FE聖戦20th記念企画

光を導くもの(前)


「セティ、少し君と話がしたい。後で私の書斎へ」


 夕餉の後のことだった。食事を終えて席を立った父が、セティの横に歩み寄って、そう声をかけてきた。
 セティの返事を待たず、父はそのまま何事もなかったように、部屋から立ち去っていく。


「片づけならいいわ。先にお父さまのところへ」


 食器の残ったテーブルに視線をやったセティに、母が柔らかな笑顔を浮かべて言った。
 母にうなずき返して、セティは席を離れた。
 食事を取っていた部屋を出て父の書斎へ向かう。トーヴェの街のはずれにあるこの家は、そう広いわけではない。だが、書写や代筆をなりわいとしている父のために、書斎が確保されていた。


 それにしても、父の話とは何だろう。昼間の来客と関係のあるものなのだろうか。
 セティは不意に訪れた来客のことを思い出していた。


 午後を少し過ぎた頃だった。何の前触れもなく、いきなりセティたちの家を訪ねてきた者がいた。
 客人はレヴィンだった。レヴィンのことならセティはよく知っている。セティが幼い頃からたびたび、レヴィンはセティたち一家の許を訪ねてきていたからだ。
 レヴィンは祖国シレジアに留まることなく、吟遊詩人の姿で諸国を彷徨い歩いているらしい。帝国の追及を避けるためなのか、それとも何か他に目的があってのことなのか、レヴィン自身は語ろうとしない。
 レヴィンはシレジア王家の生き残りであると同時に、風を司る神器フォルセティの継承者でもある。神器は王権の象徴のように見なされている。レヴィンが一声かけさえすれば、帝国の支配に立ち向かって決起するシレジア人は少なくないはずだ。現にこのトーヴェ周辺には、シレジア王家再興を願う者たちが集まりつつある。
 だが、肝心のレヴィンは、王家の復興を望んではいないようだ。シレジア王家はもう滅んだのだと公言して憚らないし、祖国に滞在することを極力避けているのではないかと思える節もある。
 そんなレヴィンではあったが、時折セティの家に姿を現して、母を相手に諸国の噂話をもたらしていくのだった。どうやら母はレヴィンにとって、気の置けない相手であるらしい。父とはさほど親密ではないが、母を介してそれなりの交流を持っているようだ。
 だが今日、レヴィンが話し込んでいた相手は、母フュリーではなく父クロードだった。
 今までにないことだ。だから少し不思議だった。
 何か今までとは違うことが起こるのではないか。そんな予感めいたものを、セティは感じていた。



「失礼します」


 書斎に足を踏み入れると、書物を積み上げた机の前に座っていた父が振り返り、空いている椅子を指し示した。セティは父のそばまで椅子を寄せて、向き合う形で腰を降ろす。


「セティ、私は旅に出ることにしました」
「え?」
「北トラキアへ向かいます。そこで、帝国に立ち向かう人々を導いていこうと思っています」


 思わず耳を疑った。
 もとはブラギの高司祭だったという父は、あまり活発な人ではない。穏やかに祈り、怪我人を癒し、書物を読みふける。そういった姿ならばしっくり馴染むが、旅に出て、さらには帝国への反逆を指揮していくことを考えているなど、にわかには信じられない。


「それはつまり……外国に出かけていって、反乱を指揮する。そういうことですか?」
「そうですね。直截的な言い方をするなら、そういうことになるでしょう」
「ですが、なぜ」
「必要だからです」
「でも、なぜ北トラキアなのです。そもそもどうして父上が」
「私はエッダ家の当主でした。ブラギ神を崇める人々に対してなら、私の名は今でもそれなりに影響力を持っていることでしょう。帝国がロプトの教えを悪い意味で拡大していこうとするならば、エッダ家の者として、私は看過するわけにはいきません」
「でも……」
「なぜ北トラキアなのか。そう訊ねたいのでしょう?」
「はい」
「北トラキアには今、旗印となるべき存在がいません」


 要領を得ない、といった顔をしていたのだろう。父は北トラキアを取り巻く状況をかいつまんで説明し始めた。
 グランベル帝国の支配を受ける地域の中で、イザークと北トラキアは帝国の直轄領ではない。イザークはドズル家の、北トラキアはフリージ家の支配下にあるからだ。帝国の勢力を殺いでいこうとするならば、こういった間接支配を受ける地域で反乱を起こしていくのが効果的だ。
 イザークにはシャナン王子がいる。民はシャナン王子の名の下に結集するだろう。だが、北トラキアでは事情が違う。
 グランベルが帝政に移行する以前、北トラキアで中心的な存在となっていたのは、神器ゲイボルグの継承者の血を伝えるレンスター王国だった。だがレンスターは帝国の樹立に先立って滅亡している。最後の王カルフの孫に当たるリーフ王子が炎上する王都から逃れて生き延びていたらしいが、そのリーフも二年前、帝国に追われて行方不明になったという。
 このような状況の中、帝国は新たに『子ども狩り』を始めたらしい。


