二次創作小説

勇者の贈り物


 ドズル公子レックスは迷っていた。
 この武器屋はアグスティ城下一だという噂である。確かに店の規模は大きく、品揃えは豊富、店主の武器に関する知識も確かなようだ。
「剣をお求めということですが、当店に今ある品のうち、業物と言えるのはこちらの二点ですな」
 そう言って、店主はレックスの前に二振りの剣を並べた。
「特にこの銀の剣は掘り出し物ですよ。重心のバランスも良く、なかなか手に入らない逸品です。ただ、威力の面においてはこちら、鋼の大剣のほうが優れています。多少重く、扱いにくい面もありますが、膂力があり、腕に覚えのある方なら、こちらのほうがよいかもしれません。お客様のように掌が大きく、がっしりした方ならば、どちらかといえば大剣のほうがお勧めですが……」
「ふむ……」
 しかつめらしく応えたものの、レックスは途方に暮れていた。
(どっちがいいんだ……どっちならよりあいつにふさわしい?)
 ドズルのレックスは斧の使い手である。聖戦士の血脈を継ぐ公爵家に生まれた彼は、幼少時から多くの武器を目にしてきた。自分が日頃使わない種類の武器であっても、その良し悪しを判断する力はそれなりに具えている。眼の前に置かれた剣が、店主の言葉通りの優れた品であることは容易に見て取れた。
 だが、剣はやはり彼本来の武器ではない。どちらもそれなりによい品であることはわかるのだが、どちらがより良いのか、判断がつきかねた。
 それに、これは自分で使うためのものではない。人に贈るためのものなのである。
(あいつが今使っているのは鉄の大剣だ……)
 ならば、鋼の大剣のほうが彼女の好みに合うのだろうか。大きく重い剣であっても、稀なる達人である彼女ならば、やすやすと使いこなすはずだ。
(だが、この銀の剣はたしかに良い品だ。あいつは素早さを生かし、手数の多さで勝負をかける。どちらかといえば軽い剣のほうが向いているのでは?)
 わからん。口には出さずに、レックスは胸の裡で呟いていた。
 カラン――
 店の扉につけられている鈴が鳴った。新しい客が店内に入ってきたらしい。
(あ……)
 振り返ったレックスは、金髪の剣闘士の姿をそこにみとめた。
(まずい奴に出くわした――)
 レックスの姿に気づいたのであろう。剣闘士ホリンは、レックスに軽く会釈した。レックスもそっと黙礼を返す。
 ホリンはカウンターに歩み寄ると、武器屋の店主に声をかけた。
「例の剣は見つかったか?」
 店主は相好を崩し、大きく頷いた。
「三日前にようやく入荷してまいりました。めったなことでは手に入らぬ品です。だいぶ手こずりましたが、不敗の剣闘士とも言われたあなた様のお求めとあっては、否とは申せませんからな」
「さっそく見せてもらおうか」
「はい。今お出しいたしますので、少々お待ちを」
 そう言って店主は店の奥に入っていった。
 しばらくして店主は布が巻かれた細長いものを手に、再び姿を現した。
「ご覧ください。名高き刀匠メルロンの手による『勇者の剣』です」
 店主は手にした包みからそっと布をはぎとり、鞘におさめられたひと振りの剣をホリンに差し出した。
 ホリンは鞘を払い、剣を引き抜く。レックスは、興味のないふうを装いながら、そっと横目で盗み見た。
(これは……)
 思わず息が漏れた。
 美しい剣だ――
 武器は道具である。道具は役に立ってこそ意味のあるものだ。武器を芸術品か何かと間違え、鑑賞の対象とするなどというのは馬鹿げている。基本的にはレックスはそう考えている。
 だが、その剣は非常に美しかった。軽い反りのある片刃の剣は、あくまで実用的であり、無駄な装飾はない。名匠によって鍛えられた刀身は、ほの暗い店の中にあっても、白く清冽な輝きを放っていた。
(この剣なら、アイラにふさわしいだろう――)
 先ほど店主に見せられた銀の剣も鋼の大剣も、たしかに優れた剣だった。だが、この勇者の剣には及ばない。美しさにおいても、実用性においても、遥かに勝っているだろう。
