FE聖戦20th記念企画

いつも隣に


 エーディンと初めて肌を合わせたのは、ノディオンに出陣する前日だった。


 ユングヴィへの遠征が私の初陣だった。
 ユングヴィ城を奪還した後も、私はキュアン様に従ってヴェルダンの戦いに加わった。ヴェルダンの戦はこれまでよりもさらに激しいものとなった。だから戦にはもう慣れたつもりでいた。
 だが、束の間の平和の後、また戦場に出るのだと知った時、私は平静を保つことができなかった。
 ヴェルダンの戦で、私は一度、命を落としかけている。恢復したのち、私はすみやかに戦線に復帰したが、あの時以来、拭いがたい恐怖が心のどこかにこびりついていたのかもしれない。
 表面上は、私は自分の怖れを抑え込めていたと思う。だが以前は漠然としたものにすぎなかった恐怖を実感として知るようになった今、本当は私は臆し、怯えていた。
 主君に槍を捧げ、命を捧げる。それこそが騎士のさだめであり、あるべき姿だ。それを疑ったことはないし、そうありたいと常に願っている。だが、いざ戦を前にすると、やはり心は乱れ、身は竦んだ。


 そんな私を、エーディンはただ抱きとめてくれた。
 お慕いしていることは以前に告白していた。だが、さらに先の関係を求めるつもりはなかった。いずれはそうありたいものだと望んではいたが、今の自分はあまりにも未熟で、あの方に釣り合うはずもない。そう思っていたからだ。
 けれどもあの夜、あの方は惜しげもなく自らを差し出してきた。私の怯えも迷いも、そしておのれの弱さを恥じる心も、あの方はただ受けとめ、そして与えてくれた。
 それまで私は女性を知らなかった。そしてエーディンも、決して慣れてはいなかった。ぎこちなく始まった情交はどうしようもなく不器用で、笑えるほどにぶざまで、けれども、喜びに満ちたものとなった。
 後先を考えずに情熱に身を任せた愚かさを恥じるべきなのかもしれない。けれども実のところ、あの方が与えてくださったものにより、私は生き延びることができたのだと思っている。
 愛する者を喪いたくない。生き延びて、また再び、愛をわかちあいたい。生と死の挟間にあるときに、貪欲に生を求める力の源となるのは、名誉でも義務でもなく、そういった、ごく個人的な欲望であるのかもしれない。


 だが本当は、もっと時を待ち、正しい手順を踏んでことを進めるべきだったのだ。
 私は見習い騎士に過ぎない。成人したあかつきには亡き父の封土を継ぐことが約束されてはいるが、今はまだ叙勲すら受けていない、名もなき存在だ。
 かたやエーディンはユングヴィの公女だ。しかも、ただ公国の姫であるばかりでなく、聖戦士の血を継ぐ方でもある。
 本来ならば、私ごときが望んでよい方ではない。
 それでも私は夢見ていた。あの方を得るにふさわしい手柄をたて、誰からも後ろ指を指されることなく、あの方の隣に並べるようになりたいと。
 だが、その夢を実現させる見込みが立つ前に、現実は先へと進んでいった。
 逸る情熱のままに私はエーディンを望み、あの方はそれに応じた。
 その結果として、生じるべきことが生じた。
 アグスティ城を陥落させた直後のことだ。エーディンは体の不調を訴えて、そして、身籠っていることが明らかになった。
 子供の父親は――むろん、私だった。


 やがて月満ちて男児が生まれた。赤子はいたって健康で、私の髪の色と目の色を受け継いでいた。
 赤子の父親が私であることは、秘密でも何でもなかった。だが、私とエーディンが正式に婚姻関係を結ぶことは先送りされた。
 遠くイザークの地にあるリング卿には書状でお知らせした。将来に関する確たるお返事はいただけなかったが、生まれてきた子供の前途を祝うお言葉はいただくことができた。


 キュアン様もエスリン様も、私を咎めはしなかった。
「少し難しい事態であることは、認めないわけにはいかないのだけど」
 溜息をつきながら、エスリン様は言われた。
「貴族の婚姻には、いろいろ厄介事が多いわ。二人がよければそれでいいというわけにはいかない。家と家との繋がりでもあるわけだし。なんとかしていい形に収めたいとは思うのだけど」
「申し訳ありません」
「ううん、責めてるわけじゃないの。むしろ、これでよかったのかもしれないって思ってる。ちょっと意外ではあったけれど」
 エスリン様の言葉に私は驚いた。
 意外だというのはわかる。エーディンを慕う男性は多い。だからこそ、彼女に魅かれるあまたの男を押しのけて、この私が彼女を得たのは驚くべきことだ。
 けれどもエスリン様は言う。これでよかったのかもしれないと。
 私にとっては無上の幸福だった。けれどもエーディンにとっては――本当にこれでよかったのだろうか。
「エーディンはわたしの大切な友達よ。ユングヴィの戦いで、ううん、きっとそれよりも前から、あの人は本当はとても傷ついていた。ああ見えて芯の強い人だから、そんなそぶりは見せまいとしていたけれど。だからね、思うの。エーディンが愛し愛されてその思いを叶えたのはうれしいことだって。そしてその相手がフィン、あなただったことも」



