FE聖戦20th記念企画

忠臣(後)


 翌朝、用意してきた糧食で軽く朝食を取った後、ラナとレスターは再びフィンの部屋を訪れた。
 フィンはすでに目を覚ましていた。
 昨日に比べれば、フィンはかなり回復しているように見えた。まだ顔色も悪く、げっそりとやつれているが、今にも死にそうな状態からは脱したようだ。
 付き添っていた医師は兄妹の姿を見とめると、軽く会釈して部屋を辞した。


「おはようございます」
「ああ、おはよう」


 レスターの挨拶に、フィンが挨拶を返す。だが、そこで言葉が止まった。
 何とかして会話を続けなくては。ラナがやきもきしながら言葉を探していると、おもむろにフィンが口を開いた。


「今朝がた、軍師どのから、私が意識を失ってからの状況をうかがった。危ういところでセリス様の援軍が到着し、それがそのまま勝利に結びついたのだそうだな。感謝に堪えない」


 フィンの言葉に、レスターがはきはきとした調子で返す。


「いえ、我々としても当然のことをしたまでです。アルスター攻略に万全を期すためにも、レンスターは確保しておかねばなりません。それに、ここレンスターは、地槍ゲイボルグを守り伝えてきた土地。レンスターが正しき王家の手に戻ったことは、北トラキア独立の象徴となるでしょう。セリス様を奉じる我々にとっても、敵の手に渡すわけにはいかない場所でした」
「そうだな」
「我々の率いてきた兵は、当面レンスターに滞在する予定です。フリージ軍の撃退には成功しましたが、コノートはいまだ健在。再度の襲来に備える必要があります。レンスターの守備が再び整うまでは手を貸さねばならない、そうセリス様はお考えです」


(……こんな話をしたいわけではないのでしょう、兄さま)


 これはレンスター軍の指揮官と解放軍の部隊長の会話だ。久々に顔を合わせた父と息子の会話ではない。
 たしかに話しておく必要はあるだろう。けれども、今、この場で交わすにふさわしい会話は、もっと別なもののはずではなかったのか。


「そうか。では、君たちはしばらくここに残るのだな」
「はい、その予定です。ただ、セリス様のもとに使者を遣わし、こちらの状況をお知らせするとともに、今後のことについてもう一度指示を仰ぐ手はずになっています。その内容いかんによっては、また変わることもあるかと」
「なるほど。妥当なところだ」


 フィンがうなずくのを見届けて、レスターは軽く眼を伏せる。
 そして顔を上げると、どこか硬さを感じさせる声で再び話し始めた。


「今朝は、リーフ王子にはもうお会いになられましたか?」
「ああ、朝一番にご挨拶にいらっしゃった」
「では、ナンナ王女は。昨日、大変心配していらっしゃいました」
「ナンナも一緒だった。かなり無茶をさせてしまったようだ。すまないことをした」
「彼女は父上のことを、お父さまと呼んでいたそうですが」


 ラナは腹の底が冷えるような感触を覚えた。


(兄さま、そのことを、今、ここでお訊ねになるのですか)


 昨夜、フィンの部屋を辞した後、ラナはさりげない調子で、ナンナが壊れた杖で癒しの技を施そうとしていた時のことを、兄たちに伝えた。
 ナンナがフィンを父と呼んでいたと話すと、レスターは顔をこわばらせ、デルムッドは無言のまま息を吐いた。
 ふたりとも、その場では何も言わなかった。けれどもその時その場に漂った何とも言い表しようのない緊張を、ラナは感じ取らないわけにはいかなかった。
 兄たちもまた、ラナと同じ疑惑を抱いたのだろうか。
 ずっと離れ離れになっていたフィン。そのフィンを父と呼び、身の危険も省みずに無理やり癒しの技を使おうとした少女。


