FE聖戦20th記念企画

月と星と太陽と(前)


 アルスター城を制圧した翌朝のことだった。
 パティはひとり、城の中庭をあてもなくぶらぶらしていた。


(ああもう……なんでこんなに早く目が覚めちゃったんだろう)


 寝床が変わってもぐっすり眠れるのが、パティの自慢のひとつだ。なのに昨夜は妙に寝苦しかった。


(戦いとか、もう慣れたつもりだったんだけど)


 パティの本分はいわゆる戦闘ではない。情報の収集、物資の確保といった、密偵や――あるいは盗賊に――任されるような仕事を担っている。とは言え、昨日まで続いたアルスター城の攻防戦では、荒っぽい斬り合いにも参加していた。
 セリス皇子に率いられた解放軍に集う人々は強い。パティが出しゃばる必要は、実はそれほどないのかもしれない。けれども、ただ漫然と同行しているのも嫌だった。行動をともにするからには、それなりに役に立ちたいものだ。
 そんな気持ちがあったから、アルスター城の戦いではちょっと頑張って、剣士たちと並んで戦列に加わってみたわけだが。


(あのとき、あたしがぼんやりしていなければ、あの子は怪我なんかしなかったかもしれない)


 攻防戦のなかでの出来事だった。敵の重装歩兵に襲われていたパティを救おうとして、剣士のラクチェが手傷を負った。
 深い傷ではなかったし、すぐにリライブの杖による癒しを受けることができたから、大事には至っていない。見たところ、ラクチェはもうすっかり元気そうで、医師から休むように言い渡されたことに不平をもらしているくらいだ。
 たいした負傷ではなかったのかもしれない。それでも目の前で味方が血を流すところを見てしまうと、なんとも嫌な気持ちになる。


(あたしが未熟じゃなかったら)


 誰もパティを責めなかった。けれどもパティは気づいている。あれはパティの失敗だった。
 ラクチェは若い娘だが、解放軍きっての剣の使い手だ。彼女を凌ぐ者と言えば、神剣バルムンクの継承者であるシャナン王子くらいなのではないか。そんな彼女が、むざむざ敵兵に後れをとるはずはない。普通に戦っていたならば、やすやすと勝てていたはずなのに。
 自分は所詮しがない盗賊、戦に加わるなんて場違いなのかもしれない。そんな考えが、頭の隅をかすめる。


 ふと目をあげると、前方に人影らしきものがちらりと見えた。


(あれは……)


 黒い髪の青年がひとり、空に向かって刃を振るっていた。
 見覚えはあるが、あまり話したことのない相手だ。名前はたしかスカサハと言ったはずだ。シャナン王子のいとこでラクチェの双子の兄にあたる、イザーク王家の血を引く剣士だ。


(練習……なのかな)


 いわゆる素振りというやつだろう。だが、ただ素振りと呼んでしまうには、スカサハの動きは……なんとも美しかった。
 振り上げ、振り下ろし、薙ぐ。そういった動作のひとつひとつがぴたりと決まっている。まるで舞を見ているかのようだ。


(なんか……すごい)


 パティが解放軍に身を寄せるようになってまだ間がない。だが、スカサハがすぐれた剣の使い手であることは知っていた。シャナンや妹のラクチェに比べると、どことなく地味な印象はあるが、剣を扱う者たちの中では抜きん出た腕前を持っている。
 今こうやって練習している様を見ていても思う。彼はたぶん、特別な人なのだ。


(聖戦士の血を引いているって、こういうことなのかな)


 そんな考えが、ぼんやりと頭の隅をかすめる。


「パティ?」


 不思議そうな声で、スカサハが呼びかけてきた。


「何か用か?」
「用ってわけじゃないの。ただ通りかかって……」


 あなたの練習に見とれていた、とは、さすがに気恥かしくて言えなかった。


「ねね、ひとりで練習してたの?」
「ああ、そうだな」
「その……ラクチェが怪我してるから?」
「いや、この時間の練習は、いつもひとりだ。ラクチェは早起きはあまり得意じゃないし」
「そうなんだ」
「それに、ラクチェと同じ練習量じゃ間に合わない。俺、そんなに強くないから」
「え、嘘でしょ?」
「うん?」
「あなたが強くないなら、みんなはすっごく弱いってことになっちゃう」
「あ……いや、そういうつもりじゃなくて。うん……シャナン様やラクチェに比べて、ってことだけど」
「あー……でもそれ、比べる相手、悪すぎない?」
「シャナン様はともかく、ラクチェとは双子だからな。後れを取りたくはない」
「スカサハがラクチェよりも弱いとも思えないけど」
「いや、練習で立ち会うと俺が負けることが多いんだ」
「……そっか」


