FE聖戦20th記念企画

受け継がれしもの(前)


 ダーナの街の武器屋で、デルムッドは考え込んでいた。

 ダーナは砂漠のオアシスの街で、商業の拠点として知られている。先日来の戦闘で、この街もずいぶんと荒れた。だが、陥落の二日後には商いが再開されて、ダーナは今、もとの活気を取り戻しつつあった。
 解放軍の戦いは日々厳しいものとなってきている。イザーク以来使ってきた鉄の剣では、正直物足りない。商業都市として知られるダーナの武器屋ならば、イザークでは扱っていなかった武器も手に入るのではないか。そんな期待を胸に、デルムッドは武器屋へと足を運んだ。

(鋼の剣に鋼の大剣、か。どちらも今使っている鉄の剣よりはいい武器だが……)

 より自分に向いているのはどちらだろう。それとも、このふたつから選ぶのではなく、もっと違うものを探してみるべきだろうか。
 威力なら大剣のほうがある。だが、馬上で取り回すのに向いているとは言いがたい。それに大剣を得意とする者が、自分以外にも解放軍にはいる。例えばスカサハだ。今、スカサハは父の形見だという鋼の剣を使っているが、イザークの剣技には大剣のほうがふさわしいはずだ。もし、彼もまた新しい武器を探しているならば、この大剣は譲ったほうがいいのではないか。

「あ、デルムッドさんも来てたんだ」

 いきなり背後から声をかけてきた者がいた。慌てて振り向いたデルムッドに、金髪のおさげ髪を揺らしながら、小柄な娘が屈託のない様子で笑いかけてきた。

「パティ?」

 先日、シャナンとともに解放軍に合流した娘だ。気さくというか、遠慮がないというか、加わって間がないというのに、いかにも打ち解けた様子で声をかけてくる。

「君も武器を見に来たのか?」
「うん、もちろん」

 元気よく答えた後で、ちょっと考え込むような様子を見せて、パティはつけ加えた。

「あ、今、あたしが使うつもりってわけじゃないんだ。でも、お店が開いたからには見ておかなくちゃね。掘り出し物があるかもしれないし」

 シャナンから聞いたことだが、パティはどうやらあまりおおっぴらには言えない職を生業としているらしい。イード砂漠で出会ったとき、彼女はロプト教団の支配する神殿の宝物庫を荒らしまわっていたのだという。つまりは盗賊というわけだ。なるほどそれならば、武器の目利きもできるだろうし、安く仕入れて高く売ることを考えていても不思議はない。

「あ、でも、解放軍のひとが使いたいなら、そっちを優先してもらったほうがいいな。あたしのは単なる未来への投資とか趣味とか、そんなんだから」
「なるほど」

 どうやら解放軍の人間相手にあこぎな真似をしようとは考えていないらしい。盗賊とは言っても、ずいぶん殊勝というか、良心的なところも備えているようだ。

「でも、解放軍のひとたちって、街で売ってる武器とかあんまりいらないのかなあ。たいていみんな、いいもの持ってる感じだし」
「そうでもないさ」
「そうなの?」
「ああ。少なくとも俺はね。だからこうやって武器を見に来ている」
「そなんだ」

 そう応えると、ちょこんと首をかしげてパティは問いかけてきた。

「ねね、でさ、ここの店、何かいいのあった?」
「そうだな……俺もまだ来たばかりだから全部見たわけじゃない。だが、悪くはなさそうだ」
「ふうん?」
「何といっても交易で栄えてきた街だ。ぱっと見たところ、さほど珍しいものは見当たらないが、質は悪くないと思う」
「そっか。なるほどね」

 そう言うと、パティはデルムッドから離れて、奥まった一角へと視線を移した。
 静かな時間が流れる。だが突如として、パティが素っ頓狂な声を上げた。

「あっ、嘘。こんなの置いてるなんて」

 そんなに驚くようなものがあったのか。デルムッドはつい気を引かれて、パティのそばに歩み寄った。

「何を見つけたんだ?」
「えとね、あれ」

 娘が指差すほうに目を向けると、陰になった壁の一角に、抜き身の剣がひとふり、ひっそりと架けられていた。
 一見しただけで、風変わりな剣だと見て取れた。さほど大きくはない両刃の長剣なのだが、その刃は通常もののようにまっすぐではない。うねうねと波打っているのだ。まるで揺らめく炎のように。
 ティルナノグにいた頃、図録で見た覚えがある。実物を見るのはこれが初めてだが、おそらくこれは……

