高い男であるが、自分の家柄と血脈を恃みとし、他を貶めるようなところがある。ノディオンの王族として公けに認知されてはいるが妾腹の生まれであるラケシスに対し、何か侮蔑的な態度を取ったのかもしれない。
 妹への侮辱行為を許すつもりはない。はっきり何があったのかを知れば、それに対処する覚悟をエルトシャンは持っている。だが、そのエルトシャンの心を知るからこそ、ラケシスは何も語ろうとしないのだろう。そして、ラケシスが語らぬ以上、エルトシャンには打つ手がない。
「以来、ラケシスはひどく落ち込んでしまってな。最近どうにも元気がない。ラケシスはヘズルの血に連なる姫だ。アグストリア諸侯連合内のしかるべき王家に嫁がせるのが筋なのだが……あれの想いを無視して、どこかに無理やり嫁がせるなど、俺の望むところではない」
 そう語るエルトシャンに、シグルドは深く頷いた。
「その気持ちはわかる。私も、エスリンがキュアンを慕っていると確信できたからこそ、妹の縁組を喜ばしい気持ちで進めることができた。だが、女性を政略の道具に使うなど、決して好ましいことではない」
「ラケシスは頭のよい娘だ。自分に何が求められているかは、よく理解している。だがそれ以上に誇り高く、自分を曲げることができないようなところがある」
「何も、望まぬ相手の許に無理に姫を嫁がせることもないのではないか?」
「いや、アグストリアの事情がそれを許さない。我らは決して一枚岩ではない。姻戚関係を結び、互いの繋がりを深めることを必要としている。特に、ミストルティンの担い手がノディオンの血脈から生まれるようになって以来、ノディオンの王族を諸侯連合に所属する他の王家に出すことは、強く望まれるようになっているしな。それに、そもそもわが父が、正妻の子ではないラケシスを王女として認知したのは、政略の駒として使うことを計算に入れてのことだったのだろう」
「他家の事情に口を挟むつもりはないが……それは、あまり心楽しい話ではないな」
「まあな……」
 シグルドは少し考え込むような様子を見せ、おもむろに口を開いた。
「エルトシャン、一度、この城にラケシス王女を連れてきてはどうだ? エスリンやエーディンがいい話相手になってくれるだろう。私の配下の騎士たちも、年頃の娘の扱いには慣れているはずだ。さんざんエスリンの我がままに振り回されてきたからな。エバンスに来て、茶話会を開いたり、遠乗りに行ったりすれば、姫にとっていい気晴らしになるのではないか?」
「ふむ……悪くないかもしれん。ラケシスには年の近い話し相手があまりいない。父が亡くなり、わが母が修道院に入るまでは、母の目を憚り、心やすく過ごすこともかなわなかった。今でも、妾腹の姫であることを引け目に感じている節がある。普通に友人を作り、年相応の娘としての楽しみを知るのは、ノディオンにいては難しいのかもしれない」
「ラケシス王女は確か……十六歳くらいだったか?」
「ああ、この秋に十六になる」
「年が近いというには、エスリンもエーディンも少し年上ではあるな。だがきっと、姫のいい友人になるのではないかと思う」
「そうだな」
 シグルドの妹にしてキュアンの妻である女性のことをエルトシャンは思い描いた。エスリンは親しみやすく闊達で、まっすぐな気性の持ち主だ。そう多く言葉を交わしたことがあるわけではないが、社交界に生きる女性にありがちな、表では笑い合いながら陰では足を引っ張り合うような、うわべだけの上品さに隠された底意地の悪さとは無縁の、清々しい女性であったように記憶している。彼女ならば、道に迷い、孤高を保つ妹を、よい方向に導いてくれるかもしれない。
「次に来るときはラケシスも連れてこよう。ノディオン城は、あれにとって必ずしも暮らしよい場所ではないから」
「今でも、ラケシス王女の出自に関して、とやかく言う者がいるのか?」
「表立ってはいない。我が母がノディオンから去ってからは、多くの者がラケシスを王女として認め、慕うようになった。だがそれでも、ラケシスを軽んじる気配がまったくないわけではない。それに、グラーニェのこともある。俺がラケシスにばかり心を砕いているようでは、妻も面白く思わないだろう」
「結婚したからには妹より妻だな。シグルドもよく覚えておけよ。エスリンを甘やかしすぎて、ディアドラ殿に愛想をつかされるんじゃないぞ」
「それはないな。むしろ、エスリンを大切にしろとディアドラに諭されそうなくらいだ。どういうわけか、ディアドラとエスリンは互いを気に入っているようだから」
「どうもそうらしいな。エスリンも最近は私のことすら放り出して、義姉さま義姉さまと、ディアドラ殿ばかりにかまけているありさまだ」
 シグルドとキュアンの応酬を、エルトシャンは少し距離を取って眺めていた。エスリンとシグルドの婚約者ディアドラは、どうやらずいぶんと親しい関係にあるらしい。グラーニェとラケシスの間に流れる、一見穏やかに見えながらも、どこか冷ややかで緊張した空気を思い出し、エルトシャンはふと胸に迫るものがあった。
(俺のあり方に問題があるのだろうか)
 自問せずにはいられない。グラーニェとラケシス、二人が親しくなり、義理の姉妹として、あるいは友人として支えあってくれたらいい。新婚時代にはそう思っていた。だが、現実はそんなに単純ではなかった。
 グラーニェとラケシスは、決して仲が悪いわけではない。グラーニェはラケシスを低く扱うことはないし、ラケシスもまた、義姉に礼を尽くしている。だが二人の間には、緊張はあっても、柔らかく暖かな心の交流は見られないように思う。
 エルトシャンは妻グラーニェを大切したいと思っている。半ば政略婚のような形でレンスターから嫁いできた妻ではあったが、そのたおやかさ、繊細さに心惹かれ、一人の女性として、純粋に愛おしいと感じている。先年、二人の間に息子アレスが誕生してからは、その思いはさらに強まっていた。妻として、アレスの母として、グラーニェはエルトシャンにとって欠くことのできない、大切な存在だ。
 だがその一方で、困難な人生を歩む誇り高い異母妹を身近に置き、守り、導き、支えることも望んでいた。その身を不憫に思うと同時に、その美貌に、その孤独で誇り高い精神に、どうしようもなく魅かれてしまう自分がいることを、エルトシャンはひそかに自覚している。
(だが、ラケシスは妹だ)
 兄妹であるという意識は、幼い時代をともに過ごすことによって形作られるのだという。エルトシャンとラケシスが兄妹でしかありえない類似を互いの中に見出しながらも、どこか兄妹としての自覚を持ちきれないでいるのは、その育ち方に起因するのだろう。
 二人は互いの幼少期を知らない。その存在を知ることなく、離れ離れに育ったからだ。
(あれから八年か……)
 ラケシスとの最初の出会いを、エルトシャンは思い起こす。
 八年前、とある女性の死をきっかけに、彼らは初めて顔を合わせた。当時、エルトシャンは十七歳の青年で、ラケシスは八歳の少女だった。
 亡くなったのはラケシスの母にあたる人物だった。母を亡くしたばかりの少女は、突然現れた異母兄を、毅然としたまなざしで見あげていた。
 涙を湛えながらも、それをこぼすことを潔しとしない、潔癖でかたくなな、強いまなざし。
 そのまなざしは、エルトシャンの心の奥底に深く刻み込まれ、今もなお、消えることがない。

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written by S.Kirihara
last update: 2015/01/21
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