FE聖戦20th記念企画

大切なのは


 初めて出会った頃、レックスはとても遠い人だった。


 アグストリアの南西部アンフォニーの領内で、あたしはシアルフィのシグルド公子の軍隊に加わった。
 軍隊についていくなんて、あたしは考えすらしてなかった。でも、どういうわけだか、レヴィンがすっかりその気になってたから、あたしも彼にくっついていくことにした。
 あの頃、アグストリアは戦争のせいで荒れていた。たぶんひとりでさまよってたら、踊りだけを売り物にしてまともに生活するなんて、とうてい無理だっただろう。
 シグルド様の軍は、信じられないほどお行儀がよかった。
 ほんとは、春を売って男たちを慰めるとか、そういうのを求められるんじゃないかって心配してた。けど、そういったことを無理強いされたりはしなかった。レヴィンの相棒だと思われてたからかもしれない。


 あたしはただ踊っていればよかった。あたしが踊れば、みんなが喜んでくれた。
 とっても運がいい。そう思ったの。
 だって女の子がひとりで生きてくのって、そんなに簡単じゃない。
 操を立てて身を清く保つとか、そんなのごく一部の、恵まれた女の子にしか許されてない。
 売れるものならなんでも売ってみせる覚悟はとうにできていた。そして、芸を見てもらえる余裕がないときに売り物にできるものなんて、あたしにはこの体くらいしかない。
 でも、ううん、だからかな。仕事としてそういうことをしろって言われないのは、とてもうれしかった。



 あたしは旅芸人の一座で育った。
 ごくちっちゃな頃に一座の親方に拾われて、踊りを教え込まれてきた。
 一座に拾われる前のことは、ぜんぜん覚えてない。拾われた時は三つぐらいだったというけれど、本当はいくつなのかさえわからない。
 あたしが拾われたのは、たぶん、それなりにかわいかったからなんだろう。
 うぬぼれてるわけじゃない。売り物になる見込みがなければ、拾って踊りを仕込もうなんて思わなかったはずだから。
 後はそう、そのうち、そういう相手として使おうって思ってたからなのかな。


 あの夜、酔っぱらった親方が、いきなりあたしに襲いかかってきた。
 最初は何が起こってるのかわからなかった。
 怖くて、とにかく怖くて。すっかり体が固まっちゃって、歯向かうことすらろくにできなかった。
 けれどありがたいことに、親方はあのとき酔いすぎてた。そう、途中で潰れちゃったの。だから、あたしはその隙に逃げた。
 逃げ出す計画なんて立てる暇もなかった。取るものもとりあえず、ただ逃げた。後先のことを考える余裕なんてまるでなかった。
 あんな状態でよく逃げ切れたなって、今でも思う。


 連れ戻されるのはまっぴらごめんだった。だから見つからないよう、なるべく目立たないでいたかった。けど、それだと踊ってお金を稼ぐことができない。
 お金がないと食べ物だって買えない。まだ秋の初めでそんなに寒くなかったから、凍え死ぬ心配はしなくてよかったけど。
 でも、とにかくひもじくて。もう飢え死にするしかないんじゃないかと思ったとき、さびれた村に行き着いて、そこのおじいちゃんの司祭様に助けられた。


 司祭様はかなりのお年寄りだった。優しくて穏やかな人で、いつもにこにこ笑ってたっけ。
 飢えきったあたしに食べ物をくれて、行く場所がないならここにいなさいって言ってくれた。
 代わりに何をしろとか、そんなことはぜんぜん言わなかった。
 ちいさな村だった。村人の数は少なかったし、礼拝堂だって今から思えばとてもちっちゃかった。
 司祭様はよく礼拝堂で村の子供たちに勉強を教えていた。読み書き算数と、神様のお話。難しいお話じゃなかった。あたしも子供たちに交じって司祭様のお話を聞いた。
 あたしはあんまり字が読めない。一座にいた頃に自分の名前の綴り方だけは教えてもらってたけど、自由に読み書きできるほどじゃなかった。
 そのことに気づいた司祭様は、あたしに読み書きを教えてくれた。
 お礼に、あたしは礼拝堂のお掃除をしたり、ご飯を作ったりした。村の人たちのお手伝いをすることもあった。


 その冬は司祭様のところで過ごした。でも春が来て、あたしは村を離れた。
 だって村は貧乏だったから。食料はいつも足りなくて、よそ者を置いておける余裕なんてぜんぜんないことはいやでもわかっちゃった。
 司祭様は引き止めてくれた。でも、あたしは旅に出ることを選んだ。
 旅の踊り子としてアグストリアをさまよい歩いて、レヴィンと出会って――そして、あたしはシグルド様の軍に加わった。