 彼らはその言葉どおり――血の繋がりのある父娘なのではないか。


「ああ……」


 フィンはレスターの言葉に相槌を返して、しばし考え込んだ。


「ラケシス様はイザークに向かうにあたって、私にナンナを託していった。そして逃亡の間、身元を偽るために、私とナンナは親子を装って過ごした。その頃の癖が今でも残っているのだ」
「では、彼女の父親は」


 あくまで冷静に、だが厳しさを漂わせながら訊ねるレスターに、フィンは淡々と答えた。


「デルムッド様と同じく、ヴェルトマーのアゼル公子だ。少なくとも、ラケシス様はそうおっしゃっていた」


(じゃあ、ナンナ王女はお父さまの娘ではないのね。デルムッドと同じ両親から生まれた、ノディオンとヴェルトマーの血を引く姫君……)


 フィンの答えに、ラナはほっと気を緩める。
 そのラナの横で、さらにレスターが質問を重ねていた。


「お訊ねしたいことがあります」
「なんだろうか」
「父上は、母上や私がイザークにいたことをご存知だったのでしょうか」
「ああ。ラケシス様が教えてくださった。リューベックの戦いの後、エーディンは子ども達とともにイザークへ向かったと。ただ、その後の消息は把握できなかった。今回、セリス皇子が旗揚げなさるまでは」


 フィンは淀みなく答えた。
 その声は冷静で、感情の揺れのようなものは感じられない。


「では、ラケシス王女は、不確かな情報を頼りに、ひとりイード砂漠へ向かわれたのですね」
「そう……だな」
「お止めになられなかったのですか」
「止めはした。だが、聞き入れてはいただけなかった」
「そうですか」


(いけない、兄さま)


 兄の苛立ちがつのっていくのを、ラナはひしひしと感じ取っていた。
 表面上は、レスターは冷静さを保っている。だがその心の裡には、噴き出す寸前の溶岩のようなものが渦巻いているに違いない。


「兄さま、お父さまは、まだお体が」
「いや、ラナ。私は大丈夫だ」


 思わず言葉をさし挟んだラナに、フィンは穏やかな調子で答えた。そして視線を再びレスターに戻すと、静かな声で問いかけてきた。


「続けてくれ。言いたいことがあるのだろう?」
「私は、父上のお気持ちが知りたいのです」
「私の気持ち、か」
「はい」


 そう答えた後で、しばし考え込んでから、レスターは再び口を開いた。
 大きな声でも、勢いのある話し方でもなかった。冷静にゆっくりとしゃべろうと努めているように思える。だが、その声からは抑え込まれた感情の昂りが漏れ出ていた。


「母上は多くを語りませんでした。ですが私は知っています。母上はずっとあなたを待っていました。いつだってあなたの身を案じていました。
 忠義の臣たるもの、かくあるべし。オイフェさんは、あなたの行動をそう説明しました。主から託された幼君を守る。私とて騎士のはしくれ、その意味するところは十分理解しているつもりです。それでも私はあなたに問わずにはいられない。なぜ、あなたは私たちのそばにいらっしゃらなかったのですか。
 デルムッドは、母を知ることなく、父の家名――ヴェルトマーの名に傷つきながら育たなくてはならなかった。そして、私たちの母は、おのれの望みは後回しにして、ひたすら奉仕と祈りにその身を捧げた。すべては仕方のないことだったのかもしれません。ですが私の中には憤りがあります。父上、あなたは、どうお考えですか。どう感じておいでなのですか」
「私がどう感じているか……か」


 そうつぶやくと、フィンは視線を落とした。
 沈黙が続いた。レスターはまじろぎもせず、息をひそめて、うつむく父を見据える。
 やがてフィンは面を上げ、静かだがはっきりとした声で言った。


