FE聖戦20th記念企画

同胞(後)


 トラキアの戦いは厳しいものとなった。
 戦闘そのものが厳しかったのではない。帝国から派遣されてきた騎士団は難なく撃退できたし、グルティア城を守る暗黒教団の使徒たちも、今の解放軍にとってはさしたる脅威ではなかった。
 問題となったのは、新たにトラキアの支配者となったアリオーン王子との関係だ。
 トラバント王が戦死したとき、解放軍の指導者たちはこれでトラキア王国との間に休戦協定を結ぶことができるのではないかと期待していた。猜疑心が強く頑ななトラバントが相手では無理だった和睦も、若いアリオーンとなら成し遂げられるのではないかと考えていたのだ。だが、その期待はあっけなく裏切られた。
 ハンニバルやアルテナの協力の下に、セリスは何度となくアリオーンに休戦の使者を送った。だが、色よい返事が返ってくることはなかった。

 アルテナの嘆きは大きかった。彼女が解放軍のもとに向かう直前、アリオーンは彼女にこう語っていたという。
『父の最後の言葉を聞かなければ、自分も休戦を望んだだろう』
 トラバントの言葉がどのようなものであったか、アルテナは知らない。アルテナにとってアリオーンは何としても戦いを避けたい相手だったし、トラキアは依然として――愛すべき祖国だった。

 アリオーンとの交渉が座礁に乗り上げたまま、解放軍はグルティア城を落とした。グルティアに至れば、トラキア王国の本城たるトラキア城まではあとわずか。ここに及んで、アリオーンは竜騎士団に号令をかけ、総力戦に出てきた。
 アリオーンは天槍グングニルを手に、自ら陣頭に立った。戦場で対峙するに至ってもなお、アルテナは兄との対話を望んでいた。だが、アルテナの呼びかけも空しく、アリオーンはあくまで敵対の姿勢を崩さない。もはや対話の道はないと悟った解放軍は総力をもってアリオーンを打ち破り、トラキア城を制圧した。
 アリオーンは深手を負い、戦死したかに思われた。だが、その遺体は見つからなかった。
 やがて、この件に関して怪しげな噂があることを軍師レヴィンが探り当てる。魔皇子ユリウスが姿を現して、瀕死のアリオーンをいずこかへと連れ去ったというのだ。
 真偽は不明だったが、この噂はアルテナの心に一筋の希望をもたらした。
 アリオーンは死んではいないかもしれない。ならばまだ、彼との和解の道は残されているのではないか。

 しかし、アリオーンに関してそれ以上の情報が入ってくることはなかった。
 トラキア半島を手中に収めると、解放軍はミレトス地方へ向かった。そして、ミレトス地方全域を支配下に置くと、内海を越えていよいよ帝国本土へと踏み込んだ。
 ミレトスの対岸に位置するシアルフィ城を守備していたのは、皇帝アルヴィスその人だった。セリスは聖剣ティルフィングを手に、父の仇である皇帝アルヴィスを討ち果たす。
 かくして解放軍は、大目的のひとつを達成した。
 だが、まだ戦いが終わったわけではない。皇帝が倒されても帝国は健在だ。近年、皇帝アルヴィスはすでに実権を失っており、帝国を実質的に支配していたのはユリウス皇子とロプト教団であったからだ。
 シアルフィを足場として、セリスは帝国内部への進軍を計画する。帝都バーハラに至る道で解放軍を待ち構えているのは、ドズル家やフリージ家、あるいはユングヴィ家といった聖戦士の家系に連なる者たちだ。さらに言うならば、今やバーハラの主となった皇子ユリウスは、解放軍の盟主セリスの異父弟である。
 帝国と解放軍の戦いは、肉親同士が互いの陣営に分かれて相争うものとなるだろう。それは当初からわかっていたことだ。だが、戦いが最終的な局面を迎えるに当たって、その色彩はさらに色濃いものとなっていたのである。

 シアルフィに陣取る解放軍が軍備を整えてゆくのを、帝国側も黙って見守っていたわけではない。東に位置するエッダ城の周囲には、続々と兵が集められていた。
 エッダが軍備を固める一方で、シアルフィの真北に位置するドズルは、国境の門を固く閉ざしたまま沈黙を守っている。
 エッダとドズル、二方面の敵にどう対応していくべきか。
 軍議の末に、解放軍は次のような結論を下した。
 まずはエッダの攻略に専念する。だが、ドズルとシアルフィの距離はそう遠くはない。エッダのみに視線を向けていてはドズルからの急襲を受けるかもしれない。エッダ城まで向かう者は一部の騎兵に止め、北方を警戒する兵をシアルフィに多く残す形で軍を展開させよう。
 そしてついに、エッダから騎士団が差し向けられたとの報告が入った。
 すぐさまセリスは出陣の下知をくだす。帝国内部での戦いが、いよいよ始まろうとしていた。

