総合TOP / 設定メモ

セティの人物像


 設定メモの「2.」では、二次創作小説を書き進める上で大きな軸となっている二つの事項のうち、「ディアドラの真実」について書いてみました。
 今回は、もうひとつの軸である「ノイッシュ×フュリー」について、彼らの子供であるセティを中心に据え、少し考えてみたいと思っています。


 ノイッシュとフュリーのカップリングについては、「感想・考察」の「2.」「3.」でも述べています。
 初回プレイ時にこのカップリングでクリアしたこと、スキルの取り合わせに着目した時にかなり有用であること、5章恋人会話の内容、キャラクター同士の性格、などなどから、セティの成長率に問題があるものの個人的に好きな組み合わせとなっています。
 そして、上記のような理由に加え、父親がノイッシュである場合のセティの人物像が、私にとって好ましいものに思えたことが、このカップリングを推したくなる大きな要因となっています。


 セティという人物は、子世代男子の中でもひときわ、父親によってかなり性格が違ってくるキャラクターなのではないかと思っています。特に、レヴィンの息子とそれ以外では、かなり違うように感じています。


 フィンが父親である場合のナンナなどを除き、多くの子世代キャラたちは、自分の父親について、おそらくは伝聞によってしか知らないのではないかと思います。
 ですが、セティとフィーは、自分の父親と触れ合いながら成長しています。
 彼らは自分の『父親』というものをじかに知っており、その影響を直接受けているはずです。


 レヴィンが父親の場合、セティとフィーは故郷シレジアの王族です。
 父親が誰であったにせよ、シレジア四天馬騎士最後の生き残りであるフュリーとシグルド軍の勇士との間に生まれた子供である彼らは、シレジアの人々にとって特別な存在であろうことは、想像に難くありません。
 しかし、シレジアの王族とそれ以外では、背負っているものが違います。
 レヴィンの息子セティは、ふらふら放浪していて国を継いでくれるかどうかすら定かでないレヴィンに代わり、将来においてフォルセティとシレジアの王冠を担うべき存在であると見なされているはずです。
 シレジア王子セティが負っている期待と責任は、その他の場合と比べて段違いに大きいのではないでしょうか。
 こういった、背負っているものの違いは、そのまま人物像の違いに繋がっているのではないかと思います。


 親世代の女性ユニットのうち、フュリーとシルヴィアは王家や公爵家といった肩書きを持っていません。ゆえに、夫の側でそういった身分を持っていない限り、彼女らの子供は家名を持たない存在として生まれてきます。他の子供たちは、誰が父親であろうとも母親経由で必ず王侯貴族であるにも関わらず、です。
 さらに言えば、シルヴィアはただの踊り子のように見えてこっそりブラギの血を引いていたりするのですが、フュリーのみは十二聖戦士の血筋とも無縁です。
 こういった点から見ても、父親が誰であるかは、フュリーの子供たちにかなり大きな影響を及ぼすように思います。


 代替キャラでプレイした場合、自分たちが平民であることを引け目に感じているようなセリフが時折見受けられます。具体例としては、終章におけるディムナとデイジーの恋人会話などが挙げられるでしょうか。


 セティとフィーは母が騎士階級であるので、まったくの平民というわけではありません。ですが、父親によっては公子でも王子でもない上に、聖戦士の血を引いていない場合があるわけです。
 身分と血筋が大きな意味を持つこの世界で、彼らがそれなりのコンプレックスを抱いたとしても、おかしくはないでしょう。


 そういったことを考え合わせながら、父親の違いによってセティの人物像がどのように変わるかを見てみたいと思います。


 まず、おそらくはもっとも正統派であると思われる、レヴィンが父親であった場合のセティを考えます。


 このセティはシレジアの王子であり、フォルセティの後継者です。
 ユニットとして見た場合、文句なしに最強クラスのひとりですが、ユニット性能から離れたキャラクター的な部分でも、王子様で神器継承者という、この世界において非常に力のある存在です。
 父は王子で母は四天馬騎士最後のひとりである彼は、シレジア人から見れば『シレジアの象徴』とも言える存在なのではないかと思います。同じレヴィンの息子であっても、母がグランベル帝国ゆかりの者であったり、はたまた身元のわからない人物であったりした場合は、『レヴィンの子』に対するシレジア人の態度は、だいぶ異なったものになるように思います。
 レヴィンの子セティは、(もし身元を明らかにしていたとすれば)、非常な責任と、それに伴う重圧を感じていたことでしょう。