「レンスターの騎士として、委ねられたものを守り抜く。それこそが、私の使命。そう心得て、今日まで来た」


 そこでいったん言葉を切ると、フィンは中空に視線を向け、何事かを考え込む。
 そして再びレスターに視線を戻すと、低く小さな声で続けた。


「多くの者が、志を遂げることなく逝ってしまった。その悲願を託されて、私はいまだ生かされている」


 静かな声だった。けれどもそれは押し殺された慟哭なのだと、ラナは感じた。


「わかってくれとは言わない。だが、他に取るべき道はなかった」
「そうですか……」


 レスターもまた静かな声で、ただ相槌を打つ。
 父と子は、続ける言葉を見つけられないまま、ただ互いを見つめあっていた。


 その後は、とりたてて言うほどの会話はなかった。
 ラナは日常のちょっとした習慣や食べ物の嗜好など、たわいもない会話を持ちかけてみようとした。だがフィンは、問われたことには答えを返すが、それ以上のことは特に話そうとしない。レスターもまた、普段ならば冗談を口にして空気をなごませることが得意なのに、今日に限っては、必要に応じて言葉を返すものの、自分から話題を見つけ出そうとはしていないように見えた。
 気まずさを押し殺してなんとか対話を続けていたところに、席をはずしていた医師が戻ってきた。
 医師はレスターとラナに、リーフ王子の伝言をもたらした。
 リーフ王子はレスターたち兄妹と会いたがっているのだという。いわゆる謁見ではなく、ごく私的な、個人としての会話を求めているのだと。
 レスターとラナは医師に礼を述べ、父に作法通りの挨拶をすると、そそくさと部屋を辞したのだった。


*****************


 案内された部屋には、リーフ王子のほかにふたりの人物がいた。ひとりはデルムッドで、もうひとりは、昨日一瞬だけ顔を合わせた金の髪の少女――ナンナだった。
 今朝のリーフは鎧を脱ぎ、平服と思しき布の服を身に着けていた。戦の直後に対面した時に比べれば、ずいぶんとこざっぱりとして見える。だがその表情には、懊悩の影があるように感じられた。
 リーフはレスターとラナに椅子を勧めた。兄妹が腰を下ろしたのを確認すると、自分もまた椅子に腰掛け、思いつめたような様子で話し始めた。


「レスター、ラナ、あなたがたにお詫びを。長い間、私のもとにフィンを留め置いてすまなかった。フィンの本当の子どもは、あなたたちなのに」


 リーフの言葉に、レスターが答える。


「それは……父が選んで行ったことです」
「私は幼い頃に父母を失い、以来、周囲の者たちに支えられて育ってきた。中でもフィンは、まさに我が身を削って、私を守ってきた。死にかけるのだって、今回が初めてというわけじゃない」


(たしかに、お父さまの体には無数の傷跡があった……)


 昨日、治療のときに見た父の裸身をラナは思い出していた。
 身分を知られてはならない幼い子どもたちを抱えての逃避行だったのだ。怪我をしても魔法による癒しを受けることができたとは限らない。いやむしろ、最低限の処置をしてそのまま自然治癒に任せざるを得ないようなことのほうが多かっただろう。
 怪我だけではない。厳しい生活の中にあっては、病気に飢えにと、命を危険に晒す要因はいくらでもある。だが、こうして見る限り、リーフもナンナも五体満足で健康そうだ。父が身を挺して守ってきたからこそなのだろう。


「ラケシスのことだってそうだ。きっとイザークにたどり着いて、無事に暮らしているのだろう、便りがないのは良い便り、そう信じようとしてきた。だが、ラケシスはイザークに着いてなどいなかった」
「でも、それもまた王子のせいではありません。ですから」
「しかし……」


 なおも言い募ろうとするリーフを押しとどめるように首を振ると、レスターは静かな声で話し始めた。


「王子、あなたを責められる者は、我々の中にはおりません。私たちもまた、多くの人々の犠牲と献身のもとに、ここまで来たのですから。
 あなたと同様、私たちもまた、追われる身でした。けれどもイザークの人々に守られて、今日まで生き延びてこられたのです。
 母は常に言っていました。まずは感謝を捧げようと。失われたものを悼むのは当たり前だし、恨みや復讐心を絶つのは難しい。それでも、ただ暗い思いに心蝕まれるよりは、遺されたものを愛しみ、与えられたものに感謝したいと。今、私と妹は父に会うことが叶いました。父が守ってきたものを目にすることができました。それだけでも十分に喜ぶべきことです。母ならきっと、そう言ったことでしょう」


