FE聖戦20th記念企画

背を預けあい


「すこしいいだろうか、ホリン」


 リューベック城を落とした翌朝のことだ。
 城の中庭で日課の素振りをしていると、ノイッシュが俺に話しかけてきた。


「手合わせか?」
「いや。話しておきたい……ああうん、違うな、相談したいことがある」
「うん?」
「リューベックに出陣するにあたり、シグルド様はおっしゃった」


 ノイッシュはそこで言葉を切ると、なにやら考え込むような様子を見せた。
 珍しいことだ。ノイッシュは口数こそ多くないものの、いざ口を開けば、きっぱりしたもの言いをする。なのに今朝の彼は、妙にためらいがあるように見受けられる。
 珍しいことだと思いながら、俺は黙って次の言葉を待った。


 ややあって、迷いを残した表情のまま、金髪の騎士は訥々とした調子で話しはじめた。


 ――リューベックを落とした後、我々はグランベル本国を目指す。だが今、我が軍はセリス様をはじめ、幼い子どもたちを連れている。このリューベックはイザークへの入り口でもある。子どもたちはここからイザークへと落ち延びるべきだ。
 子どもたちを連れてイザークへ向かう役割を、シグルド様はオイフェに命じるおつもりだ。加えて、イザークに縁のある者もここに伴わせたい。そうお考えなのだが――


「でだ、ホリン、ブリギッド様とファバルにも、イザークに向かうよう勧めてほしい」
「なるほどな、話してみよう」


 口ではそう応えたものの、内心では無理だろうと思っていた。
 落ち延びろと言ったところで、ブリギッドは聞き入れないのではないか。
 ブリギッドは戦士である自分に誇りを抱いている。しかも彼女は神弓イチイバルの継承者だ。味方が最も厳しい戦いに向かおうとしている今このときに戦線から離脱するなど、もっての他だと言うに違いない。
 だが、ブリギッドは乳飲み子を抱えた母親でもある。しかもその赤子は、他ならぬこの俺の子だ。できることなら、戦場に向かわせたくなどない。


「そしてホリン、君自身もだ。できれば君も、イザークへ向かう一行に加わってくれないか」


 心臓が跳ね上がるかと思った。


「……なぜ、俺が」


 一呼吸置いて、やっとのことでそう返す。


 ノイッシュは知っているのだろうか。俺がイザークの出身であることを。
 知っているのかもしれない。なにせ彼はアイラの夫だ。
 アイラは昔の俺を知っている。実際、俺の過去について訊ねられたこともある。適当にはぐらかしたものの、たぶん真実を見抜いているはずだ。


 俺の動揺に気づいたのか気づかないのか。ノイッシュは淡々とした調子で応える。


「君はグランベルの者ではない。シグルド様の家臣でもない。バーハラを目指さねばならない義理はない。それに……」


 続く言葉を言いかけて、ノイッシュは一旦口を閉ざす。そして、少し考え込むような様子を見せてから、改めて口を開いた。


「それに、君にならば、セリス様を――いや、子どもたちを、安心して託せる」


 静かな声だった。
 あくまで真剣、だが暗さや澱みはなく、揺るぎない意志を感じさせる、そんな声だ。


「……そうか」


 そう応えるのがやっとだった。


「無理にとは言わない。だが考えてもらえればありがたい」


 俺は無言のまま、ただ軽く一礼した。
 そんな俺に軽く会釈を返して、ノイッシュはそのまま立ち去っていった。



 鍛錬を終えると、自分たちにあてがわれた一室へと向かった。
 ブリギッドはもう起き出していて、寝台の脇でファバルに乳を含ませていた。
 剥き出しの白い胸元に押し付けられた小さな頭が、懸命に乳房に吸い付いている。
 もう見慣れた風景だ。けれども目にするたびに、何とも言いがたい感慨にとらわれる。


「あ、おはよう」


 俺の姿を認めて、ブリギッドが声をかけてきた。


「ちゃんと眠れたか?」
「大丈夫。昨日は夜泣きもなかったし」
「そうだな」


 そのまま俺たちは他愛もない会話を交わした。
 やがて、懸命に吸いついていたファバルが口を外し、ふにゃりと小さな声をもらした。ブリギッドは赤子を胸元から離すと、とんとんと手なれた調子でげっぷさせてから、揺り籠に寝かしつける。
 赤子が落ち着くのを見届けると、ブリギッドはつと視線を上げて、俺に訊ねかけてきた。