「子ども狩り……?」


 耳慣れない言葉だった。問い返したセティに、父は丁寧に答える。


「ええ。幼い子どもたちを帝都に集めて、ロプトの使徒となるべく特別な教育を施す。そう説明されています。これだけだとさほど恐ろしい話とは思えないでしょうが……実態はかなりおぞましいもののようです。たとえ親が望まなくても、子どもたちは無理やり連れ去られてゆく。しかも、無事に帰ってきた子どもは皆無だとか。生け贄に捧げられているのではないかという噂すらあるようです」
「生け贄、そんなばかな」
「そう思うでしょう。ですが、ロプトの教義を思えば、十分考えられることなのです。ロプトウスは人間の血と苦悶を要求する神です。ロプト帝国が栄えていた頃には、生け贄の儀式が日常的にごく普通に行われていた。歴史の本にもそう記されているでしょう?」
「そうです……でも」
「信じられない。そうでしょうね。でも、今、それが現実のものになろうとしています。グランベル本国で、そして北トラキアやイザークでも、こういった動きが広がっていると、レヴィン様は話していました。このようなもの、見過ごすわけにはいきません。ブラギの名を継ぐ者として、私は立ち向かわなくては」
「父上……」
「それにセティ、君ももう十三歳。私がそばにいなければならない時期は終わりました」


 自分だってもう子どもではない。だから余計な干渉はしないで欲しい。最近とみにそう思うようになっていた。けれどもこうやっていざ父から突き放されてみると、不安のほうが先に立つ。


「これを君に渡しておきます」


 父は椅子から立ち上がると、机の横に立てかけてあった杖を手にとって、セティの前に差し出した。
 古びた杖だ。先端に赤い宝玉が嵌め込まれているのが少し目を引くが、特に装飾性が高いわけでもない。


「これは……」
「聖杖バルキリー。君なら使えるはずです」


 その名を聞いて、セティは思わず息を呑んだ。
 部屋の片隅に無造作に置かれているその杖を、セティは幼い頃から何度も目にしていた。
 どこか魔法の気配が感じられるから、魔法の杖なのだろうとは思っていた。だが、父の持っている図鑑にも、この杖の特徴と合致するものは見当たらない。もしかしたら珍しいものなのかもしれない。そう推測はしていた。
 だがまさか、この埃をかぶった杖が奇跡をもたらす聖杖だとは、思ってもみなかった。


「この杖を使うべきときを見極めるのは、とても難しい。結局私は、一度も使うことなく今日まで来てしまいました」


 父の声には翳りがあった。
 父はその昔、シアルフィのシグルド公子とともに戦っていたのだという。杖を使わなくてはならない局面――つまりは、誰かが死ぬような事態に遭遇していてもおかしくはない。なのに一度も杖を使わなかったらしい。
 見上げるセティの瞳に疑問を読み取ったのだろう。父はさらに言葉を続けた。


「この杖によって蘇らせることができるのは、天から授かった寿命をいまだ使い尽くしていない者に限られます。天命に逆らって杖の力を使おうとしても、杖は力を発揮しません。ばかりではなく、魔力が逆流し、術者を食い殺すかもしれない。でも、目の前の死者がいまだ生きるべき者なのか、すでに天命の尽きた者なのか、それを見極めるのはとても難しい。
 生命力――エーギルの流れを正しく読み取ればわかると言われています。ですが私たちは所詮、ただの人間。天の意志を正しく読み取るなど、本当にできるのでしょうか」
「そもそも、天の意志とは何なのですか」


 生真面目な調子でそう問いかけると、父は苦笑を漏らした。
 天命。天の意志。
 こういった言葉が、実はセティは苦手だった。
 父は司祭で自分にもエッダ家の血が流れているのだから、本来セティが目指すべきなのは聖職者だったはずだ。だが、セティは神に祈り、身を委ねることに抵抗感があった。


「実のところ、私にもよくわかりません。本当に神様なんていらっしゃるだろうか、そう思うときもあります。でも、人智を尽くしてもわかりえないものがある。そういったものを仮に神とか天の意志とか呼ぶ。そういう解釈ではいけませんか?」
「わかりません。僕には欺瞞のように思えます」
「そうですね……その気持ちもわかりますよ」


 父はふわりと同意を示す。
 こういう父の態度はどうも苦手だ。自分の言い立てていることなど賢しげで子どもっぽい、空疎な理屈に過ぎないのだと、軽くあしらわれているような気がしてしまう。


「ああ、話が逸れましたね。杖の話に戻りましょう。エーギルを見定めるのは難しい。生きてほしいと強く願うあまり、見誤るかもしれないからです。おのれ自身の願望に目を曇らされて、死すべきものにまで光を見出す。そういった可能性は、常に意識せねばなりません。ですからこの杖は、人間の手には余るものだ。そう私は思っています」


 父の言葉にセティはうなずく。
 死者を生き返らせる杖。奇跡と呼ぶにふさわしい聖遺物。けれどもそれはたぶん、人間に使いこなせるようなものではないのだろう。


「ですが同時に、この杖は神から人間に託された希望でもある。実際には使われることがないとしても、この杖を所持している者が居合わせているという事実によって、人は励まされ、死地に臨むことができる。実際、そんな局面を、私は何度か経験しています」


 そういった捉え方もできるのか。
 セティは少しばかり驚いていた。
 父はもっと、神を純粋に慕う敬虔な聖職者なのだと思っていた。けれども実は、ずいぶんとしたたかで現実的な判断を下す人なのかもしれない。


「そしてもうひとつ。セティ、君もまた予知の力を授かっている。それが私には気がかりです。私にとって、その力は重荷でしかありませんでした。ですからセティ、与えられたものに君が傷つかないでいられるよう、私は祈らずにはいられない」