 少し意外だった。スカサハの腕前はラクチェと遜色ないはずだ。むしろ男性であるスカサハのほうが、腕力や体力は勝っているようにも思う。
 けれども、なんとなく納得してもいた。スカサハはどこかやさしい。一方でラクチェは負けん気が強く、勝敗に強くこだわるようなところがある。そんな妹を相手に回すと、無意識のうちについつい勝ちを譲ってしまっているのかもしれない。


(なんかいい人っぽいんだよね)


 まだ知り合って間もないし、関わり合いになったことも指折り数える程度しかない。だが、パティはそう感じていた。


「ねね、もし邪魔じゃなかったら、なんだけど」
「うん?」
「その、さ。あたしに剣、教えてくれないかな?」
「え?」
「あたしも強くなりたいから」


 実のところ、剣の腕にはそれなりに覚えがある。剣を教えてくれた『師匠』はパティのことをよく褒めてくれていたし、実際、こうやって解放軍に加わってからも、普通の戦士とならば、比べてもさほど見劣りしないのではないかと、こっそり思っている。
 けれどもその傍らで、自分はまだまだだと実感することも多かった。
 少しは戦える。けれども決してずば抜けて強いわけではない。練習を重ねれば、もう少し強くなれるかもしれない。いや、強くならなければ。誰かの足を引っ張るようなまねは、もうしたくないから。


「昨日ね、あたしがぼさっとしてたから、ラクチェ、怪我しちゃったし」
「ああ。あれは別にパティのせいじゃない」


 さらりとスカサハは言った。


「そうかな……」
「ラクチェは疲れてくると、少し動きが雑になる。で、隙ができてしまう。今までにもあったことだ。もともと、懐深く飛び込んで、見切ってかわしていくような戦い方をしてるから。集中力が途切れると、あっさり怪我しても不思議じゃない」
「でも」


 なおも言い募ろうとするパティを遮って、スカサハは言葉を続ける。


「だから、ラクチェのことは気にしなくていい。でも、剣の練習がしたいなら……一緒にやろうか?」
「いいの?」
「むしろありがたいかな。今、デルムッドがレンスターに行ってしまってるから、ちょうどいい練習相手がいなかったんだ。パティは剣、けっこう得意だろう?」
「え?」
「わりと腕に覚えがあるんじゃないか」
「えっと……」


 返答に詰まった。
 自信がないわけではない。けれども、自分ではスカサハには到底及ばないことも知っている。そんな相手から評価されているなんて、なんだかちょっと信じられない。


「なんて言うか、うん、そうだな、動きがきれいだなって」
「……ありがと」
「じゃ、城内の練兵場に行こう。あそこなら練習用の剣が置いてあるはずだ」


*****************


 ふたりは城内の練兵場に場所を移して、練習をはじめた。
 練習用の剣を手に、実戦に近い形で剣を交わす。ただ、これはあくまで練習であって勝負ではない。そのことをすぐにパティは理解した。
 初めからわかっていたことだが、スカサハの実力はパティより数段上だ。だが、スカサハは自分が勝とうとするのではなく、きちんとした打ち合いになるように、さりげなくパティを導いてくれているようだ。
 ただただ手加減されている、というのとも少し違う。手ぬるい隙をわざと作られているような感触はない。一方的に圧殺したりはせず、次の手を考える余裕を与えてくれるが、容易に勝たせる気はない。そういう、絶妙な配分が感じられた。
 しばらく練習を続けたところで、スカサハが休もうと声をかけてきた。その言葉に従って、パティも動きを止める。
 いったん止まってみると、思いのほかに疲れていたことにパティは気づく。ふたりは壁際に寄ると、並んで腰をおろした。
 最初は交わす言葉もなく、ただ座って呼吸を整えていた。だが、ややあって、スカサハがぽつりと言った。