「炎の剣、か」
「うん。たぶんそう。さすがだなあ、ぱっと見てわかるんだ」
「いろいろ教え込まれてきたからな。パティこそ、よく知ってたな」
「師匠がね、なんか、熱心だったんだ。武器とかの絵の入った本、けっこう持ってきてくれてさ、そういうのをちっちゃい頃から見てきたから」
「なるほど」
「ねね、デルムッドさん、武器探してるんなら、あれとかいいんじゃないかな?」
「うん?」
「だって魔法剣だよ。すっごい貴重だし、絶対便利だって」
「そうだな……たしかに」

 パティの言うとおり、魅力的ではある。けれども、剣に付与されている属性が、どうにも引っかかった。
 炎。それは、ヴェルトマー家を象徴するものだ。
 ヴェルトマーの『炎』を秘めた魔法剣を、自分が使う。合理的には違いない。だが、ただ役に立つというだけでは済まされない、複雑なものがこみ上げてくる。

 そのとき、店の扉が開く音がした。
 何気なく振り向いたデルムッドは、店の中に入ってきた人物と視線がかち合った。
 黒衣に身を包んだ背の高い男だ。入り口から差し込む陽光が、その金の髪をいっそう鮮やかに輝かせている。

「アレス王子……」

 口の中で小さくその名をつぶやいて、デルムッドは軽く黙礼した。

「先客か。お前たちも武器を見に来たのか」

 日差しのきつい外から入ってきたせいで、店内の暗さに馴染めないのだろう。目を眇めて、アレスが問いかけてきた。

「はい。ダーナは商いの街だと聞いていましたから」
「そうだな。なかなか悪くない品揃えだろう?」
「そうですね。ですが、王子はなぜこちらに」

 アレスは魔剣ミストルティンの継承者だ。彼が他の武器を必要としているとはあまり思えない。

「ああ、予備の武器を探しに。ミストルティンは修理代がかさんで仕方ない。傭兵団にいた頃は普段使いの武器も用意していたんだが、身一つで飛び出してきたから」
「なるほど、そうでしたか」
「それよりも、お前、えっと……」
「デルムッド、です」
「ああ、そうだった。たしかラケシス叔母の息子の」
「はい。王子の従兄弟にあたります」
「うん」

 アレスはうなずくと、少し考え込むような様子を見せてから口を開いた。

「あのな、そんなかしこまった言葉を遣うのはやめてくれ。どうもやりにくくて仕方ない。あと、俺を王子と呼ぶのも」
「とはおっしゃいますが、王子はノディオンの正統。我が主君と仰ぐべき方ですので」

 デルムッドがそう応えると、アレスはうんざりしたような表情を浮かべて首を振った。

「ああ、そうなのかもしれん。だが、俺はそういう堅苦しいのは苦手だ。第一、傭兵に育てられた俺よりも、お前のほうがたぶん……育ちだっていいだろうし」

 たしかにアレスの言うとおりだろう。ティルナノグで育ったデルムッドは、物質的には決して豊かではなかったものの、オイフェやエーディンから貴族として生きるにふさわしい教育を受けている。だが、下手に同意を返すのもためらわれ、デルムッドは無言のまま軽く頭を下げた。

「ねね、でさ、アレス王子、予備の武器ってどんなのを探してる?」

 横合いからパティが口を挟んできた。
 一瞬、アレスはいぶかしむような表情を浮かべた。だが、すぐに元通りの顔つきで言葉を返す。

「そうだな。できれば手槍がいいが」
「うーん、手槍、あったかなあ。鉄の槍ならいっぱい置いてあった気がするけど。あんまり槍は見てないんだよね。自分じゃ使わないし」
「ふむ」
「あ、そだ。えっとね、離れてても攻撃できる武器なら、魔法剣とかどう? 炎の剣があるんだ、このお店」
「ああ、あれか。この間入荷したやつだな」
「なんだ、知ってたんだ」
「俺は……ああいや、ジャバローの傭兵団は、もともとダーナを拠点にしていたからな」
「あ、そっか」
「炎の剣か。そうだな、性能は悪くないが、手入れが面倒だし、それなりに値が張る。もう少し安くて維持も楽なのがいい」
「安いのかあ……世知辛いなあ、王子様なのに」
「血筋はどうあれ、所詮は傭兵。本物の王侯貴族のように領土があるわけでなし、金など縁のあった例もない。第一、ミストルティンの修理代を浮かすために予備の武器が欲しいんだ。金を食う武器には用はない」
「うん、そうだよねえ……」