 セティが最初に予知の力を示したのは、ごく幼い頃のことだった。
 目の前にあるものとはまるで違う光景が、瞬間現れ、たちまち掻き消える。
 それが何を意味するものなのか、最初はさっぱりわからなかった。だが、やがてセティは気づいた。気まぐれに立ち現れる幻視は、未来に起こることの断片なのだと。
 母にも妹にも、こんな経験はないらしい。ただ父だけが、理解と、そして同情を示してくれた。


「未来の断片が見えたからといって、結局のところ、何かを変えられるわけではないのです。ではこの力は何故、何のために与えられているのだろう。垣間見た断片をうかつに口にしたために、他の誰かをも苦しめてしまうなら、口を閉ざし、何も語らずにいたほうがいい。そう思っていたこともありました。けれどもたぶん、それは違う」


 父はふと、セティから視線をはずし、遠い何かに思いを馳せるように彼方を見やった。


「神ならざる身には、すべてを見通すなどかなわない。私はもう、後悔したくはない。たとえこの手に余ることであったとしても、未来を変えるために行動しよう。そう決めたのです」


 ――もう、後悔したくはない。


 その言葉が、なぜか強く心に響いた。


「父上……ちゃんと、戻ってこられますよね?」


 不安に駆られてセティは訊ねる。
 未来への懸念を口にして、神器を手渡そうとする。それがまるで――遺言のようで。


「ええ、もちろん。果たすべき使命を成し遂げたなら、必ず君たちの元に戻ってきます」
「では、この杖は、父上が持っていてください」


 こんなもの受け取りたくない。心底そう思っているのに、父は静かに首を振った。


「いいえ。それはもう、君のものです」
「なぜ」
「譲り渡すべきときが来たからです」
「そんな……僕はまだ」
「ええ、本当は少し早いのかもしれません。けれどもこの先、その杖を必要としているのは、私ではなくて君なのです」


 納得できなかった。けれども父は、穏やかでおっとり構えているように見えて、心を決めたら容易なことでは譲らない。受け取るしかなかった。
 父の差し出した杖を、セティは両手で受け取る。
 杖は思ったよりも軽くて、そして、ほのかに温かいような気がした。
 こわごわと手の中にある杖を見つめるセティに、父はそっと微笑みかけてきた。


「父祖ブラギは、祈りと癒しの技によって、聖戦士を助けてきました。私たちエッダの家に生まれた者の本分は、戦いそのものではありません。導き手であることこそが私たちの本分。君は神に祈るよりも、人の知恵が導き出す条理を重んじているようですが、それでも本質は同じです。よりよき道を求める者たちに寄り添い、導いていく。それこそが私たちの使命。そう私は思っています」


 ――もしかしたらあのとき、父は何か未来を垣間見ていたのだろうか。


 後になってから、セティはそう思うようになった。


 父が旅立って一年後、母が病に倒れた。
 消息の知れない父を追って、セティはシレジアから旅立つ。そして北トラキアのマンスターで、セティは帝国に抵抗する人々と関わるようになり――『勇者』と呼ばれるようになった。
 運命の巡りあわせによって、セティは戦いの中に身を置いた。そしてセティは実感するようになる。戦場に赴く者にとって、あの杖は確かに『必要な』ものだったのだと。


*****************


「セティ様、大変です。ミーズの城からトラキアの竜騎士団が出ました」


 マンスター城の作戦室で、マギ団の主だった者たちと対策を話し合っているときのことだ。見張りに立っていた市民兵が、蒼白な顔色で駆け込んできた。
 その言葉に、その場にいた者たちはざわめき立った。


「落ち着いてください、皆さん」


 冷静な調子でセティが応えると、居合わせた者たちは口をつぐむ。


「報告ありがとう。君は引き続き見張りを」


 努めて笑顔を保ちながら、セティは見張りの兵にそう告げた。


(もうトラキアが動き出したとは。まだ解放軍はトラキア大河を渡っていないというのに)


 だが、自分が動揺を見せてどうする。領袖たる者は、落ち着き、自信にあふれた態度を示さなくては。周囲の者に不安を抱かせるようでは、成せることも成らないだろう。


 セリス皇子に率いられた解放軍がコノートを落としたのは、つい数日前のことだ。
 コノートを守っていたのはフリージ王ブルームその人だった。ブルームは魔道士に命じて城を手厚く守らせていた。だがセリス軍はあっさりと魔法の守りを切り抜け、ブルームを討ち果たした。そしてそのまま時をおかず、マンスターへと向かった。
 解放軍にはレンスターのリーフ王子も合流しているらしい。セリス皇子とは面識はないが、レンスターのリーフとは多少の縁がある。彼ならばマンスターを見殺しにすることはまずあるまい。マンスターの解放は果たされたも同然、そう考えていた。だが、トラキアが動いたとなれば話は違ってくる。
 マンスターを落とせば、いずれトラキアが動くであろうことはわかっていた。だが、思っていたよりも展開が早い。
 セティの率いているマギ団は、熟達した戦士の集団ではなく、あくまで民兵だ。人数も少なければ練度も低い。しかも古参の何割かは、リーフ王子のレンスター奪還に先立ってレンスター軍に合流している。今マンスターにいる者たちでは、トラキアの正規軍を押し返すのは難しいだろう。