 そう、兄の言うとおりだ。
 まずは感謝を。母エーディンは常にそう言っていた。
 ラナの物心つく頃には、イザークでの暮らしはある程度安定したものになっていた。とは言え、危険がなかったわけではない。常に追っ手の目を気にかけ、自由に外に出ることもままならず、時として隠れなければならない。それがラナたちの日常だった。
 見つかれば殺されるという恐怖は、一番幼いラナにさえ、しっかりと刻み込まれていた。
 だから、母の言葉に反感を覚えたこともある。こんな不自由で理不尽な生活に、なぜ感謝しなければならないのかと。
 けれども気づくと、ラナは母の生き方をなぞるようになっていた。
 ラナは今、シスターとして従軍し、祈りと癒しによって人々を支えている。かつて母エーディンがシグルド公子のもとでそうしていたように。
 母の考え方をくまなく受け入れたわけではない。感謝よりも先に恨みが湧き起こるのは、むしろ人として自然な感情ではないのか。それでも、欠乏と悲嘆の中にあっても感謝や愛を忘れないでいられるなら、そのほうがずっと……善いはずだ。


「私たちは父を知らずに育ちました。ですが、母は父を信じていました。信じて、その無事と悲願の成就を、ひたすら祈っていました。父が命がけで守ってきたものが無価値だなど、私は思いたくない。ですから王子、私たちに詫びたりなどしないでください。父が守ってきたあなたを、私は信じたい」
「レスター、私は……」


 リーフは何かを言いかけて、言葉を詰まらせる。


「私はノヴァの末裔を名乗るにふさわしい者でありたいと思う。身を尽くして私を守ってきた者、私の名に希望を見いだした者たちのためにも。だが、私は本当に王たりえる存在なのだろうか。私の名のもとに命を落とした者は数知れない。今回の戦だけじゃない……レンスター落城以来、今日に至るまで」
「リーフ様……」


 ナンナが痛ましそうな目で、横に座るリーフを見つめる。
 そんなふたりに軽くうなずくと、レスターは言った。


「胸をお張りください。頭を上げ、王たるものとしてお立ちください。レンスターは守られました。たしかに我々の力添えはありました。けれども王子、これはあなたとあなたを支える人々が勝ち取った勝利です」
「ありがとう……レスター」


 リーフは軽く頭を垂れた。だがすぐに頭を上げ、まっすぐな視線をレスターに投げかけてきた。


「あなたの言葉、たしかに受け取らせてもらった」


(ああ、この方はやっぱり、セリス様のいとこなんだ)


 最初、謁見の間でその姿を目にしたとき、あまりセリスとは似ていないとラナは感じた。
 セリスは顔かたちこそ優しげだが、領袖として人々の前に立ったときには、柔らかでありながらも逆らいがたい雰囲気を醸し出す。けれどもリーフには、どこか自信を持ちきれないような様子が見え隠れしていた。だが今、兄レスターに答えているリーフからは、セリスと同じく、揺るがぬ意志のようなものが感じられる。


「では、わたしからも……あなたがたにお詫びを」
「ナンナ様、お詫びとは?」


 聞き返すレスターにうなずき返して、ナンナは話し始めた。


「わたしは騎士フィンを父と呼んできました。そのことをお詫びしたいのです。
 あの方はわたしの父ではありません。逃亡中、身元を隠すために、わたしたちは家族を装っていました。その後、リーフ様が旗揚げなさった後も、わたしはあの方を父と呼び続けていました。もう習慣になっていたから、それもあります。でも、本当のところを言えば、わたしが自分の実の父の名を明かすことを望まなかったせいなのです。わたしの父はヴェルトマーの公子で、皇帝アルヴィスの実の弟にあたる人なのだそうです。ヴェルトマーの名は、帝国に反感を持つ人々にとっては、あまり心地よくない――いえ、悪い印象を与えてしまうから」