 パティはくるりと振り返ると、デルムッドに尋ねかけてきた。

「ってことらしいけど、どうだろ、デルムッドさん。あなたが炎の剣を買うってのは」
「俺が?」
「うん」
「たしかに欲しいといえば欲しいが……君はどうなんだ、パティ。君だって剣を使うだろう?」
「あー、あたしはいいや。今んとこ、師匠がくれた得物で間に合ってるし」
「そうか」

 そうパティに応えたところに、アレスが声をかけてきた。

「ああ、お前は剣を探してたのか」
「そうですね。今まで使ってきた鉄の剣では少し物足りなくて」
「鉄の剣か。まあ、そうだろうな。なら、あの炎の剣、お前が買ってしまえばいい」
「そう……ですね」
「何だ、ためらう理由でもあるのか。懐がさみしいとか」
「いえ、金は大丈夫なのですが」
「俺は金がかかるからいらんが、魔法剣なら持ってて損はない。そうそう手に入るものではないし。どっちみち、あれだけの業物なんだ。解放軍で押さえておいたほうがいいんじゃないのか」
「……ええ」
「他の奴に遠慮しているのか?」
「そういうわけでは。とりあえず手に入れて、後で仲間うちで融通しあってもいいわけですし」
「だな」

 ためらっている理由はもっと違うところにある。けれどもデルムッドの父親に関して情報を持ち合わせていない人間に、今この場でつまびらかに説明したいとは思わなかった。

(属性が気になるなんて、そんなものはつまらないこだわりに過ぎない。炎の力は、きっと俺によく馴染むはずだ……たぶん)

 むしろ『炎』の剣だからこそ、自分が持つべきかもしれない。
 気は進まない。だが、割り切るべきだろう。より大きな力を求めるならば、相応の覚悟が必要とされる。それが道理というものだ。

(それに、解放軍にはアレス王子が加わった。ノディオンの名を継ぐ者はもう俺だけじゃない。ならば、俺が継ぐべき家名は……)

「……買いましょう。俺が」

 ふっと息を吐き出すと、はっきりした声でそう告げた。

「あ、買うんだ。うんうん、お金足りなかったら言ってね」

 明るい声で訊ねるパティに、柔らかな調子で返す。

「大丈夫だ。手入れにかかる分も……きっと、都合をつけられるはずだから」

 デルムッドは店の奥へと進み、購買の意志を伝えようと店主の姿を探した。


*****************


 夕餉の後のことだ。

「デルムッド、あの……」

 広間から立ち去ろうとするデルムッドに、深刻な顔つきでラナが声をかけてきた。

「なんだろう?」
「パティから聞いたの。あなたが、炎の剣を買ったって」
「ああ。昼間、武器屋で」
「デルムッド……その……」
「うん?」
「大丈夫? 無理してない?」
「無理? どうして」
「だって、炎の剣って……」
「ああ、うん。正直ちょっと迷った。だけど、武器は必要だし」
「でも……」

 言いよどみながらも、ラナはさらに言葉を重ねようとする。
 そんなふたりに、通りかかる人間がちらちらと視線を投げかけてくる。

(どうも人が多いな。夕食が終わってすぐだから仕方ないが)

 この状況では込み入った話は難しそうだ。デルムッドは小声でそっとラナにささやきかける。

「ラナ、ちょっと場所、変えよう。ここだと少し話しにくい」
「……あ」

 ラナは顔を上げて周囲を見渡すと、表情を強張らせて小声で応えた。

「ごめんなさい。気づかなくて」
「いや……じゃあ、そうだな、庭にでも出ようか」
「……うん」

 ラナがこくりとうなずいたのを確認すると、デルムッドは先に立って歩き出した。


 ダーナ城の庭園はすでに夜の帳に包まれていた。
 空と大地の境目には、まだわずかに紅の筋が残っている。けれども天頂はすっかり藍色に染まり、西の空には宵の明星が白く瞬いていた。
 しんと静まり返った中、どこからか水の流れる音がかすかに聞こえてくる。庭園にめぐらされた水路のせせらぎだろうか。

 そのとき、潅木の茂みから、ふうわりと、小さな光が舞い上がった。

「蛍……?」

 ラナが足を止めて、不思議そうな声でつぶやいた。

「ああ、蛍だな。砂漠の街で見るとは思わなかった」
「うん」
「この城、けっこう水場が多いのかもな」
「……そうかも」

 言葉を交わす間にも、ただよう光は数を増していく。

「いっぱいいるんだ……きれい」

 うっとりしたようにラナが言う。

「そうだな」

 相槌を打ちながら、デルムッドはふと、古い思い出が蘇るのを感じていた。

(あの日も蛍が飛んでいた。そして俺の隣にはラナがいた……)