*****************

 出陣の準備が進められる中、コープルはアルテナの姿を探していた。
 アルテナは天馬騎士のフィーとともに、崖の上に陣取っている魔法部隊の殲滅に向かう予定だと聞いている。アルテナは魔法を苦手としている。そのことが気がかりで、先日も多少無理をして彼女にマジックシールドの守護魔法をかけたのだが、そんなものはほんの気休め程度にしかならないだろう。
 魔法に対する備えが気になるだけではない。アルテナその人のことが、コープルはいつも気にかかっていた。
 解放軍に身を置くアルテナは、いつもどこか孤独に見えた。解放軍の人々はアルテナに敬意を払い、粗略に扱うことなど決してない。特に、実の弟に当たるレンスター王子リーフは、長く生き別れていた姉に対していつも心を砕き、最大限の気遣いをしているし、アルテナもまた、そんな弟とできるだけ打ち解けた関係を築こうとしている。けれどもふたりの間には、どことなくぎくしゃくとしたものがいまだ存在しているように見える。
 無理もないことなのかもしれない。アルテナはトラキア王トラバントの娘として育てられてきた。本当の身の上を知った今でも、アルテナが心の奥底で故郷と呼ぶのはトラキアで、家族として慕うのは、おそらくは……

 アルテナは大広間の片隅で、天馬騎士フィーと話し込んでいた。おそらく出撃前の打ち合わせを行っているのだろう。本当は邪魔すべきではないのかもしれない。ためらいを覚えつつも、コープルは思い切ってそばまで歩み寄った。

「アルテナ様」

 声をかけると、アルテナは驚いたような顔をして振り向いた。

「コープル、どうしたの? なにか用事でも」
「いえ、用事というほどのことではないんです。ただ、ご挨拶をと」
「ああ」

 アルテナは軽い笑みを浮かべながら応えた。

「心配してくれているのね。ありがとう、大丈夫よ。この間だって、あなたがマジックシールドをかけてくれたでしょう?」
「そうですけど、でも」
「フィーも一緒なのよ。彼女は杖が得意だから、私がちょっとくらい負傷したって大丈夫。もっともフィーが怪我をしてしまったら困るのだけど」
「大丈夫ですよ。わたし、避けるのは得意ですし!」

 朗らかな声でフィーが言葉を挟む。

「そんな事になった場合は、一旦戻ってください。ぼくもラナさんもリブローの杖を持って城の近くに待機しているはずですから」
「コープルはエッダには向かわないのね」

 確認するような調子でアルテナが訊ねてくる。

「はい。ドズルからの進軍に備えて、シアルフィからあまり離れない予定です」
「ドズル……そうね」

 応えるアルテナの声には、どこか憂いがあるように思えた。

「アルテナ様?」
「コープル、あなたは大丈夫? その……ドズルの軍と直接戦うかもしれない場所に配備されて」
「大丈夫です、ぼくは」

 エッダ攻略には足の速い騎兵を多く用いる予定になっている。加えて、エッダ家の後継者であるセティがエッダ方面への軍に加わることを志願した。癒し手は両方面の軍勢に均等に配分される必要がある。コープルがシアルフィ側に配備されたのは、いわば当然の成り行きだった。だが、ドズル家はコープルにとって血族にあたる。アルテナはそのことを気にかけているのだろう。

「ぼくはドズル家と血縁関係にありますが、直接知る人がいるわけではありません。普通に対処していけます……たぶん」
「そう……ならいいのだけど」
「それに、ぼくよりも大変な思いをしている人だって、きっといるはずですから」

 コープルが思い浮かべていたのは、斧騎士ヨハンだ。
 ヨハンは騎兵だが、今回はシアルフィ側に残る予定になっている。彼自身がそう望んだのだ。ドズルへの備えの任につく者には、ドズルの内情をよく知る自分こそが適しているのだと言って。