 その点を踏まえた上で、8章でマンスター解放の指導者として活動する彼を見てみると、大変面白いように思います。
 彼の行動で少し不思議なのは、『なぜ父が見つからなかった時点ですぐに故郷に戻らず、マンスターで解放運動をやっていたのだろう』という点です。
 「この国の人達があまりに哀れで、帰れなくなってしまった」と彼は言います。
 しかしこれは、本来であればシレジアに対しより重い責任を持つはずの王子様が取るべき行動ではないはずです。

 ここで思い出されるのは、かつてのレヴィンの姿です。
 レヴィンもまた、骨肉の争いに発展しそうな王位継承を避けて、シレジアから出奔したという過去を持っています。
 国を背負わねばならない重圧から逃れようとして、他国にとどまる。彼らの行動はそう解釈することができてしまいます。セティの場合、フュリー譲りの責任感も備えているように感じるので、無意識下での選択なのかもしれませんが。

 そう考えていくと、王子セティの行動は大変レヴィンの子供らしいものであり、説得力のあるキャラクター造形になっていると言えます。

 ここまで考えを進めてきた上で、ノイッシュの子供であった場合のセティを考えてみます。


 父がノイッシュであるということは、父の側から見ても母の側から見ても騎士の子供であるということです。統治者としての価値観ではなく、統治者を支える者としての価値観を持っていることでしょう。また、聖戦士の血を引かない存在として生まれてくることになります。
 ノイッシュは生真面目な性格をしています。フュリーもまた大変真面目で素直な人なので、そのような両親のもとに生まれ育ったセティは、おそらく、見た目どおりの真面目な青年であるでしょう。

 ノイッシュの子セティがマンスターの解放に尽力した理由は、表面上はレヴィンの子セティと同じように見えても、奥に隠された部分の意味合いは異なっているのではないかと思います。
 彼の場合はおそらく口に出した言葉通り、マンスターの人に同情を寄せてこの行動を取っているのでしょう。またそれと同時に、父が見つからないという事態に遭遇して、行方をくらましている父に対する不信ではなく、むしろその安否に不安を抱いて、必死になって探していたのではないかと思うのです。
 いやほら、レヴィンならたいがいのことでは死ななさそうですが、ノイッシュだとどこかで無茶してまずいことになっているんじゃないかという不安が拭えなさそうですから。

 セティの顔グラフィックは比較的ノイッシュと似ているようにも見えます。単に髪型と顔の角度のせいでそのように感じるのかもしれませんが。基本的には、セティの顔はフュリーがベースになっているように思います。
 彼は魔法系の神族の血筋を引かないため、聖戦士の末裔たちと比較した場合、どうしても生得の魔力という面では劣っていることでしょう。それにも関わらず、聖戦の世界において最強の魔法クラスであるセイジとして登場します。生まれつきの素質にはさほど恵まれているとは言い難いだろうに、あの若さでセイジになるとは、その陰でいったいどれほどの努力をしてきたのでしょう。

 真面目で努力家で、人間としての面白味はちょっと足りないかもしれないものの非常に誠実、聖戦士の血を引いていないことに内心コンプレックスを抱きながらも、卑屈にはならず背筋を正し、懸命に力を尽くす……、恐らくはこのような人物であろうノイッシュの子セティを想像してみた結果、なにかとても萌えるものを感じました。
 あくまで個人的な好みの問題ではあるのですが、私にはこのノイッシュの子セティが大変好ましい人物に感じられます。


 そういった思いを踏まえて書いたのが、『父の面影』です。



written by S.Kirihara
last update: 2016/05/08
inserted by FC2 system