「……不思議だな」
「え?」
「パティの剣筋。何というか……俺たちのとすごく似ている」
「そうなの?」
「ああ。たとえば、一緒に育ってきた仲だけど、セリス様やデルムッドの剣は、俺たちのと少し違う。グランベルの――騎士の戦い方を、オイフェさんが仕込んだから。アレス王子のも、またちょっと違ってる。あれはたぶん……傭兵の戦い方なんだろう。けどパティのは……俺たちイザーク人のものと同じような感じがする」
「そっか。あたしはそういうの、よくわかんないんだけど」
「そう言えば、パティはどこで剣、覚えた?」
「えっとね、師匠がいたの」
「へえ?」
「あたしたちの孤児院を助けてくれてたひと。そのひとがあたしに剣を教えてくれたんだ」
「そうなのか。その人、イザーク人なんだろうか」
「ううん、たぶん違うと思う。師匠は金髪で青い目だったもん。イザークのひとって、たいてい黒髪に黒い目じゃない?」
「そうとも限らないが……たしかに、黒とか茶色とか、そういう色合いの目や髪をしている人が多いな」
「それに師匠、ヴェルダンの育ちだって言ってた。あ、アグストリアだったかな。うん、なんかその辺の……西のほうの出身だったはず」
「ヴェルダンとアグストリアじゃだいぶ違うぞ。たしかに隣同士の国だけど」
「あのね、師匠、あちこち移動してたらしいの。だから、いろんな国の話をしてくれたんだけど、どこが師匠の故郷なのか、あたし、ちゃんと覚えてなくて」
「なるほど。そういうことか」


 こうやって話題に上らせると、『師匠』のことが次々に思い出される。
 しょっちゅう顔を合わせていたわけではない。師匠がパティたちの預けられている孤児院に顔を見せるのは、せいぜい二、三ヶ月に一度くらいだった。けれどもパティにとって、師匠は大切な人だ。


「もっとちゃんと、いろいろ師匠に聞いておけばよかったのかなあ……」
「聞いておけばって?」
「師匠、行方不明なの。もう二年になるかな」
「そうか」
「師匠が来てくれなくなっちゃったから、お兄ちゃん、傭兵を始めて」
「もしかして、パティが盗賊をしていたのも、それで?」
「……うん」
「大変だったんだな」
「ん……」


 実際、大変だった。
 師匠からの援助がなくなったことによって、資金のやりくりが苦しくなっただけではない。ちょうどその頃から、北トラキアの各地で子ども狩りが始まったのだ。孤児院の子どもたちは、まさに子ども狩りの対象になるような年頃だ。両親のそろっている子どもですら、無理やり連れて行かれることは珍しくない。ましてや、ともすれば厄介者扱いを受けかねない孤児院の子どもたちなのだ。うまく立ち回らなければ、あっさり連れ去られてしまう。


「あたしたち、もう大きかったから。ちっちゃな子達をほうっておくわけにはいかないなって思って」
「うん」


 スカサハは真剣な表情でパティをじっと見つめている。


(あ……)


 このひとは、わかってくれている。
 なぜか、そう思った。


 盗賊なんて、褒められたものではない。そんなことはパティだってよくわかっている。兄や師匠が知ったら、きっとやめさせようとしただろう。けれども、孤児院の子どもたちを養っていくためにパティができることと言えば、それくらいしかなかった。
 パティの生業を知って、シャナンは顔をしかめ、セリス皇子はよくないことだとたしなめた。けれどもスカサハは、『大変だったんだな』と言う。
 深い考えもなく、何気なく口にしただけなのかもしれない。けれどもパティにとって、その言葉は――たぶんきっと、ずっと欲しかったものだった。