(私が出るしかないだろうな。だが、それもいつまで保つか)


 当面はどうにかなる。だが、今のマンスターの兵力では、陥落を食い止めるだけで精一杯だ。勝利を確実なものにするには、解放軍の手を借りなければならない。

「私たちはいったいどうすればいいのでしょう」


 壮年の男が不安も露わに問いかけてきた。市民の代表として、この作戦会議に加わっていた男だ。


「あなた方はコノートに逃げてください。私が敵を食い止めます」


 努めて明るい調子でセティは応える。


「セティ様、それは無理です。それではあなたが死んでしまう」
「もとより覚悟の上。でも心配はいらない。むざむざとやられはしません。神の加護と運命は我らの上にあります。マンスターは敗れないでしょう」
「セティ様……」
「もう時間がありません。市民を取りまとめて、一刻も早く脱出を」


(我ながらはったりがうまくなったものだ。だが、こんな場合には予知も悪いものではないな。未来のかけらが見えているおかげで、はったりにも説得力がある)


 マンスターに乗り込む前日のことだ。久しぶりにセティは幻を視た。
 マンスターの城壁と思われる場所に立つ自分が、青い髪を持つ若者と握手を交わしていた。猛々しさはないが、確かな自信を感じさせる青年だった。おそらくセリス皇子に違いないだろう。
 ならば、セリスがこのマンスターに到着するまで、自分は生き延びられるのだ。いつになるのかはわからない。だが、持ちこたえて解放軍を迎え入れられるのは間違いないらしい。


(最終的にうまくいくとわかっているならば、粘るのはそう困難なことではない)


 大切なのは士気を高く保ち続けることだ。不安を抱えた状況では、人々は簡単に疑心暗鬼に陥り、意気をくじかれる。


(それでも、救援はできるだけ早い方がいい)


 自分は死なないかもしれない。だが、すべての人間が無傷でいられるという保証はどこにもない。結局は解放軍がどれだけ早くこの城に到達するかにかかっているのだ。
 セティは部下に向き直ると、穏やかな笑みを浮かべて話し始めた。


「会議を続けましょう。解放軍は必ず来ます。ですからそれまで耐えきれるよう、最善を尽くさなくては」


*****************


 解放軍の到着は、セティの予測よりも早かった。
 コノートを守備していたブルームが討ち取られたことによって、フリージ家は混乱を来していたらしい。
 そもそも先立つ戦いの中で、フリージ家は多くの人員を失っていた。まず、メルゲン砦の攻防で長子イシュトーが戦死し、続いてイシュタルもまた、解放軍との戦いで傷を負って戦線を離脱している。そこに加えて当主であるブルームが戦死したのだ。フリージ軍の命令系統は乱れきっていた。難関であると予想されていたトラキア大河の渡河をさしたる妨害もないままに終えて、解放軍はマンスターまで駆けつけたのだった。


 マンスターに入城したセリスを、セティは城壁にある櫓の上で迎えた。
 解放軍の協力によって、敵兵はあらかた押し返せた。だがまだ完全に撤退させられたわけではない。セティは自ら櫓に立って、上空から襲い来る竜騎士に魔法で対処していた。


「勇者セティ、市民達を助けてくれて礼を言います」


(やはり……この方がセリス様だったのだ)


 予知で垣間見たとおりの光景だった。あの青い髪の青年が、背後に数名の者を従えて、セティに右手を差し出している。

 セティもまた、差し出された手に自分の手を重ねた。


「セリス様……私は待っていました。ずっとこの時がくるのを」


 予測よりは短かった。けれどもよく耐えたものだと自分でも思う。
 空を往く竜騎士には地上の城壁はあまり意味をなさない。城壁の各所に設けられた櫓から、弓や魔法で対処するのが望ましい。だが、今のマンスターには、弓兵も魔道士もそう多いわけではない。セティが魔法で敵を迎え撃つのが、もっとも効果が出せる戦い方だったのだ。
 だからセティはこの三日間、ほぼ不眠不休で戦い続けていた。
 解放軍の到着によって気が緩んでしまったのだろう。セリスの手を握り返した瞬間、疲労が一気に襲いかかってきた。思わずぐらりと倒れかけるが、気力を振り絞って、眼前のセリスに笑顔で応えた……つもりだった。


(まずい)


 まっすぐ立っていることすら困難だとは。正面に顔を向けていられず、セティは思わず視線を足下に落とした。


「勇者セティ?」


 いぶかしげな声でセリスが話しかけてくる。


「大丈夫ですか? ご気分が?」
「大丈夫です。ただ、少し気が緩んでしまったようです」


 どうにか表情を取り繕い、顔を上げてそう言葉を返した。


「無理をするな。もはや限界なのだろう。やせ我慢せずに早く休め」


 セリスの後ろに控えていた人物が、セティのすぐ横まで歩み寄ると、そう声をかけてきた。
 声の主の姿を認めて、セティは思わず息を呑んだ。


「レヴィン様?」
「ここはもう安全だ。よく守りきったな。後は我らに任せて、とりあえずひと眠りするといい」
「ですが……」
「我が身を顧みず他の者を守ろうとする、そんなところまで母親に似なくともいいものを。我らは、マンスターの……マギ団の者たちに不利になるようなまねなど決してしない。どうせそのようなことを心配しているのだろうが」