 しかし、この剣はホリンが自ら依頼し、捜し求めていたものだ。剣闘士が自分のために用意した武器を、自分自身で剣を使うわけでもないレックスが横から奪えるものではない。
 そのときだった。
 カランカラン――
 にぎやかな音を立て、店内に入ってきた者がいた。臙脂のチュニックにクリーム色のマントを纏った、やや幼い印象の赤毛の青年だ。ヴェルトマーのアゼルは、息をはずませながらにこやかに親友に問いかけた。
「レックス、アイラさんに贈るもの、買えた?」
 レックスは頭を抱え込みたくなった。
(周りを見てから言えよ! まったく……)
 幼馴染のアゼルならばともかく、他の人間に自分の目論見を知られたくはなかった。なのに、よりにもよって剣闘士ホリンの前で暴露されてしまうとは。
 そう、レックスが武器屋に来たのは、イザーク王女アイラへの贈り物を求めてのことだったのだ。
「レックス公子」
 ホリンが背後から呼びかけてきた。
 振り向いたレックスに、ホリンは言った。
「アイラに剣を贈るつもりならば、この剣がいいだろう」
 ホリンは手にしていた勇者の剣を鞘に収めると、レックスの前に差し出した。
「なっ……」
 思わずレックスは息を呑む。
「この剣ならば、アイラの剣技を存分に生かすことができる。いや、彼女の手にあってこそ、この剣は真価を発揮するに違いない」
「しかし、これはお前が買おうとしていたものだろう?」
「結果として、同じ人間の手に渡るのなら何も問題はない」
「む……」
 ホリンはアイラに贈るために、この剣を探していた。ホリンが言わんとしているのはそういうことなのだろう。
「俺が渡すより、公子がアイラに贈った方がいい。そのほうがきっとアイラも喜ぶ」
「……なぜだ。お前が探し出した剣だ。お前が自分で贈ればいいものを」
「いや」
 ホリンはゆっくりと首を左右に振った。
「その剣は高い。俺は、できれば自分の懐を痛めたくはない。一介の剣闘士が無理をして大枚をはたくより、ドズル家の財力に頼ったほうがいい」
 それが本音ではないのはわかっていた。だが、ホリンが自分の申し出を翻すつもりがないこともよくわかった。
 剣の値段など、ホリンは最初から承知していたはずだ。わざわざ捜し求めるように以前から武器屋に依頼していたものを、いまさら値段を理由に断るはずなどない。
「お前があくまでいらないと言うならば、俺が貰い受ける。それでいいな?」
「無論だ。好きにしてくれたらいい」
「……本当にいいんだな?」
 念を押すレックスに、ホリンは言った。
「二言はない。ただ、アイラに必ず渡してくれ。俺が望むのはそれだけだ」



 アイラはレックスにとって『気になる』相手である。
 美しいその容姿に惹かれるのか、並びなきその剣技に惹かれるのか、あくまでおのれに厳しいまっすぐなその生き様に惹かれるのか、正直レックスにはわからない。ただわかるのは、彼女がレックスにとって非常に好ましく、魅力ある人間だということだけだ。
 だが、アイラにとって、レックスはどのような存在であるのだろう。
 レックスの父と兄は、アイラの故郷イザークに遠征中だ。レックスの父ドズル公爵ランゴバルトは好戦派の中心人物であるし、兄ダナンは、先のイザーク攻めで先鋒を受け持ったと聞いている。同じイザーク遠征軍に身を置いていても、厭戦派であるシアルフィ公爵バイロンなどとは立場を異にしている。実質的な意味において、レックスとアイラは敵同士と呼んで差し支えない関係にあるのだ。
 だから、レックスからの好意をアイラが素直に受け取れるとは思えない。
 アイラがレックスを忌み嫌っているとは思わない。だが、アイラは、身内への情が深く、イザークの民としての自負と誇りを自らのよりどころとしている。そんなアイラが、今まさに彼女の故郷を攻め滅ぼそうとしている一族に属する男に対し、わだかまりを持っていないはずはない。