「……ありがと」


 スカサハの顔から目を逸らして、口ごもりながらパティはそう答えた。


*****************


 休憩を終えて、もう少しだけ練習を続けようと準備を始めた時だった。
 練兵場にふらりとシャナンが姿を現した。


「珍しい取り合わせだな」


 思わず振り返ったふたりに向かって、シャナンは言った。


「スカサハが練習熱心なのはいつものことだが、パティ、お前をここで見るとは思わなかった」
「シャナン様、パティはけっこういい使い手ですよ」


 パティが言葉を返すよりも先に、スカサハが淡々とした調子でそう答えた。


「油断すると、一本持っていかれそうになります」
「スカサハ、お前がか?」
「はい」
「それは面白い」


 シャナンはパティに顔を向けると、何気ない口調で声をかけてきた。


「どうだパティ、私と剣を合わせてみるか?」
「えっ、嘘っ!」
「嘘なものか。剣の練習をしていたのだろう?」
「……いいんですか、シャナン様」


 おずおずとパティは問い返す。


「なんだ、私では不満なのか」
「えええっ、逆です逆。なんかおそれ多くって」
「そんなに縮こまるな。練習くらい、気軽にすればいい」
「そうは言っても、ですね。あたしは生まれもよくわかんない孤児院育ちの……」
「関係あるものか、生まれや育ちなど。何を望み、何を為すかのほうがよほど大切だ」
「そうなんでしょうか」
「聖戦士の末裔が無条件に立派な人間になれるなら、こんな戦は起きていない」


 どこか苦々しさを含んだ声で、シャナンはつぶやくように言った。


「だからパティ、遠慮はいらない。スカサハが褒めるなど、そうあることではない。お前の腕前、見せてはくれないか」
「はいっ!」


 緊張もあらわに、パティは勢いよく返事を返した。


 練習用の剣を手に、パティはシャナンと向かい合う。


(やっぱりシャナン様って、すごい)


 シャナンは何気なくただ立っているように見える。なのにどうだろう。ただ向き合っているだけで、ぴりぴりとしたものが伝わってくる。
 ただ佇んでいるだけのように見える。なのにどこに打ち込んだらいいのかわからない。


(怖い……)


 この感じは何なのだろう。
 下手に動けば斬り殺される。ただの練習のはずなのに、戦場で対峙しているような緊張感がみなぎる。


(でも、踏み出さないと)


 パティもまた、すっと剣を構える。
 そのまま利き足で踏みこんで、シャナンの懐に迫る。


 カンッ!


 鋭い音をたてて、シャナンの剣がパティの剣を受け止めた。
 そのままふたりは撃ち合いになだれ込む。
 シャナンの動きは素早く鋭い。だが、パティはその剣戟をきわどいところで受け止める。
 だが、受け止めるので精一杯だ。こちらから攻撃を仕掛けに行く余裕は見いだせない。


(だけど!)


 パティは粘る。シャナンの剣さばきに必死で食らいつき、なんとか攻勢に出るきっかけをつかもうとする。


(あ!)


 刹那、ひらめくものがあった。


(行ける、今なら!)


 明確な思考を形作るよりも先に、パティの体は動いていた。
 下段に構え、すっと腰を落とし――迫る相手を切り上げる。
 剣閃は弧を描き、シャナンの胴を捉えた――かに見えた。


 際どいところでシャナンは身をかわしていた。
 だが、かわすので精一杯だったのだろう。シャナンは大きく体勢を崩していた。


「待った」


 あえぐような声で、シャナンが静止を呼びかけてくる。
 その言葉にパティもまた手を止めて、体勢を引き戻した。


「今の技……パティ、お前はいったい」
「え?」
「いったい、どこで、どうやって、その技を身につけた」


 目をしばたたかせながら、パティはシャナンの問いの意味を考える。


(あたし、なんか変なこと、したっけ)


 夢中だった。何かを考える暇もなく、本能のままにただ動いた。
 だが今、自分の動きを頭の中で再現してみて、パティは気づく。


(あ、これって……師匠が教えてくれた、あの技だ)