「ラナ、憶えているか。五年前のこと」
「うん?」
「五年前の夏至の夜、ティルナノグの川べりで」
「あ……うん。あのときも、蛍、いっぱいいたね」
「ああ」

(憶えていてくれたのか)

 デルムッドにとっては忘れがたいひとときだった。けれどもラナにとっては、あの夕べはどんな意味を持っていたのだろう。
 知りたいと内心望みつつも、今まで確かめたことがなかった。けれどもラナもまた、憶えていたらしい。

「あのときは、ラナに助けられたな」
「デルムッド?」
「十三歳になる夏至の日には、大人たちから両親の話を聞く。俺たちはみんな、そうしてきた。あの年は俺やスカサハたちの番で、俺はエーディンから話を聞いた。俺の……父上の話を」
「うん」
「考えてみれば、ずっと聞いたことがなかった。いや、聞けなかったんだ、あの日まで。父上のことは」
「……うん」
「エーディンは言っていた。俺の父上は優しい人だった。優しいけれど、意志の強い人だったと」

(そして、エーディンは父上から預かったという魔道書を渡してくれた)


 リューベックで別れるときに預かったものなのだとエーディンは言った。もし、成長したデルムッドが魔道士になることを望んだなら渡して欲しいと言付かったのだと。
 古ぼけたファイアーの書だった。赤く染められた革表紙には擦れや傷がいくつもあり、実戦の中で使われてきたものであることが窺い知れた。
 表紙を開くと、一枚目の頁に書き込みがあった。

 我が弟アゼルへ
 炎こそ我らが誇り、我らが紋章
 ファラの後裔たる矜持を胸に、我らは炎とともに生きる

 言葉を記した者の名前はなかった。けれども誰が書いたのかは疑うべくもない。父アゼルを弟と呼ぶ人間は、ひとりしかいないはずだ。
 この魔道書は、もともとはアルヴィスからアゼルへと贈られたものなのか。
 自分が皇帝アルヴィスの甥に当たることは知っていた。けれども今までは、知識として漠然と知っているだけだった。こうやってアルヴィスから父へ贈られたものを目のあたりにすると、その血縁関係は急に生々しいものとなって、身近に迫ってきた。

 ――俺は、アルヴィスの甥なんだ。

 皇帝アルヴィスは、ティルナノグに集う人々にとって最大の敵だ。
 シアルフィのシグルド公子を陥れ、王女ディアドラを我がものとしてグランベルを掌握し、帝位についた男。ティルナノグの人々の悲嘆の源は、すべてあの男にある。
 オイフェもシャナンも、デルムッドの父方の親族については多くを語ろうとはしない。デルムッドの父であるアゼル公子に対しては特に含むところはないようだが、その兄に当たる皇帝アルヴィスには明確な憎悪を抱いている。そしておそらく、アルヴィスの家系であるヴェルトマー家に対しても、平静ではいられないものを感じているに違いない。
 だからだろうか。ティルナノグでは、ヴェルトマーの名はある種の禁忌だった。
 デルムッドが粗略に扱われたことなど、決してない。他の子供たちと同じように愛され、大切にされてきた。ただ、彼の血筋について語るとき、みな母方の――ノディオン王家のもののみを口にして、父方のヴェルトマー公爵家については触れようとはしなかった。
 そんな中で、デルムッドは騎士として修行を重ねてきた。黒騎士ヘズルの末裔として、剣技の習得に時間を割き、軍馬を乗りこなす術を身につけた。魔道士となってもおかしくないだけの資質を示しながらも、魔法を操る術を学ぼうとはしなかった。
 なのにあの夏至の日、デルムッドは思い知らされた。自分はヴェルトマー家の人間で、皇帝アルヴィスは自分にとってごく近い関係にある血縁者なのだと。

 エーディンの話を聞き終えると、デルムッドはそっと館を抜け出して、黄昏どきの川辺へと向かった。
 ただひとり、土手に腰を降ろしてぼんやりと水面を見つめる。
 迫り来る宵闇の中、水の流れる音だけがさらさらと耳朶に響いた。
 じっとしていると、蛍がすぐそばをほわほわと飛んでいった。
 水音と、草いきれと、淡い光を放つ蛍。静けさの中にひとり佇んでいると、腹の奥からせりあがる、どうしようもなくごちゃついたものが少しずつほどけていくような、そんな気がした。