 図星だった。
 最初からセリス率いる解放軍と連携を取るつもりだった。だが、セティは世間での噂でしかセリスという人物を知らない。悪い噂は聞かないが、まるごと信用していいものかどうか決めあぐねていた。どの程度信頼できるかは、実際に本人と顔を合わせてみるまで判断を差し控えるつもりだったのだ。


「ああ……なるほど」


 セリスは大きくうなずくと、公的な声明を述べるときに用いる明瞭な声で言った。


「マンスターの処置については、リーフ王子や市民の方々ともよく話し合って、この地に住まう人々の希望を最大限取り入れるようにしていきたいと考えています。少なくとも、あなたが眠りについているわずかな間に、我々が利益をかすめ取るようなまねは決してしない。約束します」
「セリス様……」
「あなたと我々は、同じ志を抱く同志だと思っている。帝国に立ち向かうために、私たちは手を携えていかなければならない。そうだろう?」
「はい。私も、そうありたいと思っています」
「マンスターの守りが堅いと知れば、トラキアもこれ以上の侵攻は続けないでしょう。トラキアは豊かな国ではない。領土拡大の機会となれば兵を出しもするが、不利な状況下での戦の続行は避けるはずです」


 セリスの言葉にセティはうなずいた。
 セティの見立てもおおよそ同じだ。トラキアのトラバントは常に北トラキアを狙ってきた。だが、勢いに乗る解放軍がマンスターに達した今、なおもこの城の攻略に兵を割くとは考えにくい。


「そうですね、セリス様……ありがとうございます」
「いや、私は私自身の目的に従ったまでです。それよりも、あなたに今、これ以上無理をさせるのは忍びない。この場はいったん切り上げて、後でもう少しゆっくりと話そう。あなたと話したいことがたくさんあるのです」
「はい。私もです。セリス様」
「ではまた後で」


 そう言うと、セリスはセティに一礼すると、踵を返して立ち去った。供の者たちもセリスの後に続く。
 茶色の髪をした中年の騎士らしき人物が、振り返って足を止め、心配そうな視線をセティに投げかけてきた。だが、セティの傍らに控えていたマギ団の若者が、そばに寄ってセティの背を支えたのを見届けると、騎士は黙礼して、セリスの後に続いて櫓の下降口へと向かっていった。


「大丈夫ですか、セティ様」


 マギ団の若者が、気遣わしげな声で問いかけた。


「大丈夫。ただ、ものすごく眠いんだ。すまないが、解放軍の方々への応対は任せたい。何かあればすぐに起こしてくれ。たぶん大丈夫だとは思うけれど」
「わかりました。寝所にお送りします」
「ああ……頼んだよ」


*****************


「ああ……お兄ちゃん。よかった! 起きたんだ」


 起きぬけのぼんやりした意識のまま、セティは枕元にいる人物を見つめた。
 若い娘だ。大きな瞳をめいっぱい見開いて、寝台に横たわっているセティを見下ろしている。
 短く切りそろえた髪は新緑の色、瞳も同じく鮮やかな緑色だ。


「フィー……フィーなのか?」


 セティは驚きを隠すことができなかった。
 セティがシレジアを旅立ってから、もう二年以上経つ。あの頃、妹のフィーはまだ十二歳だった。目の前の娘はあの頃の妹よりずっと大人っぽいが、確かに昔の面影が残っている。妹に間違いないだろう。


「驚いたな。なぜお前がここに」
「お兄ちゃんを捜しにきたの。だってシレジアを出たきり帰ってこないんだもの」
「すまない……父上を捜してここに流れ着いて、そのままこの土地の人々とともに戦って……」
「うん、知ってる。マギ団の勇者セティのことは、解放軍でもけっこう話題になってたの。たぶんお兄ちゃんなんだろうなって思ってたけど、やっぱりお兄ちゃんだったんだ」
「フィー、お前は解放軍に?」
「うん。セリス様のお力になりたくて」
「そうか」


 改めて妹を眺めて、セティはふとあることに気づいた。


「髪、切ったんだな」
「そうなの。自分のペガサス、もらえたから」


 ペガサスナイトを志す少女は、自分のペガサスを得てから二、三年の間、見習いとして修行を重ねる。その修行期間中は髪を短く切っておくよう、掟で定められている。長い髪は戦闘の邪魔になることが少なくない。未熟な者が髪を伸ばすことを禁じられているのは理にかなったことだ。と同時に、長くたなびく髪は熟練者の証とも言える。


「そうか、よかったな」
「わたしのペガサスね、マーニャって名前なの」
「伯母上の名前だね」
「うん。伯母さまのような立派なペガサスナイトになれたらいいなって。そう話したら、お母さま、よろこんでくれたっけ」
「その、フィー。母上は……」
「……死んじゃった。去年の夏の終わりに」
「ああ……」


 予想はしていた。
 セティが国許を離れたのは、母が篤い病に罹ったからだった。行方のわからない父と、なんとしてでももう一度会わせたい。そう願って、父を捜す旅に出た。
 セティがシレジアを離れた頃には、母はもうかなり弱っていた。だから、母の死は決して驚くべきことではない。それでもセティは衝撃と痛みを覚えずにはいられなかった。