 今まで成功したためしがなかった。なのに今、追い詰められた末に繰り出したのは、かつて師匠が伝えようとしてくれていた必殺の技だった。


「師匠が教えてくれました。でも、ちゃんとできたのは今日が初めてで」
「師匠、だと」
「えと、あたしに剣を教えてくれたひとです」
「む……」


 眉間にしわを寄せ、シャナンは考え込むようなしぐさを見せる。
 沈思黙考の末、シャナンは驚くほど真剣な声で言った。


「パティ、少し話が聞きたい」
「えと、何を話せばいいんでしょう?」
「先ほどの技だが……あれが何という名で呼ばれる技なのか、お前は知っているか」
「名前……あるんですか? 師匠は『とっときのあれ』としか言わなかったから」
「あるのだ。パティ、あれは『月光剣』と呼ばれる剣技だ」
「月光剣、まさか!」


 傍らででふたりの様子を眺めていたスカサハが、信じられないと言わんばかりに声をあげた。


「え、なんかそんなびっくりするようなものなの?」


 狐につままれたような顔で問い返すパティに、シャナンは重々しい声で答えた。


「あの剣技はイザークの……主にソファラの一族に伝わるものだ。ただし、一子相伝の秘剣ではない。だからだろう、ソファラの家の子に限らず、オードの家系に連なる者には、時折使いこなす者が現れると聞く」
「へええ」
「噂では、わがいとこにあたるリボーの王子もあの技を身につけていたらしい。だが、実際に私があの技を使う者をこの目で見るのは、お前でふたり目だ」
「つまり、ええとその……あれはオードの血筋に伝わる、珍しい技だってことですか」


 オードの血筋に伝わる珍しい技。それが本当だとすれば、師匠は……あるいは自分は聖戦士の一族と関係のある存在なのだろうか。
 にわかには信じがたいことだ。
 師匠はそういった偉そうな人には見えなかった。第一、師匠がパティに伝えたのは、剣の使い方だけではない。もっと他の、いやしむべき手業もまた、師匠からパティに伝えられたものなのに。


「そうだ。だから問いたい。パティ、お前の師匠はどのような人物だった?」
「えっと……師匠はあたしの母さんの知り合い、なのかな。母さんが行方不明になっちゃった後、お兄ちゃんとあたしを孤児院に預けて、で、その後ずっと、孤児院にお金を出してくれてたみたい。はっきりとはわからないけど」
「ふむ……」
「普段、何してたとかは知らないんです」


 嘘はついていないが、実のところ、パティには見当がついていた。師匠のしていたことも、師匠が持ってきてくれていた資金の出どころも。だがそれをはっきり語るのは、少しばかり抵抗があった。


「師匠が孤児院に来るのは、そうしょっちゅうってわけでもなかったんです。でも来たときはいつも、あたしやお兄ちゃんに声をかけてくれて。で、その時に剣を教えてくれたりとかも。ちゃんと勉強しとけよって言って、本を置いてったこともあったっけな」
「つまり、お前の母の知り合いで、何くれとなく面倒を見てくれたと」
「うんうん、そんな感じです」
「見た目はどんなだ。年齢は」
「えっと……男のひとです。年は……んー、どうなんだろ。あんまりよくわかんないや。そんなに年寄りじゃない、かな。シャナン様よりは年上だと思うけど。金の髪に青い目で」
「金髪に青い目だと!」


 シャナンは唸るような声を上げると、勢い込んでさらに問いかけてきた。


「背は高いか? 寡黙で精悍な」
「んと……ぜんぜん違います。背はあんまり高くなくて。むしろわりと小柄かも。で、おしゃべりで冗談がうまくて」


 そう返すと、シャナンはがっかりしたようにつぶやいた。


「そうか……違ったか」
「え?」
「先ほど、お前以外にも月光剣の使い手を知っていると言っただろう。その人がお前の師匠なのではないかと思ったのだ。だがどうやら違ったようだ」


 その落胆ぶりに、パティはなんだかすまないような気分になった。
 なんとかして慰めたい。そう思って考えを巡らせるうちに、ふと気づいたことがあった。


「あー、あのですね、師匠はあの技、使えなかったらしい、です」
「なんだと」
「自分は使えた試しがないけど、もしかしたらあたしならできるかもって、形だけ見せてくれて。で、それを覚えて練習してきたんですけど」
「むう」
「なんかね、師匠のお師匠さんに当たるひとの得意技だったって、そう言ってました」
「師匠の師匠……そうか!」