「コープル……」

 アルテナはもの思わしげな表情でコープルを見つめた。
 その時、ふいに思い出したという体で、フィーが言葉をかけてきた。

「あ、そうだ。あのね、コープル、お兄ちゃんがあなたのこと、捜してたんだった」
「セティさんが?」
「うん。何か話したいことがあるらしくって」
「えと、何だろう」
「うーん、それは聞いてない、かな」
「そうですか。それで今、セティさんはどこに?」
「礼拝堂に行くって言ってたから……まだそこにいるんじゃないかな」
「そうですか。じゃあぼく、そちらに行ってみますね」
「うん。そうして」

 では、と一礼して、コープルはその場から立ち去った。

*****************

 シアルフィ城の礼拝堂は、東の棟の奥まったところにある。
 扉を開けて中に踏み込むと、左右のステンドグラスから差し込む朝の光が、床の上に色彩豊かな影を落としていた。
 色とりどりの光が綾なす中、セティは祭壇に向かい、ひとり静かに佇んでいた。
 背をまっすぐに伸ばし、頭は軽く下げている。祈っているのだろうか。手を組むとか、そういった祈り特有の所作は見られないが、神と向き合う者のまとう清澄な空気が、彼の周りに漂っているように思える。
 その空気を乱すことにためらいを覚えつつも、コープルはそっとそば近くに歩み寄った。

「……セティさん」

小さな声で呼びかけると、セティはゆっくりと振り向いた。

「コープル?」

 少し不思議そうな顔で、セティは問いかけてくる。

「その……フィーさんに聞いたんです。セティさんが、ぼくと話したがっているって」
「ああ、フィーに聞いたのか。うん、そうだな、君に渡しておきたいものがあるんだ」
「渡しておきたいもの?」
「この間、君はハイプリーストに昇格しただろう? なので今後は魔道書も使うことができる」
「あ、はい。そうですね」
「だからこれを、君に渡そうと思って」

 セティは懐から一冊の魔道書を取り出すと、コープルに差し出した。

「ウインドの書、ですか?」
「ああ。私の父が昔、使っていたものだ。父が旅に出るときに譲り受けたのだけど、結局、私自身はライトニングの書ばかり使っているから」
「お父上の……では、これはクロード様の」
「そういうことになるね」
「そんな大切なものを、ぼくに?」
「大切ではあるけれど、使ってないんじゃ仕方ない。エッダ教団の聖職者である君が使うなら、父だって喜んでくれるはずだ」
「そう……でしょうか」

 不安そうに問いかけるコープルに、セティは大きくうなずき返した。

「昔、父はブラギの塔へと向かうにあたって、何の魔道書も用意しなかったらしい。で、現地で海賊の襲撃を受けて、ずいぶん後悔したそうだ。護身用の魔道書のひとつも持ってくるべきだったと。以前、そんな話をしていたことを、ふと思い出したんだ」
「それでぼくにこの書を」
「ああ。ウインドは使いやすい魔法だしね」
「……ありがとうございます」

 コープルは手を伸ばして、差し出された魔道書を受け取った。
 正直、受け取るのは気が引けた。セティにとってこの魔道書は、言わば形見の品のようなもののはずだ。それを赤の他人である自分が使ってもいいのだろうか。だが、断るのも失礼にあたるだろう。

「ただ、間違えないで欲しい。それはあくまで『身を守る』ためのもの。積極的に自分から仕掛けていけ、とか、そういう意味ではないからね」
「ええ」
「聖職者とは、導く者であり、護る者である。たぶん父なら、そう言っただろうな」

 その言葉にうなずきながらも、コープルはちょっとした違和感を覚えていた。
 普段、セティは宗教に関わるような言葉はあまり口にしない。エッダ一門宗家の長子でありながら、司祭ではなく賢者を目指した人物なのだ。神への信仰を説くような生き方には、何か思うところがあるのかもしれない。そう思っていた。
 なのに今日の彼は、聖職を――エッダの血筋を強く意識したもの言いをしているように感じる。まるで彼の父であるクロードの代弁者であるかのような。

「伺ってもいいですか?」
「うん?」
「セティさんはなぜ、エッダに向かう軍に志願を」
「それが自分の務めだ。そう思ったからだよ」
「務め……ですか」

 セティは生真面目な表情でうなずいて、言葉を続けた。

「私はシレジア育ちで、エッダのことはほとんど知らない。父も、自分の故郷のことはあまり語ろうとはしなかったしね。それでも私はエッダの後継者だ。ああうん、教団の司祭ですらない私がそう名乗るのは、本当はおこがましいのかもしれない。だけど、私はバルキリーの杖を継いでいる。だから……逃れようがない」
「逃れようがない……」
「ああ。だったら覚悟を決めようと思った。正当なる後継者が故郷を奪還する。そういう図式が出来上がっていれば有利だからね……いろんな意味で」