「デルムッド……」

 呼ばれて振り向くと、背後にラナが立っていた。

「ラナ?」
「どこに行っちゃったのかと思った」

 ぽつりとそう言うと、ラナはデルムッドの横に腰を降ろした。

「探してこいと言われたのか?」
「ううん。ただ、わたしが気になっただけ」
「そっか」

 そのまま言葉が途絶えた。
 ラナは何も言わなかった。デルムッドも特に話しかけなかった。ふたりはただ横に並んで、水面を舞う蛍を眺めていた。
 ラナは本来、けっこうおしゃべりな少女だ。
 ティルナノグの子供たちの中で一番年下の、明るくてかわいらしい、みんなの妹のような存在。そのラナが、話しかけてくることもなくただ横に座っているのは、なんだか少し不思議な感じがした。

「蛍、きれいだね」

 沈黙を破ってラナがつぶやく。

「そうだな、きれいだな」

 デルムッドは同意を返した。
 また言葉が途切れた。だが、その沈黙がデルムッドには心地よかった。
 咎められるのでもなく、同情されるのでもなく、ただひっそりと隣にいてくれる。それだけのことが、無性にありがたかった。


 ――そして五年後の今日も、彼女はこうしてそばに来てくれた。

 かすかな水の音、飛び交う蛍。そして隣にいるのは、幼い時からよく知る、大切な少女。
 時間と空間を越えて、まるであの日が蘇ったかのようだ。

「……実際、俺の父上はどんな人だったんだろうな。そして、何を思っていたんだろう」

 五年前のあの日、デルムッドは何も言わなかった。いや、言えなかった。
 けれども今日は違う。いつまでも自分の出自に戸惑っている子供のままでいるわけにはいかない。うずまく思いを、きちんと言葉にしていかなくては。

「あの日、エーディンは言っていた。シグルド様たちがシレジアに追われた頃、みんなはまだ、アルヴィスの意図をはっきりとは知らなかった。シグルド様を陥れたのはドズルのランゴバルトやフリージのレプトールで、アルヴィスはただ、彼らに逆らえないだけ、そう信じていたのだと。けれども本当のところ、すべてはアルヴィスの企てだった……」

 ランゴバルトはリューベックで戦死し、レプトールはヴェルトマー軍に裏切られて命を落とした。栄光と権力を手にしたのは、結局、アルヴィスただひとりだった。

「父上はバーハラから戻らなかった。たぶん、最後までシグルド様のもとで戦ったのだろう」

 ヴェルトマー公子アゼルの消息は、バーハラの悲劇で途絶えている。生きて捕らえられたとも、戦死したとも伝わっていない。

「父上はシグルド様に忠実だった。それはたぶん間違いない。だけど父上はあの皇帝アルヴィスの弟で、俺はアルヴィスの甥だ。俺はみんなの親の敵の、身内なんだ」
「でも! デルムッドはデルムッドなのに」
「ああ。俺はヴェルトマー家のことなんて何も知らない。魔道士ですらない。けれども、いつまでもそう言っているわけにもいかないだろう」
「だからなの? だから、炎の剣を買った……?」
「……そうだな。積極的にヴェルトマーの名を名乗っていこうとまでは思っちゃいない。けど、ヴェルトマーの血を否定していたって始まらない」

 幼い頃から気づいていた。実のところ、自分は魔道士になってもおかしくないだけの魔力を秘めている。そんな自分にとって、魔法剣はまさにうってつけの武器であるはずだ。

「この先、戦いはどんどん厳しくなっていくだろう。自分に合った武器をちゃんと使いこなす。そうしなければ勝てない。選り好みなんてしてる場合じゃないんだ」
「でも……だけどデルムッド、だからってあなたがつらい思いをするのは違うと思うの」
「ありがとう、ラナ。けど、言うほどつらいわけじゃない」
「……本当?」
「ああ。力が足りなくて救えるものも救えなかった、そんな事態に陥るほうがもっとつらいから」
「あ……」
「それに、もうすぐレンスターだ」

 その言葉に、ラナがはっと身を強張らせる。

「リーフ王子がレンスターを奪還して半年近くになる。篭城もそろそろ限界のはず。一刻も早く助けに行かないと。ラナ、君だってレンスターのことは気になっているだろう。あそこには俺たちにとって大切な人がいる」