 レックスのことは最初からかっこいいなって思ってた。でもあの頃のあたしはレヴィンに熱をあげてたし、それに、レックスはとても遠い人だった。
 レックスはドズル家の公子だ。跡取りでこそないものの、グランベル六公爵家の一員、聖戦士の血を引く人で、あたしとは天と地ほどのへだたりがある。
 元気でやんちゃなところもあるみたいだけど、ナンパな人じゃなさそうだから、あたしに声をかけてきたりしないだろうなって、そんなふうに思ってた。
 けれども夏のある日、アグストリアの森で行き合ったのをきっかけに、あたしはレックスと関わるようになっていった。
 露骨な誘いを受けたりはしなかった。でも、彼がどういうふうにあたしを見ているか、なんとなく気がついた。そしてあたしも、どんどん彼のことが気になっていった。


 夏至祭の最後の日、レックスはお祭りを見に行こうって誘ってくれた。その誘いを受け入れて、あたしたちはふたりで日暮れのアグスティの城下町に繰り出した。
 そんなふうに誰かとお祭りに出かけたのは初めてだった。
 あ、お祭りそのものにはよく出てた。あたし、踊り子だもん。お祭りとかって稼ぎ時でしょ。
 でもお仕事じゃなくて、ただ楽しむためにお祭りに行ったのって、あのときが初めてで。
 露店を冷やかしてまわって、屋台で食べ物を買い食いして、大道芸人におひねりを投げて。
 すごく楽しかった。レックスはおしゃべりってわけじゃないけど、気さくで冗談もうまくて、一緒にいて楽しい気持ちになれる人だったし。


 そしてその夜、あたしたちは体を重ねた。



 遊びでいい。そう思ってた。
 楽しくつき合って、いい思い出として終わらせる。それでいいと思ってた。
 だって、親の名前すら知らない旅の踊り子と、ドズルの公子だもん。釣り合うわけないじゃない。
 だけどレックスはとても真剣だった。一夜の気まぐれで済ませるつもりはさらさらないらしくて、あたしたちのつき合いはその後も続いた。
 ああ、まずいな、別れなくちゃ。そう思ったの。
 でも、あたしが別れ話を切り出したら、レックスは言った。「すまなかった」って。
 怒るのでも、理由を聞くのでもなく、レックスは悲しそうな顔でただひたすら謝った。
 違うのに。あなたが謝ることなんか、何もないのに。
 その時あたしは気がついた。あたしはもう、彼なしではいられない。
 本当は、拒み続けるべきだったのかもしれない。ひとときの遊びで終わらせるべきだったのかもしれない。彼は身分のある人だ。あたしと関わって迷惑するのは、むしろ彼のほうだから。
 でも、もう無理だった。結局あたしたちはそれからも関係を深めていき、そして赤ちゃんを授かった。


 赤ちゃんができたって知ったとき、レックスは一瞬ぽかんとして、でもすぐにとても喜んでくれた。
 本当は困ってたはずだ。ドズル家にどう報せたらいいのか、迷ったんじゃないかな。
 周りの人たちも、思ったよりもずっとあたしに親切だった。
 エーディンさんが赤ちゃんを産んで間もない頃だったってのも大きかったのかもしれない。
 戦いがあって、明日どうなるかわかんないような時に、若い男と女が一緒に過ごしているんだもん。身分違いとか、そういうのを越えて深い仲になっちゃっうのはそんなにおかしいことじゃない。そういう空気があったような気がする。
 ううん、やっぱりあれは「シグルド様の軍」だったからなのかな。
 ともかく、非難されたり哀れまれたり、そういったことは思いのほかに少なくて、たいていの人からはおめでたいこととして扱ってもらえた。


 それから間もなくして、アグストリアでまた戦争がはじまった。
 身重のあたしは軍隊にはついていかずにお城に残ってた。
 最初は一緒に行くつもりだった。でも、身支度しているところをレックスに見つかって、何をしてるんだって怒られた。
 平気だよって答えたけど、絶対にだめだって、レックスは頑固に譲らなかった。
 お城にはディアドラ様も残ってた。この夏にセリス様が生まれたばかりだったから。
 ディアドラ様はシグルド様の奥方で、たぶんあたしと同じくらいの年頃の、おとなしくて優しい人だ。
 意外と思うかもしれないけど、あの頃、あたしはけっこうディアドラ様とお話ししてた。お互いさびしくて不安だったんだと思う。
 話すのは、お産のこととか、赤ちゃんのお世話のしかたとか、そんなことが多かったっけ。
 戦争の話はほとんどしなかった。戦争に行った人たちのことが心配で仕方ないのは、お互い同じだったはずだけど。