「レンスターに戻ろうと思っている」
 シレジアに亡命して十月近く経った頃だった。風の中に秋の気配が感じられるようになったある日、キュアン様が私にそう切り出された。
「エスリンもようやく安定期に入った。臨月の前には故国に戻っておきたい。シグルドに力を貸すにしても、一度は帰国して、態勢を整えねばな」
「はい」
「でだ、フィン、お前はどうする」
「どうする……とおっしゃいますと」
「もしお前が望むなら、このままシグルドの許に残ることを許そう。いずれ我らは合流する予定だ。そのときまで、お前をこちらに預けおくこともできないわけではない」
「キュアン様、それは」
「お前はレンスターの騎士、私の部下であるが、同時に妻子を持つ身でもある。愛しい者たちと離れ離れになるのはつらかろう」


 ああ。
 帰国するというのは、そういうことなのだ。
 わかっていたはずだった。けれども私は気づいていなかった。いや、気づかないでいたかったのだろうか。


「ただ、帰国を思いとどまった場合、レンスターでのお前の立場は、あまりよいものとはならないかもしれない。俺は経緯をつぶさに見てきて、その上でお前を評価している。将来的にはお前にレンスターの騎士団を担わせたい、そう思ってもいる。だから、できうる限りはお前をかばってやりたい。だが、女性の絡むような出来事をよく思わない頭の固い連中だっている。そのことはお前も知っているだろう」
「……はい」
「まあ、すぐには返答しなくてもいい。エーディンともきちんと相談した上で、身の振り方を考えなさい」


 部屋に戻り、レスターを乳母に預けると、私はエーディンにキュアン様の言葉を伝えた。
 エーディンは言葉をはさまずに、最後までじっと耳を傾けていた。
「帰国してください、フィン」
 私が話し終えると、エーディンは考え込むことなくそう答えた。
「エーディン?」
 問い返す私に、エーディンはきっぱりとした口調で言う。
「あなたは帰国すべきです。そして、レンスターの騎士であることを貫いてください。そうしないと、たぶん、あなたはとても傷ついて、とても後悔すると思うの」
「ですが」
「わたしのことなら大丈夫。レスターのことも。いずれ会える日も来るはずです。そのときまでわたしがあの子を守り、育てていきます」


「ならばあなたも一緒に来てください。レンスターへ、私の国へ」
 思わず私はそう口走っていた。
「フィン……」
 困ったような表情を浮かべ、エーディンは静かに私の名を呼ぶ。
「私はあなたと離れたくない」
「……だめよ、それはできないわ」
「なぜ」
 勢い込んで訊ねる私に、エーディンは冷静な調子で返す。
「わたしは謀反人ですもの。叛いたつもりなどないけれど、バーハラの宮廷はわたしたちをそう呼んでいます。わたしがレンスターへ移れば、バーハラの宮廷はきっとレンスターにわたしの身柄引き渡しを求めることでしょう。そうなればレンスターの方々に迷惑をかけてしまうことになるわ」
「エーディン、私は」
「わたしだって離れたくなんかない。ずっとあなたと一緒にいたい。でもフィン、あなただってわかっているはず。今は離れなければならないときなのだと」


 そう、本当は私にもわかっていた。私は帰国すべきなのだと。
 かなうならばエーディンのそばにいたい。我が子の、レスターのそばにいたい。
 一歳になったばかりのレスターは、最近伝い歩きをするようになった。まだはっきりとした言葉を話すことはないが、呼びかけに応えようと懸命に声を返してくるようになった。
 私は早くに両親を失っている。親のない子の寂しさや悲しさをよく知っている。だから、できうる限りは自分の子のそばにいたいと思っていた。
 だが同時に、父の名を誇りを持って語ることのできない男児が負わされるであろう悲哀もわかっている。