「何かあったの?」
「いや……ああ、そうだな」


 ノイッシュとの会話を伝えなくては。だが、どう切り出したものか。
 言葉を選びながら、俺はぽつりぽつりと話し始める。


 ――この軍に同行している子どもたちをイザークに逃がしたい、シグルド公子はそう考えているらしい。
 この一行にファバルも加わるべきだと、ノイッシュが勧めてきた。
 ファバルはまだ乳離れすらしていない。イザークに向かうならブリギッドも一緒でなくては――


 ブリギッドは俺の言葉を遮ることなく、じっと耳を傾けていた。だが、彼女も同行すべきだと言ったところで、顔をこわばらせながら口を開いた。


「いや、私は行かない」
「だが、ファバルはどうする」
「このまま一緒に連れてゆく」
「この先に待つのはイードの砂漠、そして砂漠を越えた先にあるのは激戦の地だ。そんなところに、こんな小さな赤子を連れていくつもりか」
「それは……」
「ファバルは生まれてまだ半年にもならない。信頼のおける乳母がすぐ見つかるならいい。だが、今、そんな人間を探している余裕はない。お前とファバルは離れるわけにはいかないんだ」
「だから、この子も連れてゆくの」
「無茶だ」
「だって、私はイチイバルの継承者よ。それに、私がバーハラに向かわないなら、エーディンが代わりに行くと言い出すに違いないわ。だけど、そんなことはさせられない」
「ブリギッド……」
「私は、いや、私たちはユングヴィの公女。ウルの家に負わされた反逆者の汚名を晴らすために、国王陛下の前で弁明する、それは私たちに課せられた責務なの。エーディンは責任感の強い人よ。たぶんあの子は、家のために自分の身を犠牲にしようとする。でもだめ。だって、あの子は身重なのに」


 そう、エーディン公女は身籠っている。おそらく五ヶ月くらいになるだろう。レンスターの見習い騎士は、帰国する寸前に、彼女に子どもを授けていったのだ。


「イザークへの道中が安全だなんて思っちゃいない。けれど、イード砂漠や戦場よりはずっとましなはず。どちらかが戦場に向かわなければならないならば、それはあの子じゃなくて、私なの」
「しかし、ファバルは」
「この子は私が守る。何としても守り抜いてみせる」
「……そう言うのではないかとは思っていたが」
「ホリン?」
「ああ、わかってたさ。お前ならきっとそう答えると」
「ごめんなさい……」
「なぜ謝る?」
「だって、ファバルは私だけの子どもじゃない。あなたの子どもでもある。私の身勝手でこの子の身を危険にさらすなんて、本当は許されることではないのに」
「気にするな。この子はふたりの子だ。俺も全力で息子を守る」
「ホリン……」


 ノイッシュ、すまない。
 心の中で、俺は金髪の騎士に詫びた。
 ノイッシュはおそらく、俺たちを生かすために――死地に向かわせないために、イザーク行きを勧めてくれた。加えて、主君の後継ぎと自分自身の子どもを託すに足る相手だと、この俺を見込んでくれた。
 本当はおのれの手で守りたかったはずだ。だが、主持つ騎士として、あるいは、一軍の一角を担う者として、彼自身はこの軍を離れるわけにはいかないのだろう。
 その心は察して余りある。ノイッシュの厚意と信頼を無にするのは心苦しいが、それでも俺は、ブリギッドとファバルから離れるわけにはいかない。


「ホリン、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「あなたは、本当は、イザークの人間ではないの?」
「なぜそう思う」
「あなたの剣筋は、アイラととてもよく似ている」
「俺の剣の師匠がイザーク人だった。そのせいだろう」
「アイラもそう言っていた。今の私と同じことを訊ねて、同じ答えをあなたから聞いたって。でも、彼女はこうも言った。あなたとそっくりなイザーク人を知っていた、と」


 そんな話をしていたのか。
 ブリギッドとアイラが親しくしているのは知っていた。だが、そういった話をするほど、気を許しあった間柄だったとは。


「その人はアイラの親戚で、年頃も、容姿も、剣筋も、ぴたりとあなたと一致するって。たいして話したこともなかったのに、今でも忘れがたい人、そうアイラは言っていた」
「……そう、か」