 それでも、どんな形でもいいから、何か彼女に働きかけたかった。彼が彼女を気に留めていることを伝えたかった。そうして考えに考えた挙句思いついたのが、彼女に剣を贈ることだった。
 アイラは他の女性とは違う。花や菓子、装身具などを贈っても喜ぶとは思えない。いや、もしかしたら内心では喜ぶのかもしれないが、そういったものを素直に受け取らせるには、もっともっと親しくなければならないような気がする。
 今のアイラは、女性としてではなく、一介の戦士として生きようとしている。甥シャナンを庇護し、イザークを再興するために、自身の幸せよりも大義のほうを重んじている。だから、菓子や花では駄目なのだ。
 剣ならば、彼女は受け取ってくれるのではないか。戦士にとって、よい武器は複数あっても邪魔になるものではない。そして、グランベル六公爵家の子息であるレックスには、よい剣を購う資金を用意することは、さほど困難なことではない。
 だが、実際問題として、剣を見繕うこと自体がなかなか難しかったのは、先ほど見たとおりである。
 そんなレックスの前に現れたのが剣闘士ホリンであり、彼が求めていた勇者の剣であった。
 レックスはアイラへの想いを他人に気取られたくはなかった。とりわけ、剣闘士ホリンには知られたくないと思っていた。
 彼女を強く求め、その姿を密かに追い続けているからこそ、レックスには悟るところがあった。
 アイラはホリンに惹かれているのではないか。そしてホリンもまたアイラに――
 アイラとホリンはどちらも剣の使い手である。行軍中も、平時の訓練でも、行動をともにすることが多い。だから、彼らが親しくなるのは特に不思議なことではない。しかし、そういった通常の親しさには収まらない、特別な“何か”が、彼らの間にあるような気がしてならないのだ。
 それがいわゆる男女間の好意であるかどうかはわからない。何となく、それとは少し違っているようにも思える。だが、ひとつ言えることがある。
 彼らは、どこか同じ匂いがする。
 ホリンはイザークゆかりの者ではないかと、少しばかりレックスは疑っている。
 ホリンは明るい金の髪と、澄んだ蒼の瞳を持つ。アグストリアの民には珍しくないが、イザーク人には見られない取り合わせだ。だが、ホリンの剣筋や所作には、どこかアイラと共通するものがある。
 それだけではない。ホリンはアイラだけではなく、シャナンにも気を留めているように思われるときがある。時折シャナンを見つめるホリンの視線に、何か大切なものを守護する者の覚悟、とでもいうべきものを感じることがあるのだ。
 ホリンは無口で、感情を表に出すことの少ない人間だ。だから、そのひととなりは正直よくわからない。不敗の剣闘士と呼ばれた彼が、シグルドの軍に身を寄せた真意を知る者はいないだろう。
 闘技場でアイラに敗れたのをきっかけに、ホリンはシグルドの軍に参入した。彼はアイラの中に何かを見出し、この軍に加わったのではないか。
 何か大きな目的のためにこの剣を使いたい――ホリンはそう語っていたという。
 彼の言う“大きな目的”とは何なのだろう。おそらくそれは、アイラと無関係ではないに違いない。
 レックスはぼんやりとではあるが、以前からそのように感じていた。そして、勇者の剣を彼から譲られることにより、ますますその確信を深めたのだった。



 レックスの贈った勇者の剣を、アイラは予想以上に喜んで受け取った。
 贈り物などには興味はない、と最初は渋ったアイラだったが、勇者の剣を見せると顔色が変わった。鞘から引き抜いた瞬間、刀身から零れ落ちるその輝きに目を見張った。軽く素振りをして重心を確かめた時には、感嘆の声を上げた。
 よほど気に入ったのだろう。それまで愛用していた鉄の大剣に代わり、今では常に勇者の剣を身につけるようになっている。
「レックス、ありがとう。この剣は本当に素晴らしい」
 今朝も、朝の鍛錬を終えたアイラは、レックスと顔を合わせるなり、開口一番、そう語った。