 思い当ることがあったのだろう。シャナンは目を見開いて、声を上げる。
 そして改まった口調で、パティに再度問いかけてきた。


「パティ……その、お前は自分の両親の名を知っているか。あるいは、さっきから話にのぼっている師匠の名を」
「ええと……父さんの名前は知りません。けど、母さんはブリギッド。で、師匠はデューって名乗ってました。けど、本当の名前かどうか」
「ブリギッド! それにデューだと。やはりか……いや、しかし」


(どういうこと? 母さんや師匠の名前を聞いて、シャナン様がこんなに驚くなんて)


「そう言えばお前、兄がいると言ってなかったか。お前の兄の名は」
「お兄ちゃんですか? ファバルって名前です。今はコノートのあたりで傭兵をやってるはずですけど」
「ファバル!」
「ええ……あの、シャナン様、あたしの母さんとかお兄ちゃんとかの名前って、何か大事なことなんでしょうか」


 そうパティが問いかけると、シャナンは表情を改め、静かな声で言った。


「パティ、もしかしたらお前の母は、私の知っている方かもしれない」
「えっ?」
「お前の父も、そして師匠と慕う人物も……私の、いや、私やオイフェの古い知り合いかもしれないのだ」


 シャナンは努めて冷静であろうとしているようだ。だがその声には隠しきれない興奮の色が見え隠れしている。


「いや、私だけで判断すべきではないな。オイフェやレヴィンの意見を聞かねば」


 そう口の中でつぶやくと、シャナンはパティを見下ろし、はっきりとした口調で告げた。


「今はここまでにしたい。だが、他の者たちと相談してから、もう一度お前に質問することになるだろう。おそらくは明日、いや、早ければ今日のうちにお前を呼び出すことになると思う。それでいいか?」
「あ、はい」


 面くらいながら、パティはこくこくとうなずく。
 うなずきながら、パティはシャナンの言ったことを反芻していた。


 シャナンはおそらくパティの肉親について知っているのだ。
 いや、シャナンだけではない。軍監のオイフェや軍師のレヴィンもまた、パティの父母らしき人々を知っているかもしれないという。
 人違いの可能性もあるだろう。けれども何か……運命とでも呼ぶべきものが、今、動き出したのかもしれない。
 そんな予感に、パティは捉われていた。


*****************


 パティがオイフェから呼び出しを受けたのは、その数時間後、日暮れも近い刻限になってからだった。
 もとは応接室として使われていた部屋なのだろう。重厚なつくりの机を囲んで、四客の椅子が置かれている。
 正面に座っているのは軍師を務めるレヴィン、その両脇に騎士オイフェとシャナンがそれぞれ腰を降ろしている。
 パティが室内に入ってきたことに気付くと、レヴィンは椅子から立ち上がり、自分と向かい合う位置に置かれた椅子に座るよう、パティを促した。
 パティが席に着いたのを確認すると、レヴィンは再び腰を下ろして、おもむろに話し始めた。


「シャナンから話は聞いた。私からもいくつか確かめたいことがあるのだが……いいか?」


 パティがこくりとうなずくと、レヴィンは軽くうなずき返して言葉を続けた。


「お前とお前の兄が孤児院に来たのはいつのことだ。母親が行方不明になったから預けられたのだと聞いたが」
「えっと……あたしが四つの夏、だったはずです。ちっちゃすぎたからほとんど覚えてないんですけど」
「お前は今、いくつだ?」
「この春、十六歳になりました」
「なるほど。つまり、お前が母親と生き別れたのは、十二年前の夏、ということだな」
「あ……、そうですね」
「十二年前、つまりはグランベル暦七六五年か」