 セティの声はあくまで静かだ。なのに、コープルは圧倒されそうになる。
 強いひとだ。いや、強いだけではない。大人なのだ。そう思わずにはいられなかった。
 セティとコープルは生まれ月が近い。セティのほうがわずかに早く生まれているようだが、ほぼ同じ頃の生まれと言って差し支えないだろう。なのに自分よりもずいぶんと大人びている。
 コープルも父の生家であるドズル家と相対することになりそうだ。けれどもそれは、成り行きでそうなったに過ぎない。ドズル家に生を享けた者としての責任を自らの身に引き受ける。そういった覚悟は――たぶん、まだできていない。

「セティさん」
「うん?」
「魔道書、ありがとうございます。ぼくも……がんばります」
「ああ。でも、あまり気負いすぎないで」
「無理はしません。ただ、できることはきちんと成し遂げる。そうありたいものだと思っています」
「うん、そうだね」

 和らいだ表情で、セティはコープルの言葉に同意を寄せた。

*****************

 エッダ方面から攻め寄せてきた騎士団を、解放軍はシアルフィ城付近で迎え撃った。これを下すと、総大将セリスは時をおかず、エッダに向けて精鋭部隊を進めた。
 解放軍の半数は北のドズルを警戒して、シアルフィ付近に留まった。すべて、かねてよりの作戦どおりにことは進んでいた。
 エッダへの進軍から四日後のことである。ドズルとの国境を閉ざしていた門が開かれたとの報せが入った。いよいよドズルの軍勢がこちらに向かってくるのだろう。シアルフィ付近に詰めていた解放軍は北の街道のとば口に兵を集め、敵を迎え撃つ準備を整えた。
 ドズルと相対する軍の指揮を受け持つのはイザークのシャナン王子だが、副将としてドズルのヨハンが従っている。そしてコープルは、そのヨハンのそば近くに控えていた。


 砂煙とともに、騎馬の軍団がこちらに向かって押し寄せてくる。
 足並みを揃えて迫り来る騎士たちは、いずれも立派な鎧を身につけており、騎乗する馬は選りすぐりの駿馬と見えた。ドズルの精鋭、グラオリッターに間違いないだろう。

「では、行きます」

 横に並ぶシャナンにそう声をかけると、ヨハンはひとり、迫り来る敵の前へと馬を進めて、声の限りに呼ばわった。

「聞け、わが同胞、ドズルの者たちよ」

 その呼びかけに、ドズル軍は動きを止めた。
 敵に向かって、ヨハンはさらに言葉を続ける。

「皇帝アルヴィスは斃れた。バーハラに巣食うは、今やロプトウスを信奉する暗黒教徒どもばかり。ここに及んでもまだ、帝国の名の下に戦おうというのか。正義は光の皇子の許にこそあると知れ。セリス皇子は慈悲深き方。降った者を酷く扱うことはない。正義に従うことを欲する者は我がもとに来よ。だが、正義なき戦いと知りながら、なおも立ち向かうと言うならば、我らが力、思い知るがいい」

 ドズルの騎士たちは、ヨハンの口上を音も立てずに聞いていた。だが、ヨハンが言葉を終えたところで、将と思しき騎士が後方から進み出て、怒りもあらわに告げた。

「お前はヨハンだな、この裏切り者め! ドズル家を滅ぼすつもりか!」

 ヨハンは冷静な――いや、朗らかとさえ聞こえる明瞭な声で応える。

「兄上、心配するな。ドズル家が滅びることはない。滅びるのは帝国に従う愚か者のみ。よしんばドズルが危難に陥ろうとも、私が立派に再建してみせる」
「世迷い言を! 裏切り者ごときに何ができる」
「世迷い言を述べるはむしろ兄上、あなたのほうだ。もう兄上の出る幕はないのだ」
「減らず口を。このスワンチカが我が手にある限り、私こそがドズルだ。神器の力、知るがいい!」

 言うなりドズルの将――ブリアンは、巨大な斧を掲げて、ヨハンに踊りかかった。
 ヨハンは手にした勇者の斧で受け止めようとする。だが、ブリアンの斧はヨハンの左肩を強く打ちすえた。

(まずい!)