 それはラナにも納得できることだった。
 まさしく同じ理由で、デルムッドもまた、父の名を明らかにすることを避けてきたからだ。


「でも、もう改めるべき時が来たのですね。お父さまの――騎士フィンの本当の子どもは、あなたたちなのですから」


 そう言って、ナンナはさびしげな笑みを浮かべた。
 その笑みが痛ましくて、思わずラナは言葉を返していた。


「でも、これまでの暮らしの中で、ナンナ様にとっての『お父さま』は、あのひとだったのでしょう?」
「ええ、たしかに。でも……」
「なら、その思いまでも捨て去ろうとはしないでください。あなたは壊れた杖を用いてでも、わたしたちの父を癒そうとなさっていた。本当にありがたいことです。そして、きっと父にとっても、ナンナ様は大切な存在のはず」
「そうだと……いいのですが」
「それに、家族のことを言うなら、わたしもデルムッドをナンナ様にお返ししなければ」
「デルムッド兄さまを返す……?」


 不思議そうに首をかしげるナンナに、ラナは笑顔で答える。


「デルムッドはわたしにとって、兄のようなものでした。正直、実の兄のレスターよりもいい兄だったかも。いつも親切だし、変ないじわるはしないし」
「おい、ラナ」


 レスターが咎めるようにラナの名を呼んだ。


「いいでしょ、兄さま、これくらい。昔、兄さまは毛虫をぶつけてきたり、ヤモリをわたしの宝物入れに忍び込ませたりしたけれど、デルムッドはそんなことしなかったもの。むしろしょっちゅう助けてくれたし」
「あー……」


 

 レスターが頭を抱える。そのさまを見て、デルムッドが忍び笑いをもらした。


「そんなことが……」


 驚いたような表情を浮かべるナンナに、ラナは少しおどけた調子で言った。


「ええ、ひどいでしょ」


 目を見開いたまま、ナンナは誘われるようにこくんとうなずいた。


「でね、そんなわけですから、デルムッドはいい兄のはずです。わたしが保証します。だからその……デルムッドと仲良くしてくださるとうれしいのです。だってデルムッドは、ずっとあなたと会いたいと思っていたのですから」
「そう……なんですか?」


 ナンナがおずおずと訊ね返す。すると、今まで言葉を挟むことなくやり取りを見守っていたデルムッドが、ナンナに向きなおって言った。


「ああ、ラナの言うとおりだ。ずっと君に会いたいと思っていた。君の存在を初めて知ったのは三年前、ターラでの出来事が伝わってきたときだ。あのときから、いつか絶対に君を探しあてようと思っていた」


 その言葉にうなずきながら、レスターが言い足した。


「ですね。トラキア目指して家出しようとしたくらいですから」
「え……」


 リーフとナンナが、一斉にレスターに目を向ける。


「あのとき、ターラでのことを知った直後、一緒に行かないかとデルムッドに誘われたんです。で、ふたりして夜中に家出を決行しかけたところで、シャナン王子に見つかって連れ戻され、オイフェさんにこっぴどく叱られて、結局未遂で終わってしまったわけですが」
「そんなことが……」
「私も捜しに行きたかったのです。ずっと……」


 レスターは『誰を』とは言わなかった。だが、この場に集う者たちは、レスターが捜そうとしていた相手が誰だったかを理解していた。


「ですから今回、セリス様がこちらへ援軍を送ることを提案された時、迷うことなく私とデルムッドが申し出たのです。もちろん、我々の部隊が今回の援軍に適した兵種だったから、ではあるのですが」