 そう言うと、レヴィンは大きく息をついた。
 横合いから、オイフェがそっと言葉を添える。


「北トラキアが大きく変化した年ですね。ブルーム王の暗殺が企てられたのをきっかけに、各地への締め付けが厳しくなり、アルスターが帝国の手に落ちたのも、たしか」
「そう、七六五年の夏だ。そしてこの同じ年に、ブリギッド公女と思しき人物に関する記録が残されている。バーハラの悲劇以降、ユングヴィのブリギッドの足跡は追えていなかった。だが、七六五年の八月、コノートの海岸付近の集落で、それらしき人物が発見されている」
「それで、そのブリギッド様らしき人物は……」
「捕らえようとする帝国の兵と戦い、多くを倒したとある。どうやらつかまりはしなかったようだ。追い詰められて海に飛び込み、そのまま行方知れずになった……ということだが」
「海に……ですか」
「死体は上がらなかったらしい。だが、生きて見つかったという話もない。ブリギッドは海賊だった。泳ぎは達者だろうが」


 たまらずパティは口を挟んでいた。


「その……海に飛び込んだひとが、あたしの母さんなんですか?」


 パティの言葉に、レヴィンはふと彼女に視線を向けた。


「たぶんな。確証はない。だが、時期と名前は一致している。可能性は高いだろう」
「そう、なんですね」


 パティにうなずき返すと、レヴィンはさらに言葉を続けた。


 

「そしてデューだが、彼の足跡もバーハラ以降まるでわからない。あの日バーハラで、デューは王城には向かわずに野営地にとどまっていた。以前フュリーに聞いた話では、ファバルを連れて野営地からダーナへと向かったらしいが」


 レヴィンの言葉を引き継いで、オイフェが言う。


「その後、ブリギッド様と合流を果たして、ともに北トラキアへ逃れた。そういうことなのでしょうか」
「そう考えれば辻褄は合うな」
「しかし、デューがパティに月光剣を伝えられるものなのでしょうか」


 オイフェが首をかしげながらそう問いかけると、今まで言葉を発することなくただ耳を傾けていたシャナンが口を開いた。


「それこそが証拠なのだと、むしろ私は思うのだ。シレジアにいた頃、デューはホリンから剣を教わっていた。私と一緒に、な」
「そう言えばそうでしたね」


 相槌を打つオイフェにうなずき返して、シャナンは続ける。


「デューは飲み込みがよかった。たしかに達人と言えるような使い手ではなかったが、イザークの流儀をある程度身につけていたのは間違いない。パティの剣にはイザークの流れがある。私だけではなく、スカサハもそう感じたようだ。ただ、自分では使いこなせない月光剣をどうやって伝えたのかは、大いに疑問の残るところではあるが」


 シャナンはそこで言葉を切り、パティをじっと凝視した。
 厳しい視線ではなかった。遠い何かを追い求め、懐かしんでいるような、そんなまなざしだ。


「あの年、シレジアで、私はホリンを師と仰ぎ、デューを兄弟弟子と呼んだ。デューならばホリンの剣を知っているし、ホリンの娘に父の剣技を伝えることを望むだろう」
「師匠、言ってました。『自分にできないものを教えようとするなんて、馬鹿みたいだね。でも、パティならいつかできるようになる気がする。それに、それがお師さんの望みだと思うから』って」


 パティの言葉に、シャナンは――いや、オイフェもまた――嘆息を漏らす。
 ややあって、オイフェが思い直したように言った。


「おそらくパティの両親はブリギッド様とホリン、養い親となったのはデュー、それで間違いないでしょう。ですが、確たる証拠と言えるものがないのはつらいですね。パティ、君のお兄さんか、もしくは君が師匠と呼ぶ人物に会えれば、もう少し確かなことがわかるのでしょうが」
「あたし……もう少し、ちゃんと師匠からいろいろ聞いておけばよかった」
「ふむ?」


 問いかけるようなまなざしを向けるレヴィンを正面から見つめ、パティは考え込みながら続けた。


「最後に会いに来てくれたとき、師匠、なんかいろいろ話そうとしてたみたいなんです。でもあたし、『帰ってきたときに聞くから』って断っちゃった。だって、そうでもしないと、無事に戻ってこないような気がして。だって師匠、イードの砂漠に行くなんて言い出したから」