 だから、あの事件が起きたときは、本当につらかった。
 あの日、あたしはつわりがきつくて、ひとりで部屋にこもってた。ディアドラ様がお城を出たことなんか全然気づいてなくて、何があったのか知ったのは取り返しがつかなくなってからだった。
 お城を出たディアドラ様は、シグルド様のところへ行く途中で行方不明になった。いったい何が起こったのか、誰にもわからなかった。
 最後にディアドラ様と会ったシャナンは泣きじゃくってた。あたしはシャナンをなだめようとして、でも結局最後には一緒になって泣いてしまった。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
 結局、ディアドラ様はずっと見つからないままだった。
 だけど戦いはその後も続いていった。エルトシャン王のこととか、どうにもやるせないこともあった。ようやく戦いが終わったと思ったら、グランベルから軍隊がやってきて――どういうわけだか、あたしたちは反逆者にされてしまった。
 あたしたちはシレジアに逃げた。そして、ようやく少しシレジアに慣れ始めた頃、春の花が咲き始める季節に、リーンが生まれた。


 シレジアの日々は楽しかった。
 戦いがなくて、レックスがいて、リーンがいる。知らない土地で暮らすのは不安だったけど、でもそれよりも、しあわせのほうが大きかった。
 大切な人たちがそばにいる。それがこんなにうれしいものだなんて、あたしは今まで知らなかった。
 だって、あたしにはずっと家族なんていなかった。けれど今では、家族と呼べる人がいる。
 レックスは優しかった。そりゃ、たまには喧嘩もした。お互いわがままも言ったし、つまらないことで腹を立てたりもした。でも、それでも、あたしたちはうまくやっていた。


 本当はあの頃、レックスは大変だったはずだ。
 あたしたちに反逆者の濡れ衣を着せてシレジアへ追い立てた張本人は、レックスのお父さんだ。レックスのことを疑いの目で見る人だっていなかったわけじゃない。
 でもシグルド様はレックスのことを信頼していて、レックスを邪険にしたりは絶対にしなかった。
 だからあたしは安心していられた。この平和がずっと続くわけじゃないことを、心のどこかでは知っていたけれど。



 平和な一年が過ぎた。けれど冬の訪れとともに、また戦いが始まった。シレジアの王位をめぐる内乱だ。
 冬が終わろうとする頃に、シレジアの内乱も終わった。でもシグルド様の戦いはまだ終わっちゃいない。
 むしろ、一番大変な戦いがもうすぐ始まろうとしている。



 ザクソン城を攻め落とした直後、グランベルの軍隊がリューベック城に入ったという報せが届いた。
 リューベックはザクソンの東、シレジアとイザークの国境にある。
 グランベルの軍を率いているのはドズル公爵ランゴバルト。シグルド様を謀反人に仕立て上げた人で、そして、レックスのお父さんでもある。
 リューベックへ向けて進軍することが決まってから、レックスはめっきり無口になった。
 なんだかんだ言っても、レックスはドズルの公子だ。
 レックスは家族の話をしたがらない。ただ、ちょこちょこ耳にしたことをつなぎ合わせてみた感じ、あんまり仲よくないみたい。でも、殺しあいたいと思うほど憎んでいるようには見えない。
 正義感の強い人だから、お父さんのしたことを許せないって思ってるみたいだけど。
 あたしにわかるのは、ただ、レックスが今とてもつらい気持ちでいるってことだけ。
 どうしたらいいんだろう。
 少しでいい。この人の気持ちを軽くしてあげられたら。つらい気持ちを分け合うことができたら。
 そう思うのに、あたしにできることはとても少ない。
 そばにいて、抱きしめて、笑いかける。祈りをこめて、ただ踊る。
 それが、あたしにできる精一杯だった。



 明日はリューベックへの進軍を開始するという夜のことだ。
 進軍に備えて、あたしたちは早めにベッドに入った。
 でも、一眠りしたところで、なぜかふと目が覚めた。
 まだ夜中のようだ。なんでこんな時間に起きてしまったんだろう。
 不思議に思いつつ、隣で身を横たえているレックスに目をやると――レックスと視線が合った。
 レックスは寝ていなかった。横になっていたけれど目は開いていて、じっとあたしのことを見つめている。


「眠れないの?」
「……すまん、起こしてしまったか?」
「ん……」


 そうなのかな。レックスが起きている気配がしてたから、あたしも目を覚ましてしまったんだろうか。


「昔のことを、思い出していた」


 静かな声で、レックスはぽつりと言った。


「俺の家の話、したことあったか」
「ううん」


 レックスの家の事情はなんとなく知ってる。でも、まとまった形で話を聞いたことはなかった。


「なんというか、うちは、家族というにはあまりにもばらばらな家だった。
 俺には兄貴がいる。だが、兄貴を生んだのは俺の母じゃない。母と結婚するより前に親父が愛していた人が兄貴の母親だ。
 俺の母は兄貴の存在が許せなくて、でも、親父は聖痕を持つ兄貴を後継ぎとして大切にしようとする。そんなのを見て育ってきたから、本当は、恋人を作るなんてのは、できれば避けようと思っていた」