 軍師レヴィンは言っていた。
 リーフを長年にわたって守り支えてきたのは槍騎士フィンなのだと。そしてリーフのそばには、ノディオン王女ラケシスの娘ナンナがいるのだと。
 ナンナはデルムッドの妹で、フィンはラナの父だ。戦乱の中、その安否がまったくわからない時期が長く続いた。けれども彼らは混乱の時期を生き延びて、今この時もレンスターで戦い続けている。
 レヴィンはラケシスについては触れなかった。けれども妹がレンスターにいるならば、きっと母もそのそばにいるに違いない。
 母や妹と合流するまで、自分は絶対に死ねない。もちろん、母や妹をむざむざ死なせるのも絶対に嫌だ。

「だから、強くならないと」
「……うん」

 デルムッドを見上げて、ラナはこくりとうなずいた。
 瞬間、彼女を抱きしめたいという衝動に駆られた。
 手を伸ばしかけて、だが、寸前でその手を引き戻し、デルムッドは拳をぐっと握りしめる。

(勘違いするな。ラナは誰にだって優しい。今もきっと、ただ俺に同情してくれているだけだ)

 つらいときに彼女がそばに来てくれる。デルムッドにとって、どれほど支えになっていることだろう。けれどもそれは、あくまでデルムッドの側の話だ。彼女にとっては一緒に育ってきた幼馴染への、ささやかな気遣いに過ぎないはずだ。
 自分に向けられた優しさを、特別な好意と履き違えてはならない。
 それに、ラナを愛している男はたぶん自分だけではない。セリスもまた、ラナに対して、ただの幼馴染では収まらない特別な感情を抱いているはずだ。
 ヘイムとバルドの血を継ぐ光の皇子と、忌まわしいヴェルトマーの血を引く騎士。ラナをより幸せにできるのはどちらなのか――考えるまでもないではないか。

「……ラナ」

 噴き出しかけた気持ちを押し込めて、デルムッドは口を開く。

「俺はいつもラナに助けられている。今日だって、こうしてラナが来てくれて、それでようやく気持ちの整理がつけられた」
「デルムッド?」
「本当はけっこうもやもやしてた。ためらいもあった。けど、こうやって聞いてくれたから、自分のすべきこと――いや、したいことかな――が、わかったような気がする」

 ラナは何かを言いかけたように見えた。だが結局何も言わず、黙ってデルムッドを見つめていた。


*****************


 解放軍はダーナを発って北トラキアへと入り、アルスター攻略に着手した。と、同時に、北方に位置するレンスターで篭城を続けるリーフ王子のもとへ援軍を派遣する。レンスターへ向かったのはデルムッド・レスターの両名に指揮された騎馬部隊だった。
 解放軍の助力を受けて、レンスターはフリージの軍を押し戻すことに成功する。レンスターに入城したデルムッドは、そこで妹ナンナとの再会を果たした。
 だが、レンスターに母ラケシスの姿はなかった。ラケシスは十三年前、まだリーフたちがアルスター王家の保護下にあった頃に、イザークに向かって旅立ったのだとナンナは語った。
 ラケシスはイザークに向かう途中、おそらくはイード砂漠を越えようとして、そのまま消息を絶ったらしい。十三年も以前の、しかも死の砂漠と呼ばれる場所での出来事だ。生存は限りなく望み薄だろう。
 だが、悲嘆にくれる間もないままに、戦は続いた。アルスターを落とし、レンスターを安定させた後、解放軍はコノートを目指す。
 勢いに乗る解放軍はあっさりとコノートを落とした。このコノート陥落と時を同じくして、南に位置するマンスターで、帝国の支配を覆そうとする市民の反乱が起こっていた。マンスターの市民を手助けするため、解放軍はコノートの処理もそこそこに、マンスターを目指して南下を始めた。


 トラキア大河を渡り、いよいよ明日はマンスターに到着しようとしていた晩のことだ。
 夜営の準備が進められる中、デルムッドは妹ナンナの姿を見かけて、ふと足を止めた。

(ナンナ? 一緒にいるのは、アレスか)

 ナンナは篝火のそばで、背の高い金髪の男と言葉を交わしていた。
 親しげな雰囲気ではない。何か重要なことを話しているのだろうか。その表情は緊張に満ちているように見えた。
 ナンナは手紙らしきものをアレスに差し出した。紙面に目を走らせたアレスは、やがて顔を上げ、何ごとかをナンナに話しかける。
 遠目ではっきりとはわからない。だが、アレスは動揺しているように見えた。
 珍しいことだと思った。アレスは冷静というか、仏頂面で愛想のない表情を浮かべていることが多い。笑顔はもとより、驚きや悲嘆を表に出すこともまた、あまりないような気がしていた。だが今、アレスは強く心を動かされ、平静を保てないでいるように見える。
 やがてアレスは封筒に手紙を入れて、大切そうに懐にしまいこんだ。その後、二言三言ナンナと言葉を交わすと、一礼して立ち去っていく。
 立ち去るアレスを見送って、ナンナは深く息を吐き出した。