 そう。ラナもレスターもデルムッドも、ただ軍務を果たすためにレンスターに来たわけではなかった。捜し人の安否を、いつも気にかけていたのだ。


「ですから今、我々は本当に安心しているのです。ずっと会いたいと願っていた相手と、生きて出会うことができたのですから」


 兄の言葉に、ラナは心からの同意を寄せた。
 デルムッドもレスターも、そしてもちろんラナも、ずっと家族の消息を知りたいと思っていた。
 それが今、叶った。
 デルムッドの母ラケシスの行方はわからない。イード砂漠がいかに危険な場所であるかは、砂漠を越えてきたラナたちは十分に知っている。砂漠で消息を絶って十三年も行方が知れないとなれば、生存を望むのは難しい。けれども死が確定したわけではない。
 ラケシスには会えなかったが、ナンナとは出会えた。妹の存在はデルムッドにとって、どれほど大きなものであることか。


 ラナは知っている。


 幼い頃からずっと、デルムッドは身内と呼べる相手を求めていた。
 ティルナノグの子どもたちの中で、デルムッドだけは血縁者がそばにいない。
 ラナには兄と母がいる。ラクチェとスカサハは双子の兄妹で、シャナンのいとこでもある。セリスにもたしかに親兄弟はいないが、遠縁にあたるオイフェが常に気にかけている上に、将来の盟主として、いつも大切にされてきた。


 だが、デルムッドは。
 デルムッドの母は行方知れず、そして、その父のことは――うかつに話題にのぼらせることのできない事柄として取り扱われてきた。
 デルムッドの父はヴェルトマーのアゼル公子、皇帝アルヴィスの弟にあたる人物だ。アゼルは反逆者の烙印を押された後もシグルドのもとにとどまり、実の兄と戦うことも辞さなかったと云われている。だが、帝国の支配を嫌う者たちはヴェルトマー家を憎み、その血族だというだけで嫌悪を示す。だから、デルムッドの父方の家名はずっと伏せられてきた。
 幼い日、デルムッドは魔法の才能を示した。だが、デルムッドは魔法を習うよりも剣の腕を磨くことに力を注いだ。ファラの血脈を継ぐ者としてではなく、ヘズルの家の子としてあろうとしたのだ。
 そんなデルムッドにとって、同じ運命を分かち合うことのできる妹ナンナは、かけがえのない存在であるはずだ。


 ラナは知っている。


 兄レスターは弓に重点を絞って武術の鍛錬を重ねてきた。
 槍遣いになることを夢見たこともあったようだ。けれどもウルの血のなせるわざなのだろう。レスターは弓の扱いに抜きん出た才能を示した。
 レスターが弓騎士になったのは、ユングヴィ家の一員としての定めに従ったからだと思われている。だが、実際には少し違う。
 トラキアの竜騎士の存在を知ったことで、兄は弓騎士になろうと心を固めた。レンスターは地槍ゲイボルグの担い手を王祖と仰ぐ槍の国だ。だが、レンスターでは弓兵もまた重んじられている。トラキアの飛竜と戦うときには、弓の扱いに長けている者の存在が不可欠だからだ。
 自分の才能を生かしつつ、父の横に並んで闘う。それがレスターの望みだった。


 そしてラナは、母の祈りを引き継いだ。
 朝に夕に、母は祈っていた。喪われた人々の冥福と、遺された人々の幸せを祈って。そしておそらくは、遠く離れてもなお、心の底にありつづける人の無事を祈って。


(お父さまはご無事でした。これからはお父さまと一緒に歩んでいけるのです。お母さま……)


 ラナは心の中でそっとつぶやく。


 父がどのような人物であるのか、ラナはまだ掴みかねていた。
 けれども父は、母がこよなく愛した人だ。苦境にありながらも、リーフとナンナを健やかで好ましい人物に育て上げた人だ。
 たぶんきっと、自分は父を慕うようになるだろう。少なくとも、嫌いにはならないような気がする。


 ラナは今、しあわせだった。



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written by S.Kirihara
last update: 2018/05/14
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