 母は亡くなっていた。
 病による死には、おそらくバルキリーの杖の力も及ばない。母は永久に去っていってしまったのだ。


「すまない、フィー。お前ひとりに看取らせることになってしまって」
「……ううん。仕方ないもの、それは」


 フィーは悲しそうに首を振る。その姿がセティにはどうしようもなく痛ましかった。
 セティの覚えているフィーは、明るく屈託のない少女だった。今でもそういった面は変わっていないようだ。だが、この若い娘は、幼い少女の頃にはなかった翳りのようなものを表情に宿すようになっている。
 大人になったのだ、と言えばそれまでかもしれない。だが、あの幼かった妹が、ただひとり、病で衰弱していく母を看取ったのかと思うと、胸がかきむしられるようだ。


「お兄ちゃん、お父さまは?」
「見つけられていない。まだ行方不明のままだ。父上は最初のマギ団の立ち上げに関わっていたらしい。マギ団は今の形になる前に、一度潰されている。父上の消息はちょうどその事件を境に途絶えていて……死んだのかも生きているのかもわからない」
「生きて……いるのかな」
「わからない。けれど、私はあきらめはしないよ。いつかきっと捜し出してみせる」
「うん……そうね。そうだよね」


 そううなずいた後で、フィーは小さな声でそっとつけ加えた。


「でもねお兄ちゃん、わたし……やっぱりお父さまのこと、よくわからない」


 ぽつりと、何気なくつぶやかれた言葉。だがその言葉は、セティの胸に強く響いた。


「お父さまは、なぜ、お母さまやわたしたちを置いていったの? お父さまは力のある司祭だったのでしょう? お父さまならたぶん、お母さまの病気をなおせた。なのに、一番必要なときに、お父さまはそばにいてくださらなかった」
「フィー……それを言うなら、私もだ」
「お兄ちゃん?」
「父上が行方不明だとはっきりした時点で、シレジアに戻るべきだった。私には父上ほどの癒しの力はたぶんない。それでも、お前や母上のそばにいることならできた。だけど私は……ここに、マンスターに残ったままだった」
「それは……でも、ここでやるべきお仕事があったからなんでしょう? お兄ちゃんがいなかったら、もっとたくさんの人たちが、死んだりひどい目に遭ったりしてたかもしれない」
「だが、母上の最期には立ち会えていない」
「お兄ちゃん……」
「すまない、フィー。つらい思いを、ただひとりで」
「ううん、いいの。お兄ちゃん。つらかったけど、でも、もう平気だから」


 フィーは静かに首を振る。そして、はきはきした口調に切り替えて訊ねかけてきた。


「それよりお兄ちゃんこそ、体、大丈夫? レヴィン様とか、魔法を使う人たちがすごく心配してた。ほとんど寝ないで魔法を使い続けてたんでしょう。そんなことしたら、神経が焼き切れてしまうかもしれないって。頭が痛いとか、気持ちが悪いとか、そんなことは……」
「ああ、大丈夫だよ」
「本当?」
「吐き気や頭痛はないし、魔力が滞っているような感じもない。だからたぶん」
「だけど……」
「倒れてしまったのは、単に寝不足だったからだ。思いっきり眠ったから、今はすごくすっきりしている」


 そう口に出してみて、改めてセティは気づく。
 ずいぶん長い間眠っていたような気がする。眠りが深かったのか、夢らしい夢も見なかった。自分が寝入ってから、どれくらいの時間が過ぎ去ったのだろう。


「そう言えば、どれくらい寝ていたんだろう」
「あ、えっと、だいたい二日間、かな」
「そうか」
「そうだ、目、覚めて、もし元気そうなら、セリス様がお話ししたいって」
「ああ、そうだな。私もセリス様とは、もう少しきちんとお話ししなくてはと思っていた」
「お兄ちゃん、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。そう言ったろう?」
「……ずっと大丈夫って言ってたもの、お母さまも」
「……本当に大丈夫だよ。ちょっと頑張りすぎたのは確かだけど、でも、もう何ともないから」
「……うん」


 そのとき、廊下に繋がる扉が開いて、室内に入ってきた者がいた。


「フィー、そろそろ会議の時間だからって、オイフェさんが……」


 銀の髪を持つ青年がフィーのそばに歩み寄り、声をかける。
 近づいたところで、身を起こしているセティに気づいたのだろう。表情を改めると、セティに向き直って言った。


「ああ、目、覚めたんだ」
「君は?」
「俺はアーサー。うん、そうだな。シレジアのアーサー、だ」
「シレジアのアーサー……?」


 その呼称と名前には、思い当たるものがあった。
 紫がかった銀の髪に紫水晶の色の瞳、年の頃は十七、八といったところ。身なりから見て魔道士だろう。だとすれば、彼はおそらく……


「アーサー王子……でいらっしゃるのですね?」
「あ……ああ。うーん、簡単にばれるんだなあ……」
「フォルセティの継承者が解放軍に加わっているという情報がありましたので。あとは……推測です。お名前と、容姿からの」
「あー……そうか。フィーも言ってたもんな。お母さんがシレジアの王子の話をしてたって。フィーのお兄さんなら当然、おんなじ話、聞いてるか」
「そうですね」


 どうやらこの男はフィーとかなり親しくしているらしい。
 フィーは明るくて打ち解けやすい性格だが、母が王家の者と親しかったというような、自分の出自に関わる話題を気安く口の端に上らせるとは思わない。それなりの信頼関係を築いているのだろう。