 今でも忘れがたい人。
 そうアイラは言ったのか。
 疼くような何かが、胸底をかすめていく。
 遠い日々、俺――いや、俺であって俺ではないイザーク人の少年にとって、イザークの王女は光り輝く存在だった。
 おのれの生きる場所を求めて故郷を離れた後も、かの姫君の放つ輝きはいつも心の奥底に灯り続けていた。
 忘れたつもりになったこともある。だが、忘れきったことなど、一度たりともなかった。


「もし、あなたがそのイザーク人なら、ファバルもまたイザークの子。本当はイザークで育つべきなのかもしれないのに」


 ブリギッドが呟くように言う。
 ちいさな声だった。けれどもその言葉は、強く胸をえぐった。


 ああ、そうか。そうなのか。
 彼女の言葉で、ようやく俺は思い至った。


 血筋なんてどうでもいい。生きるべき場所は、自分で選び取るものだ。ずっとそう思っていた。
 だから幼い頃の名を明かすつもりはなかったし、おのれの過去を誰かに話す必要などない。そう考えていた。
 だが、自分が何者なのかを知る権利を子どもから奪うのは、間違っている。
 息子を根無し草にしてはならない。
 父の血筋、そして、父の生まれた土地の名前。そういったものをきちんと知った上で、ファバルは自分の生き方を選ぶべきだ。


「不思議だな。故郷も、家名も、とうの昔に捨て去ったつもりだった。だが今になって、また向き合うことになるとはな」
「ホリン?」
「そう、俺はイザークの生まれだ。父は山あいの領国ソファラの長、アイラとは、父を通じて遠縁にあたる。親の与えてくれた名は、セタンタといった」


 そして俺は、ブリギッドに――わが伴侶に、イザークで生まれた少年の物語を語り始めた。



 話し終えると、ブリギッドは俺の頬にそっと手を伸ばし、指先で軽く撫でる。
 彼女の指が通った跡には、水で濡れたような感触が、ぴちゃりと冷たくひろがる。
 ああ、俺は涙を流していたのか。
 泣くような話ではなかったはずなのに。だが確かに、水滴が伝い落ちた痕跡が頬の上にある。
 ブリギッドは涙の跡をそっと拭い取ると、そのまま俺の頬をふわりと手のひらで包み込んだ。


「……ありがとう、話してくれて」


 優しい声だった。


「いや……こちらこそ」


 不思議なほど、心が軽かった。
 そうか。俺は誰かに――いや、他ならぬブリギッドに、自分のことを話したかっただけなのかもしれない。
 息子のために話さなくては。そう思ったのは間違いない。だが同時に、俺はこの女に、ただただ自分のことを知ってもらいたかったのだろう。


「お前と会えてよかった」


 ブリギッドはわずかに首をかしげ、俺を見つめ返す。


「お前を妻にして、本当によかった」
「……本当に?」
「嘘をついてどうする」
「あなたは……アイラが好きなのだと思っていた」


 ……ああ。
 ブリギッドがそう思うのも無理はない。


 かつてアイラに対して感じていたもの、あれはたしかに恋慕と呼ぶべきものだった。
 だが、アイラは別の男を夫に迎え、俺もまた、別の女を伴侶に選んだ。
 そこに後悔はない。
 慕情と痛みは、まだ胸の奥底にかすかに残っている。だがそれは、幼い日に仰ぎ見た夏の太陽の光を懐かしむようなものだ。まばゆく慕わしいが、今、この手の中にある確かなぬくもりと置き換えられるものではない。


「俺が愛しているのは、お前だ。お前だけだ」


 初めてその姿を目にした時から魅かれていた。
 ふたりの距離が近づいていくのが、どうしようもなく嬉しかった。
 他の男と歓談する彼女を見れば馬鹿みたいにやきもきし、なんとかして自分のほうを見てもらいたいと思ったものだ。
 そんな少年めいた愚かしさを表に出すのはどうにも面映ゆかったし、ましてや「愛している」などという甘ったるい言葉を口の端に上らせるなど、論外だと思っていた。
 けれども、言葉にして伝えなければならことがあるのも、また事実なのだろう。


 閨では睦言を交わし、戦場では背中を預けあう。
 互いを求め、互いを守り、手を携えて、ともに明日へ向かって歩んでゆく。
 そんな相手を見つけられるなど、思いもしなかった。
 けれども今、俺の隣には彼女がいる。


 時を越えられるなら、あのイザークの少年に教えてやりたい。
 遠い光を求め、ただひとり、夜空を見上げるしかなかった、孤独なセタンタに。


 自分だけの星を地上に見いだす日が、お前にも必ず訪れるのだと。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2018/03/08
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