 負傷の有無を確かめるよりも前に、コープルはリブローの杖をかざし、ヨハンへ癒しの波動を送る。

「むっ」

 ヨハンを包む癒しの光に気づいたのだろう。ブリアンは首をめぐらせて、杖を掲げたコープルの姿を捉えると、吼えるように言い放った。

「一騎討ちを邪魔だてするか、この痴れ者が!」

 コープルは怯むことなく言葉を返した。

「ヨハンさんをこんなところで失うわけにはいきません。ぼくらは進まなくてはならないのですから」
「愚かな。騎士の誇りを踏みにじるか」
「騎士の誇り? 平和を、平穏な日々をもたらすことができないなら、騎士の誇りなど、どれほどの意味が!」
「言うよな小僧!」

 ブリアンはコープルを睨みすえ、空気を震わすような声でさらに問いかけてくる。

「ブラギの坊主風情に何がわかる。これはドズルの明日をかけた聖なる戦い」
「ドズルの明日なら……ぼくにだって無関係じゃない」
「なに?」

 一瞬、コープルは迷う。だが、すぐさま迷いを断ち切って、はっきりとした声で宣言した。

「我が名はコープル、ドズル公子レックスが一子!」
「なんと……裏切り者の叔父上の息子だというのか」

 裏切り者。その言葉が、コープルの血を沸き立たせた。

(そう、ぼくの『父』はどちらも裏切り者と呼ばれている)

 自分の信念に従って、家族と袂を分かった実父レックスも。
 トラキアの明日のために、解放軍についた養父ハンニバルも。

(でも、父さんの目指したものは、決して間違ってなんかいない)

「……裏切りとは、何に対する裏切りですか。守るべきものを守るためにやむなく陣営を変える、それを裏切りと呼ぶのですか」

 ブリアンと正面から向き合って、抑えた声でコープルは問いかける。

「神器は、元をただせばロプト帝国と戦うために神々から貸し与えられたもの。その力をロプトウスを復活させようとするモノのために振るうなど、それこそ、無辜の人々と神々に対する裏切りではないのですか」
「黙れ! お前の言うことなど、ただの青臭い理屈に過ぎん」
「ですが!」
「コープル君、下がりたまえ」

 なおも食いさがろうとするコープルに、ヨハンが声をかけてくる。

「君もまたドズルの家に生を享けた者。だが今、兄上の相手をするのは……」
「私だ。そういう話になっていただろう?」

 そう言って、背後から歩み出た者がいた。

「……シャナン王子」

 つぶやくようにその名を口にしたヨハンに無言でうなずくと、シャナンは抜き身の剣を右手に下げ、静かな声でブリアンに話しかける。

「我が名はイザークのシャナン。かつて、グランベルの軍に討たれたイザーク王マナナンは我が祖父、マリクルは我が父だ」
「――そうか、貴様がイザークのシャナン王子」

 確認するようにつぶやいたブリアンにうなずき返して、シャナンはさらに言葉を続けた。

「戦に敗れた後、我がイザークを支配したのは、貴公らドズルの一族。我々の間には因縁がある。降伏を望まず、あくまで帝国の側に立って戦うと言うならば、私が相手になろう。血の復讐の連鎖をここで断ち切るために」
「よくぞ言った。ドズル家三代にわたる恨み、思い知れ!」

 ブリアンはスワンチカの斧を持ち直すと、馬を引いて身構える。
 シャナンもまた、手にしていたバルムンクを構え直した。

 接触は刹那だった。
 シャナンはスワンチカの重い一撃をかいくぐって目にもとまらぬ速さで剣を繰り出し、みごと敵将を討ち取ったのだった。

*****************

 敵将ブリアンが斃れると、グラオリッターはあっさりと降伏した。
 戦場でのヨハンの言葉に心動かされてのことか、それとも、それ以前からすでに帝国に従うことに疑問を覚えていたからなのかはわからない。ただ明らかなのは、ドズルの者たちにはもはや戦意はなく、解放軍に――とりわけ、ドズル家の次男であるヨハンに、恭順の意を示そうとしていることだった。
 ヨハンは黙って彼らの意志を受け止めた。ヨハンにしても、ドズル家を憎んで解放軍についたわけでは決してない。兄との対決に臨むにあたってまずは降伏を呼びかけたいと、事前の軍議で強く主張していた。セリスやシャナンもその意向を受け入れて、その結果迎えたのが先日の対決だったのだ。
 グラオリッターを平らげた後は、さして困難なことは起こらなかった。ドズル城を守っていた暗黒教団の司祭を討ち取ると、東から攻め上ってきたセリス率いる騎馬軍団と合流を果たして、解放軍はドズル城を制圧する。
 こうしてドズル公国もまた、解放軍の勢力下に収まったのだった。