「アーサー、会議の時間って」


 訊ねるフィーに向き直り、アーサーは言った。


「ああうん。そろそろ時間だからフィーを呼んでくるようにって、オイフェさんに言われた。けどその……お兄さんが目、覚ましたんだったら、そっちを優先したほうがいいかも。話、したいだろ」
「いえ、大丈夫です。必要なことはもう大体話せたと思うので」


 まだ妹と話をしていたい気持ちはある。けれどもセティもまた、組織を率いていたことがある身だ。こういった会議の大切さはよくわかっていた。


「うーん、そうは言っても、必要なこと以外でも話したいこととかあるだろう。だってフィー、いつもお兄さんの自慢ばっかりしてたし」
「え?」
「ちょ、ちょっとアーサー、何言ってるのよ」


 フィーがあわてふためいて、アーサーに咎めるような視線を向ける。


「うちのお兄ちゃんは優しくて、とか、お兄ちゃんの魔法はあんたなんかのよりずっときれいで、とかさ」
「そんなの……ここで言わなくたって!」
「フィー、その……」


 セティは驚いていた。
 シレジアの王子であるアーサーと打ち解けた関係になっているのにも少し驚いたが、自分のことを自慢の種に使っていたとは。


「そんなこと、言ってたのか」
「ん……うん。だって!」


 少しむくれたような顔で、フィーが返事をする。
 どうやらアーサーの発言のようなことを、実際に口にしていたようだ。


「あの、アーサー様、すみません。妹が何かと失礼を働いたようで」
「え? 別に失礼とかそんなんじゃないけど。むしろ面白いし……それよりも」


 アーサーは真面目くさった表情をつくると、きっぱりとした調子で言った。


「俺に敬語使うの禁止!」
「え?」


 面食らって、セティは思わず目をしばたたいた。
 そんなセティに、アーサーはゆっくりした口調で答える。


「たぶんさ、セティさんはすごく真面目な人で、だから、シレジアの王子として生まれた俺にそういう言葉遣いで話しかけてくるんだろうけど、俺……苦手だから。そういうの」
「とはおっしゃいますが」
「どっちみち解放軍の連中は、王子様とかお姫様とかばっかりだからさ、セリス様以外はだいたいタメ口でいいんだよ。アレス王子とかも嫌がるぞ……敬語」
「心に留めておきます。その……最初は難しいかもしれませんが」
「うん……まあ、そうだよな。ある程度親しくないと、かえってやりにくいか」


 そのときだった。
 突然、セティの視界に、今目にしているものと重なりあいながら、まったく別の風景が広がりはじめた。


 ――薄暗い部屋だ。
 正面に硝子の入った窓がひとつ。外が曇っているのか、昼間らしいのにどうもうすぼんやりとしている。
 部屋の中央に寝台がある。寝台の上には誰かが横たわっているようだ。
 近づいていって、間近からその顔を覗き込む。
 アーサーだ。顔色がひどく蒼ざめている。表情は安らかで――いや、安らかなのではない。まったく動きがないのだ。
 アーサーが呼吸をしていないことに、セティは気づく。体も、表情も固まったまま、ぴくりとも動かない。
 その体に触れてみよう。触れてみればわかるはずだ。もしまだ、温かいようなら……
 セティは手を伸ばして、横たわるアーサーの頬に手を伸ばす。触れようとしたそのとき――突然、幻視はかき消えた。


「どうしたの、お兄ちゃん」


 いぶかしむような調子で、フィーが問いかけてきた。
 セティは我に返り、妹に返事をする。


「……ああ、何でもないよ」
「何でもないって顔色じゃないぞ」
「やっぱり気分悪いんじゃないの?」


 アーサーとフィーが、交互に言葉をかけてきた。


「いや、そうじゃないんだ。大丈夫だから」


 動悸が激しい。だが、何としても取り繕わなくては。先ほど訪れた幻視は、彼らに話していいものではない。いや、彼らにこそ、決して話せないものだ。


「フィー」


 平静を装って、セティはフィーに呼びかけた。


「会議があるんだろう。行ってきた方がいい」
「でも、お兄ちゃんは」
「私はその……もう少し、ひとりで休ませてほしいから」
「……うん」


 いかにもしぶしぶといった調子で、フィーはうなずいた。
 にこやかな表情のまま、妹とシレジアの王子が部屋を出て行くのを、セティは見送る。
 扉が閉まったところで、セティは大きく息を吐き出した。


(何だ……さっきの幻視は)


 薄暗い部屋で横たわっているアーサー。その顔は蒼ざめ、呼吸は絶え……


(彼は……アーサーは、死ぬのか)


 彼の姿は今とほとんど変わっていないように見えた。では、遠い未来の話ではないのだ。多めに見積もってもここ三、四年のうちといったところか。そんなごく間近な未来に、彼は死んでしまうらしい。


(何で……何でこんなものが視えてしまう)


 幻視にはもう慣れたつもりでいた。だが、これはあまりにもひどい。出会ったばかりの相手の死を、いきなり見せつけてくるなんて。
 ひどく重苦しい気分だった。セティはただ、寝台の上に上体を起こしたまま、呆然と宙を見つめていた。