「ナンナ」

 妹に歩み寄って、デルムッドは声をかけた。

「お兄さま?」
「今のは……アレス?」
「ええ」
「何か深刻な話をしていたのか? ああいや、詮索するつもりではないんだが」
「お母さまからの預かりものを渡したの」
「母上からの預かりもの?」
「エルトシャン王の最後の手紙なんですって。シルベール城が落ちた後にエルトシャン様の遺臣からお母さまに預けられて、お母さまがイザークへ向かわれる前に、お父さま……いえ、フィンに託したのだそう。だから私が手にしたのはわりと最近なのだけど……さっき、ようやく渡すことができた」
「そうか、エルトシャン王の……」
「アレスはずっとシグルド様を恨んでいたみたい。エルトシャン様を殺したのはシグルド様だと信じて」
「そうみたいだな」
「手紙を読んで、やっと納得してくれた。エルトシャン様とシグルド様は信頼で結ばれた親友同士だったんだって」
「そうか、よかったな」
「ええ」
「俺たちがいくら言葉を尽くそうとも、過去に何があったかなんて本当のところはわからない。エルトシャン王ご自身の言葉が残っていたからこそ、アレスも納得してくれたんだろう」
「そうね」

 小さく相槌を返した後、ナンナはがらりと声の調子を変え、晴れ晴れとした様子で言った。

「でもこれで、ようやく肩の荷が降ろせた。ずっと気がかりだったの。なかなかアレスと話す機会が持てなかったから」

 ナンナが――より正確には、リーフに率いられたレンスターの軍が解放軍に合流したのは、コノート攻略の少し前、つまりごく最近のことだ。アレスと話す機会が今までなかったのは無理もないことだ。
 そう言えばデルムッド自身も、レンスターで初めて出会ったときを除いて、ナンナとゆっくり話す時間をなかなか持てないでいた。
 いい機会だ、少し話をしてみよう。聞きたいと思いながら聞けないでいたことも、今なら話題に上らせることができそうな気がする。

「そう言えばナンナ、母上はなぜ、俺を迎えに行こうとしたんだろう」

 小首をかしげて、ナンナがこちらを振り向く。

「女ひとりでイード砂漠を越えるなんて無茶だ。ナンナやリーフ様と一緒に、アルスターに残っていたらよかったのに」

 少し間を置いてから、ナンナは静かな声で応えた。

「……たぶん、いたたまれなかったんでしょうね」
「いたたまれない?」
「お母さまと別れたのは三歳のとき。私は幼すぎて、その頃のことはよく憶えていないのだけど。でも、あの頃の暮らしは、豊かで落ち着いたものだったみたい。アルスター王家に仕える方々は、レンスターの人たちにとてもよくしてくださっていたらしくて。ただその後、すぐに状況はすっかり変わってしまうのだけど」
「うん」
「あの時、わたしたちは安全だった。だからこそ、気になって仕方なかったのだと思う。離れて暮らすお兄さまのことが。それと、もうひとつ」

 考え込みながら、ナンナは言葉を続ける。

「あくまで私の憶測なのだけど、もしかしたら、フィンのためだったのかもしれないなって」
「どういうことだ?」
「フィンは自分の感情を表に出さない人だけど、イザークにいる奥様や子供のことをいつも気にかけていたはず。お母さまが迎えに行ったのはお兄さまだけじゃない。レスターたちを連れてアルスターに戻ってくるつもりだったんじゃないかって」
「……そうなんだろうか」
「ええ、たぶん」

 ナンナの言葉をデルムッドは半信半疑で聞いた。
 デルムッドの見る限りでは、レンスターの槍騎士フィンは、主君リーフを第一に考え、その他のことにはあまり関心がないように思えるし、再会した子供たちと親密な交流を持っている様子もうかがえない。