 ドズル城の露台で、コープルは暮れゆく空を見上げていた。
 もはや夏も近い。この頃はむしろ暑いと感じる日々が続くようになってきている。だが、日暮れともなると昼間の暑熱は去り、吹き寄せる風は涼しく心地よい。
 西方を見やると、黒々と広がる森林地帯が目に入った。高台に立つこのドズル城の周辺はさほど緑が濃いわけではないが、城から少し離れれば、西にも北にも深い森が広がっている。そのせいだろうか、コープルの頬をなでる夕風には、清々しい木々の香りが含まれているように思える。
 ドズル城は、先日まで滞在していたシアルフィ城に比べると、堅牢で無骨な感じがする。
 シアルフィ城は白亜の城壁を持つ優美な城だった。土地柄のせいもあるのだろう。窓から差し込む陽光は明るく、全体的にどこか開放的な雰囲気を漂わせていた。
 比べてドズル城は、もっと重々しい。灰色の岩で築かれた壁は厚く、城内の装飾も重厚で、なにか人を圧するようなものを感じさせる。
 だが、さすがは公爵家の居城と言うべきか。公国の中心となるにふわさしい、洗練された建物だ。慣れ親しんだトラキアのミーズ城など、所詮は国境の小さな出城に過ぎなかったのだと実感させられる。

(ここがぼくの父が生まれ育った場所……)

 父は自分とはまるで違った環境で育ってきたのだ。ドズルの公子なのだから当然と言えば当然だが、こうしてその故郷を知ると、改めてそのことを実感させられる。

(これからは、ぼくもまた、この城と縁のある存在として生きることになるのだろう)

 ドズルにはヨハンがいる。今後のドズルを支えていくのはたぶんきっと、ヨハンの役割だ。けれども自分もまたドズルと無縁ではいられない。ヨハンに課せられた重い荷をともに負い、ドズルの名の下に生きることになるのだ。
 あのとき、コープルはブリアンの前ではっきりと名乗った。ドズル公子レックスの息子コープルと。
 ハンニバルの息子コープルにはもう戻れない。少なくとも公的な場においては、自分は今後、ドズルのコープルとして扱われることだろう。
 慈しみ育んでくれた養父を慕う気持ちは変わらない。故郷として思いを馳せるのは今もトラキアの山河だ。けれどもこのドズルもまた、自分と縁浅からぬ土地なのだ。
 故郷と信じていた場所を離れ、別の土地の名を自分の名の上に冠して生きる。それは何も、コープルばかりに定められた運命ではない。
 考えてみれば奇妙なことだ。けれども家名を頼り、血筋に信頼を寄せる人々がいる以上、無下に放り出すことはできない。
 それに、コープルは自ら選んでドズルの名を名乗った。最初に産みの父母の真実を知らされたとき、軍師レヴィンは逃げ道を用意してくれていた。その後も『ドズル』の名を進んで負ってきたのはヨハンだった。その陰に隠れて家名を名乗らないという選択肢は、常に残されていたはずだった。
 それでもドズルの名を我が身に引き受けたのは、その名がもたらす重さを知ったからだ。解放軍に心を寄せる人々から見れば、敵と呼ぶべき帝国の重鎮。この戦争が解放軍の勝利に終わったならば、その後のドズル家に架せられる運命は、決してたやすいものとはならないだろう。だからこそ、ひとり逃げ出すわけにはいかなかった。

(父さんと一緒にトラキアに帰りたかった。だけどぼくは)

 たぶん、もうトラキアには戻れない。

 再びトラキアを訪ねる日もあるかもしれない。けれどもそれはあくまで『客人』としての訪問にとどまるだろう。コープルの『祖国』は、もうトラキアではないのだから。

 暮れゆく初夏の空の下、もやの中に暗く霞む彼方の森を見やりながら、コープルはひとり、遥かな地の荒々しい峰の連なりに思いを馳せた。



《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2018/10/07
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