 シャナンが身を乗り出して問いかけてきた。


「イード砂漠だと?」
「大切なものを探しに行かなくちゃいけない、そう言ってました。でもそのまま、師匠は帰ってきていない……」
「まさかとは思うのだが、パティ、お前がイードのロプト神殿にいたのは」
「うん。師匠を捜すつもりだったの」
「なるほど。だが、なんという無茶を」
「だって、師匠に帰ってきてほしかったもの。危ないのはわかってた。だけど……」


 デューが去ってから、状況は悪くなる一方だった。
 ファバルが頑張ってくれているおかげで、経済的にはさして困っていなかった。けれどもその金の出所を考えると、パティはどうにもやるせない気持ちになった。
 はっきりと話してはくれないが、兄はおそらく、フリージ家と繋がっている。帝国の手先になって、戦いに――つまりは人殺しに手を染めて、自分たちを養っているのだ。兄が戦いの場に出ているだけでも嫌なのに、ましてや帝国の下っ端として働いているかもしれないなんて、嫌でたまらなかった。
 一方で、帝国の『子ども狩り』はますますひどくなっていた。自分の力では孤児院の子どもたちを守りきるなんてとても無理だ。そう思った時、パティの脳裏に浮かんできたのは、いつも屈託なく笑いかけてきた師匠――デューの顔だった。
 師匠がいてくれれば、全部よくなるかもしれない。
 その思いは日々ふくれあがってゆき、パティはついに、イード砂漠へと向かった。


「そして、結果としてお前は私たちと合流することになった。危険で無謀な企てだったかもしれない。だが、もたらされたものは決して悪いものではなかった」


 そう語ったのはレヴィンだった。
 軍師は冷静な声で続ける。


「経緯はよくわかった。できればお前の兄にも会いたいものだ」
「お兄ちゃんは……たぶんこのあたりにいるはずです。まだ元気なら」
「傭兵をしていると言ったな」
「ええ、弓が得意なので」
「弓か……さもありなんと言ったところか。ブリギッドの息子ならな」
「あの……」
「なんだ?」
「あの、さっきから思っていたんですけど、もしよかったら、父さんと母さんのこと、話してもらえますか。あたし、何にも知らないから。母さんの名前以外は、何にも」
「ああ……そうだな。まずはそこに気づくべきだった」


 そう言って、レヴィンは話し始めた。
 その昔、シアルフィのシグルドのもとで、ともに戦った人々の物語を。
 勇猛で美しい元海賊の公女、無敗の剣闘士と謳われた寡黙な剣士、そして、無邪気なように見えて世間の荒波をよく知る、朗らかな少年盗賊。
 時折、シャナンが言葉を挟み、オイフェがそれに相槌を打つ。
 初めて知る話、というわけではなかった。悲劇の公子シグルドのもとで戦った人々の物語は、今では吟遊詩人の歌となり、広く世に知られている。けれどもやはり、これはパティの知らない物語だった。巷で語られている英雄譚を自分に引きつけて――自分の両親の話として聞いたことなどなかったからだ。
 それにレヴィンの物語は、『名高い英雄』について語るものではなく、昔の知り合いの思い出を話し聞かせるものだった。今もなお胸に残る大切な人々のありさまを、慙愧の念とともに伝えようとする、そういった性質のものだったのだ。
 レヴィンの語りは淡々としていた。けれども横で聞くオイフェの目には涙があり、シャナンはと言えば、話が進むにつれ、怒りとも悲しみともつかない険しい表情を浮かべるようになっていった。



「これで私たちの話は終わりだ」


 レヴィンがそう告げた頃には、すっかり日が暮れていた。
 途中でオイフェが机上に置かれたランプに火をともしていた。けれども机の上のランプ以外には光源はなく、部屋はかなり薄暗かった。


「ありがとうございます。お話、聞かせてくださって」
「知りたいことがあれば、いつでも遠慮なく尋ねるがいい」
「はい……今は特に思いつかないけど、また何かあったら」
「そうだな」


 パティは静かに椅子から立ち上がった。そして黙礼すると、ほのかな明かりの中に佇んでいる大人たちを残して、部屋を後にした。



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written by S.Kirihara
last update: 2018/05/28
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