「フィンはね、時々遠い目をして、まだ小さかった頃のリーフ様を見ていた。今にして思えば、あれはたぶん、遠く離れて暮らす自分の息子のことを考えていたのだと思う。レスターとリーフ様は、年頃も近いし」
「そうとは限らないだろう。リーフ様の中に、キュアン王子の面影を見ていたとか」
「そういう感じではなかったわ。第一、いたずら盛りの子供に、成人してからの姿しか知らないかつての主君を重ねるのは、少し無理があるのではないかしら」
「どうなんだろうな」
「フィンはああ見えて、けっこう感傷的なところがあるもの。お母さまはきっとそれが歯がゆくて、何とかしてあげたくて、自分がイザークに迎えにいけばいいって考えたんだと思うの。フィンはリーフ様から離れるわけにはいかない。けれどもお母さまなら自由に動けたから」

 そういうものだろうか。
 疑問を覚えながらも、ふと、オイフェがナンナについて語った言葉を思い出した。
 オイフェはナンナが母親にそっくりだと言った。それはおそらく容姿のことだろう。けれども、もしかしたらその内面もまた、ナンナと母は近いのだろうか。だとすれば、ナンナの推測は、母の思いからそう外れていないのかもしれない。

「そうだな。君が言うんだから、きっとそうなんだろう。フィン殿のことだって、一緒にいた君のほうがよくわかっているはずだ」
「そうね。ずっと親子のように暮らしてきたのだし」
「親子か……」
「今でもうっかりすると、お父さまと呼びそうになるけれど」
「別にいいんじゃないか。実際、育ての父なんだから」
「でも、レスターやラナに悪くて」
「あのふたりなら気にしないと思うよ」
「そうかしら」
「ああ」
「……そうね。そのうち、本当の親戚になるかもしれないし」

 本当の親戚になるかもしれない。
 一瞬、何を言っているのかわからなかった。だが、ひと呼吸置いたところで意味を理解して、デルムッドは当惑する。

「その……ナンナ。気づいてなかったんだが、君とレスターはそういう関係なのか?」
「え?」
「フィン殿を父と呼んでも差し支えないって、それはつまり、その、君とレスターが……一緒になると」

 ナンナはきょとんとした表情でデルムッドを見つめる。
 やがて小さく息をつくと、どことなく残念そうな声で言った。

「お兄さま、どうしてそっちに考えがいってしまうの。私が言いたかったのは、お兄さまとラナのほう」
「……え?」

 そんなふうに見られていたのか。そう思うと、かっと頬が熱くなった。
 あわててデルムッドは言葉を返す。

「いや、俺とラナは別にそういう関係じゃ……」
「でも、お兄さまはラナが好きなのでしょう?」
「俺はそうだけど、でもラナは……」

 口に出してから、デルムッドははっとなる。

(俺、今、何を言った)

 デルムッドの動揺を気に留める様子もなく、ナンナはさらりと言葉を続けた。

「彼女の気持ち、確かめたことはありますか?」
「いや、それはない、が……」
「お兄さまは人の気持ちを慮れる方だと思ってたのですが、思ったよりも……」

 語尾を濁して、ナンナは首をかしげた。

「すまないな。鈍感で」

 憮然として応えるデルムッドに、ナンナはくすりと小さな笑いを漏らす。

「いえ、好かれているに違いないと思い込んで無理やり自分の気持ちを押し付けてくるような人よりは、よほど好ましいです。お兄さまがそんな方でなくてよかった。でも」

 ナンナは真面目な顔に戻って、言葉を続けた。

「思い込みを取り払って、一度、ラナとよく話してみて。傍目から見ればはっきりわかることなのに、本人は全然気づかない。意外とそういうものなのかもしれないけど」
「そう……だな」

 妹に相槌を返しながらも、デルムッドは迷っていた。
 もし、ラナも自分を想ってくれているなら、どんなに嬉しいことか。
 嫌われているとは思わない。ティルナノグ育ちの子供たちの中でもラナとは比較的関わりが深いし、自分が誰かを必要としているときには、必ずと言っていいほど、ラナがそばにいてくれたような気がする。
 けれども、それが特別な好意によるものなのかは、あまり確信が持てない。
 それだけではない。デルムッドはヴェルトマー家の血を引いている。もし想いが一致していたとしても、自分の家系にまつわる苦しみや困難に、愛する者を巻き込んでいいものだろうか。
 自分ではない誰かと一緒になったほうが、ラナはずっと幸せになれるだろう。
 たとえばセリスだ。幼い頃からセリスはラナを大切にしていた。成長した今は、おそらくは男女としての想いを……いや。
 セリスとラナは、いまだ想いを分かち合っている様子はない。近頃はむしろ、すこし距離を置いているようにも見えはしないか。

 黙りこんでしまったデルムッドをひとり残して、ナンナはそっと立ち去っていった。



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written by S.Kirihara
last update: 2018/12/03
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