 シレジアについて間もなく、私とエーディンはごく内輪で婚礼を挙げた。けれども我々の関係は、広く公的に認められたものではない。
 グランベル貴族の婚姻には、ヘイム王家の許可が必要だ。だがそもそも王家の許可を得る前に、まずは家長であるユングヴィ公爵からお許しをいただかねばならない。
 私は未成年で、しかもよその国の人間である。簡単にお許しがいただける立場ではない。
 以前、子供ができたことをお知らせした時、ユングヴィ公リング卿は子供を認知してくださりはしたものの、私たちの婚姻については触れないままだった。その後、リング卿はイザークで消息を絶ち、エーディンは叛逆者としてシレジアへ逃れた。正式な婚姻の許可は結局宙に浮いたまま、今日に至っている。
 レスターはユングヴィのエーディンの子供として認知されている。だが、レンスターのフィンの子供とは公的には認められていないのだ。


 この子の立場を確かなものとし、この子が自らを恥とせず、胸を張って生きられるようにする。それこそが私の義務だ。
 ならば私はレンスターの騎士として、レンスターにおいて、揺るがぬ地位と名声を得なくてはならない。エーディンの、そしてレスターのことを思えば、それこそが必要なはずだ。
 シグルド様のもとに残り、その麾下で戦うことによって、栄誉を得ることもできるかもしれない。そういう道もあるだろう。
 だが、やはりそれではだめなのだ。
 我が祖国はレンスター、我が主君はキュアン様。そこを曲げてしまっては、私は私たらしめているものを失うことになる。


 エーディンはわかっていた。たぶん私たちの関係が始まったその時から、わかっていたのではないか。いつかこんな日が来ることを。その時、どんな決断を下さねばならないかを。
 キュアン様もわかっておられた。あの方がお命じになれば、私はいかなる命令であっても受け入れただろう。だからこそキュアン様は、あえて私に選ばせたのだ。私が悔いを残さぬように。私が自らの意志で進むべき道を定められるように。
 だが、そうしなければならないとわかっていても、愛する人々と離れるのは耐えがたい。
 キュアン様はシグルド様と遠からず合流つもりだとおっしゃっている。だが、シグルド様の置かれている立場は不安定だ。いつ戦争が始まってもおかしくないだろう。
 確かなことなど何もない。一度離れてしまえば、もう二度と会えないかもしれない。


「レンスターに戻ります。ですがそれはひとときのこと。いつか必ずあなたのところに戻ってきます」


 いつか必ず戻る。その約束の不確かさを知りながら、それでも私は言わずにはいられない。
 エーディンは黙って頷いた。いつものように柔和な笑みをたたえて。
 けれどもその眼は見る間にうるみ、透明な涙がはらはらと頬を伝ってこぼれ落ちる。
 耐え切れず、私は彼女を抱き寄せた。
 私の耳元で、囁くようにエーディンは言う。


「忘れないで、フィン。たとえこの身は離れても、心は常にあなたの隣にあるわ。いつも、いつだって」


 たとえこの身は離れようと、心は常に隣にある。
 乙女たちの紅涙を絞らんと吟遊詩人が歌ってみせるありふれた恋歌に出てくるような、感傷的な言い回しだ。
 けれどもその言葉に含まれる真理を、私はこのとき実感した。


「エーディン……すみません」
 抱きしめる腕に、つい力がこもる。
「なぜ謝るの?」
「だってあなたを苦しめた。私は若くて愚かで、あなたと釣り合うはずもないのに、あなたを求めてしまった」


 私がもっと賢明ならば。もっと確たる立場を具えていれば。それなら私は彼女を離さずにいられたのだろうか。自分の子供を自分の手元で守り育てることができたのだろうか。


「違うわ、フィン。わたしがあなたを求めたの。いいえ、わたしたちふたりが、お互いを求めあったの。愚かというならば、わたしだって愚かだった」
 エーディンは私の背にそっと自分の腕をまわし、抱きしめ返してくる。
「でも、わたしはなにひとつ後悔などしていない。あなたと出会って、子供に恵まれて、どれほど幸せだったことか」
「私もです、エーディン。後悔などするはずもない。あなたとともにいられて、レスターが生まれて、これ以上の幸福などあるはずもない」


 何度も思った。もしこれが私でなければ、エーディンはもっと幸福でいられたのではないかと。
 この方は私には過ぎた方だ。家柄や美貌や才能だけではなく、その人柄そのものが。
 だから私の側には後悔などあるはずもない。分に過ぎた幸福があるばかりだ。
 そう。ならば別れゆく悲しみを嘆くのではなく、これまで与えられてきた喜びを嘉し、信じ続けよう。


 たとえこの身は離れゆくとも、我らは心の中でいつも隣に寄り添い続ける。常に、変わらずに。

《fin》

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written by S.Kirihara
last update: 2017/04/02
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