 ああ、そうだったんだ。
 出会った頃は、レックスは女嫌いなのかなって思ってた。
 特別冷たいわけじゃないけど、女の子に興味がないというか、そういう誘いには乗ってこない人なんだろうなって、そんなふうに思ってた。
 だからあたしとの距離が縮まり始めたとき、ちょっと意外な気がしてしまった。


「どうせ俺はいつかどこかの令嬢と見合いすることになる。そのとき、決められた相手以上に好きな人がいたとしたら? 困るだろ、そんなの。親父とおふくろの関係は、どう見たってしあわせには見えなかったしな。だから脇目も振らずに斧の修行に邁進した。女の子と遊ぶとか、そういった誘惑は精一杯突っぱねてきたわけなんだが」


 レックスはずい、と、あたしのほうににじり寄ってきた。


「捕まっちまったんだな、これが。どっかの踊り子に」


 あたしの背に腕を回すと、レックスは自分のあごの下にちょうどあたしの頭が納まるように、ぴたりと体を寄せた。そして笑いを含んだ声でそっとささやく。


「本当、馬鹿だなって思った。自分でも笑えるくらい馬鹿だなって。けれど、どうしようもなかった。そして、こうなった」


 あたしはレックスの胸元に顔をくっつける。
 彼の体温が、鼓動が感じられる。もう嗅ぎ慣れた彼のにおいが、ふわりと鼻腔に忍び寄ってくる。


「後悔してる?」
「いや、全然」
「ほんと?」
「シルヴィ、お前はさ、もうちょっとうぬぼれたっていい」


 そう言ってレックスは、回した手で優しくあたしの背中を撫でた。


「精一杯抵抗したのに、俺はお前に夢中になった。恋人なんて作ったら、きっと後悔するだろう。ずっとそう思っていた。なのに一度も後悔していない。すごいことだと思わないか」
「そう……なの?」
「ああ、そうさ。
 お前はいつだって俺に幸福をくれた。お前とリーンがいてくれて、どれだけありがたいと思ったことか。後悔するとすれば、そうだな」


 背中を撫でていたレックスの手が、ふと止まる。


「俺の親父はシグルド公子を陥れた。なんでそんな馬鹿げたことを目論んだのかわからないが、これだけは言える。親父のやり方は間違っている。
 だが、俺はそんな男の息子で、そのせいでお前に迷惑をかけている」
「そんなの、あなたのせいじゃないのに」


 そう、そんなのはレックスのせいじゃない。
 あたしはずっとそう言いたかった。けれども言うに言えないまま、今日まで来てしまった。


「あたしは自分の親のことを全然知らない。気にしないでおこうと思っても、ほんとはそのことがいつも気になってた。
 でもね、最近こう思えるようになったの。そんなのたいしたことじゃないって。
 たとえ親がどこの誰でも、あたしはあたしだし、レックスはレックスよ」


 あたしはずっと自分の生まれを気にしていた。
 でも、レックスと出会って、彼に大切にされて、あたしは気づけた。
 ああ、そんなことは気にしなくてもいいんだって。
 親の名前なんてわからなくても、あたしをそのまま受け入れて、大切にしてくれる人がいる。
 レックスはあたしが彼に幸福を与えたと言う。でも、あたしに言わせれば、レックスこそがあたしに幸福をくれた人だ。


「そりゃね、気にならないって言ったら嘘になるし、それがすごく問題になるときがあるのもわかってる。けど、親が悪人だからって子供も性悪とは限らないし、親が立派だからって、子供も勝手に立派な人間になれるってわけでもない。結局、その人がどんな人で、何をするかってことのほうが大事でしょ。
 大切なのは、誰が親なのか、なんてことじゃない。自分がどんな人間でいたいかってことなんじゃないかな」


 自分の親は尊敬できる人間のほうがいいに決まってる。自信を持って親の名前を言えたなら、どんなにしあわせだろう。
 だからあたしは、リーンが誇れる親でありたいと思う。
 レックスは素敵な人だ。そんなレックスをこの世に送り出した人だもの、できればあんまり悪く思いたくない。
 でも、やっぱりレックスのお父さんのしていることは、正しいとは思えなくて。


 ああ、どうしたらいいんだろう。誰もが悲しまないですむ方法は、どこへ行けば見つかるんだろう。


「シルヴィ……」


 レックスがあたしの名前を呼ぶ。かすかな、でも、熱のこもった声で。
 あたしは彼の脇の下から自分の腕を差し入れて、その背に腕を回す。
 固く抱きしめ合って互いの熱を感じながら、あたしたちは、そっと足と足を絡め合わせていった。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2017/04/16
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