*****************


 そのままぼんやり物思いにふけっているところに、レヴィンが訪ねてきた。


「セティ、ちょっといいか」
「レヴィン様? 会議があると伺ったのですが」
「ああ、あれは騎馬部隊のものだ。オイフェが取り仕切っているから問題ない」


 レヴィンはセティの顔を正面からじっと見つめ、いささか厳しい調子で訊ねかけてきた。


「セティ、本当に体調は大丈夫なのか。フィーがだいぶ心配していたが」
「大丈夫です」
「お前の大丈夫は信用できない。確認させてもらう」


 そう言うとレヴィンはさらに近づき、手を差し出すようにと促した。
 言われるままに手を出すと、レヴィンはセティの脈を取る。次に顔を近づけてきて、セティの顔をじっと凝視した。


「……魔力の流れには問題ない、か。まだ疲労は残っているようだが」
「申し上げたでしょう。特に問題はないと」
「お前の母親は、大丈夫だと言い続けて結局倒れた。そして、倒れたときにはもう手遅れだった」


 淡々とした口調だった。だがその声には後悔がにじみ出ているように、セティには思えた。


「体調に問題ないならば……ふむ」


 レヴィンはそこで言葉を切ると、考え込むような様子を見せてから言った。


「何か『視た』のか?」
「レヴィン様?」
「以前、クロード神父が案じていた。お前が予知の幻視に振り回されて苦しむのではないかと」
「父上が……」
「予知はうまく役立てることができれば便利だが……力を与えられた人間にとっては、迷惑きわまりないものだろう。クロード神父はかなり……苦しんでいたようだ」
「父の授かった力は、私よりもずっと強力だったようです。私に幻視が訪れるのはごくまれで……しかも、とても断片的です。内容を理解できないことだって多い」
「だが、視てしまうことには変わりあるまい。それで、今回は何を視た?」


 やはり話さなくてはならないだろうか。
 さっき見たものを誰かに話したくはなかった。とりわけレヴィンには。
 母から聞いたことがあるから知っている。レヴィンはアーサーの父親だ。


「言いにくいようなものだったのか」
「……横たわっている人の姿を視ました。たぶん彼は……死んでいたのでしょう」
「いったい誰が」


 答えたくない。
 アーサーの父親に向かって言える訳がない。あなたの息子は、近いうちに亡くなるだろう、などとは。
 だが、隠し通すのはたぶん無理だ。
 観念して、セティはその名を口にした。


「……アーサー様、です」


 レヴィンの顔がこわばる。
 長い沈黙が続いた。レヴィンは表情の消えた顔で、ただセティを見つめている。
 沈黙の末に、レヴィンは大きく息を吐き出して、低く静かな声で訊ねかけてきた。


「いつ、どこでとか、そういった手がかりは?」
「見知らぬ場所でした。時期は、たぶん、そう遠くない未来だと。年齢を重ねているようには見えなかったので」
「……我々は戦いの中に身を置いている。命を危険にさらすのは、ごく日常的に起こることだ」
「父は言っていました。起こるべきことを避けようとしても、結局未来は動かせないのだと。ならば、どうしてこんなものが視えてしまうのですか。変えようがないのに、なぜ」
「……十二神の遺産、だ」


 思いがけない言葉だった。セティは驚いてレヴィンに視線を投げかける。


「かつてダーナ砦に降臨した十二柱の神々は、聖戦士と血の契約を交わし、同時に神の力を宿した武器を与えた。ブラギに与えられたのはバルキリーの杖、命と運命を司り、人々をよりよき未来へと導く力だった。お前やクロード神父の予知も、おそらく神との契約の一部なのだ」
「神……ですか」
「神々は、人に慈悲を垂れたわけではない。自分たちの尻拭いをさせるために、人に力を貸し与えただけだ」
「レヴィン様?」
「神意を読み解こうなどと思うな。今ここに在るものを、ただ『在るもの』として受け止めて、対処の方法を考えていく。人にできることは、それくらいしかないのだから」
「在るものを、ただ在るものとして……」
「ああ。だから、何かを視たからといって、それに翻弄されることはない。意味のわからぬ断片に囚われて、心をすり減らすな。それよりも、今できる最善を求めるのだ」


 今できる最善を求める。確かにそのとおりだ。
 だが、そんなふうに割り切るのは難しい。視てしまったものにどうしても囚われて、そこで思考が止まってしまう。
 思い煩ったからといって、何ができるというわけでもない。それくらいわかっているはずなのに。


「人は誰しもいずれ死ぬ。死を恐れ、ただ避けようとするのは意味のないことだ」
「ですが!」


 半ば反射的に、セティは言葉を返していた。


「ですが、なんとしても喪いたくない相手だっているでしょう? そんな相手を喪ったならば、遺された者たちは、どうすればいいのですか」
「……そうだな」


 同意を返して、レヴィンはそのまま黙り込む。


「セティ」


 ややあって、レヴィンは口を開いた。


「あまりひとりで背負い込むな。クロード神父はそこを違えた。もっとも、誰かが死ぬ……などとは、気軽に人に言えるものではないだろうが。この先、何かを視るようなことがあれば、まず私に言え。軍師として、情報は少しでも多く得ておきたいしな」
「……はい」
「ともあれ、もう少し休んでいろ。先日までの状態を見ていれば、誰も怪しむまい。実際、体を壊してこそいないが、まだ休養を必要としているには違いないのだし」


 そう言い残すと、レヴィンは立ち去っていった。



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written by S.Kirihara
last update: 2018/06/19
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