「気に入ったみたいだな」
 そう応えるレックスに、アイラは満面の笑みを浮かべて言った。
「ああ、気に入った。それにしてもすごいな。レックスは斧使いなのに、こんなに的確に剣の見立てができるなんて。正直、驚いている」
 どうにも気持ちの悪い、もやもやとしたものが、胸の中にこみ上げてくる。
(その剣を見立てたのは俺ではない。俺にはそんな力はなかった――)
 そう、正直に話してしまうべきなのだろうか。
 だが、真実を語れば、おのずと本当は誰がその剣を見立てたのかを告げることになる。今、自分がアイラから受け取っている好意と敬意は、そのまま剣闘士ホリンの上に移るだろう。
(せっかく気に入ってもらえたのだ。このまま黙っていればいい)
 レックスの気持ちを知るアゼルは、アイラに真実を告げたりはしないはずだ。そして恐らくはホリンも。
(だが、本当にこれでいいのか。俺は、本来俺に与えられるべきではないものを受け取っているのではないか)
 レックスは嘘や隠し事が嫌いだ。事実を隠し、本来別人が受け取るべき手柄を自分のものにするなど、著しく彼の信念にもとる行為である。
「……あのな、アイラ」
 レックスは息をつき、口を開いた。
「うん?」
 アイラは不思議そうな面持ちで、レックスの顔を眺めた。
「その剣を見立てたのは、実は俺ではない。その剣を探し出すことを依頼し、見立てたのはホリンだ。俺はただ金を払い、お前に手渡しただけに過ぎない」
「ホリンが……」
 アイラは驚いたような表情を浮かべ、呟いた。
「そうだ。ホリンだ。だいたい斧使いである俺に、剣の良し悪しがわかるはずがないだろう? お前にふさわしい剣を選べるのは、同じく剣の道に生きる者だ」
「でもなぜ……?」
 問いかけるアイラに、レックスはさらりと応えた。
「さあな。自分の懐が痛むのが嫌だと言っていたが、本音とも思えん。俺がお前に剣を贈ろうとしていたのを知って、憐れんで譲ってくれたのだろう」
「そうか……」
 そう呟くと、アイラは顔を伏せた。深く何事かを考え込んでいるようだ。
 しばらくして顔を上げると、アイラは感慨深げに言った。
「……レックス、お前はとても正直なのだな。感謝し、賛美されているのだ。そのまま自分の手柄にしてしまえばよいのに、わざわざ真実を話すなど」
「他人の手柄を掠め取って、いいことなんか何もない。誰も気づかなくとも、おのれのみは真実を知っている。つまらないごまかしを押し通そうとしても、後味の悪さが残るだけだ」
「そうだな。だが、そんなふうに正直に振舞わない人間のほうが多い。そういった正直さは、勇気でもあると思う。お前は……きれいで、勇敢で、気持ちのいい人間なのだな」
「そんなご大層なものじゃない」
 自嘲気味に呟くレックスに、アイラは頭を横に振り、言った。
「経緯はともあれ、レックス、この剣を贈ってくれたのはお前だ。感謝している」
「アイラ……?」
「ありがとう、レックス」
 礼を述べ、アイラはレックスに微笑みかけた。その澄み切った表情に、レックスは思わず目を奪われた。
 恐らく自分は最大のライバルに塩を送ってしまったのだろう。表にこそ出さないが、今回の件で、アイラはホリンに対する評価を上げ、想いを深めたに違いない。
 だが、とりあえず自分も正直者として認められた。もしかしたら、ある種の信頼をかちえることもできたかもしれない。
 それだけでも十分だ。そう思うことにしよう。
 自分でも愚かだと思う。だが後悔はない。
 ほろ苦さと口惜しさで、胸の奥が疼く。だがそれを包み込むかのように、すがすがしく、晴れやかな何かが心の中に拡がっていく。
 レックスは、アイラに頷くと、そっと笑みを返した。



《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2015/02/14
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